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【読書日記】文章と向き合いたくて

【7月7日(水)】
朝から雨が降っていて、それがまた尋常じゃない様子で、これはどうなるんだろうなんてヤキモキした一日だった。

そんな大雨の中、注文していた本が届いた。ありがたい。以前読みたいと記事にもしていた、古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』。

文章術の本はもう買わないと決めてから、数ヵ月しか経っていない。でもこの本を買ったことは後悔していない。それぐらい分かりやすく説明されていて、文章に対する熱を取り戻させてくれた気がする。

はてなブログだけでは足りず、noteで読書日記をスタートさせた私は、どうやら文章を書くことが好きなようで。でもそれは自分の思いを吐き出す手段でもあって、好きなように文章を書くことが楽しいだけだと思っていた。

けれどもこうして文章の本を読むと、やっぱりきちんと文章について勉強したい気持ちもムクムクと湧いてきたりするし、でもそこに縛られすぎたら何を書いたら良いのか分からなくなるだろう、といった不安もある。

自由に書くから、思わぬ文章が生まれたりして、それが私は好きなんだけれど、でもきっとそれが「読まれる文章」には繋がらなくて。
ただ自分が書きたいことを書くことは、自分のために書いているだけであって、「読んでもらう」という部分がごっそり無くなっている気もしていた。

発信するんだから「読まれる」という前提を、やはり忘れてはいけないだろうし、でもそこを気にしすぎないようにもしたいし。

『取材・執筆・推敲』を読んで、そういった揺れ動く気持ちが一旦リセットされた気がした。

ただただ吐き出すための文章も良し。でもこうしてnoteのように「読まれる」場所で書いている文章を、見直して「読んでもらえる」ようにと考える作業も必要なんだろうし、またそれをやりたいと思う自分がいた。

もう文章術の本は読まないようにしよう、読んでしまうと色々と考えてしまって何も書けなくなるから、なんて思っていたのに。あっさりと鞍替えした。

「やらなきゃ」でスタートさせたことは、きっと続けるのが困難にもなる。「やりたい」でスタートさせたことも、続けるのは簡単ではない、人は飽きる生き物だから。

ただ「やりたい」という気持ちが湧いてきたこと。これが嬉しい。年齢ともに、新しいことにチャレンジしたい欲が減っていて、こうして「やりたい」が見つかることが奇跡のように感じてしまう。大げさか。

もっともっと文章と向き合っていきたい。今はそれが何よりも楽しい。幸せなことだ。

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