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【エッセイ】ビジネス書好きを人に公言すると嫌われる

私は読書が好きだ。
AmazonUnlimitedとAudibleのどちらにも加入し、本漁りを毎日している。週1でブックカフェ付きのスタバに通い、一日中入り浸って本を読む。読了したら、必ず長文の感想文をnoteに書き、アウトプットをする。
自分でもかなり本に囲まれた生活を送っていると思う。
だが、この趣味を人に伝えるのには少々渋る。なぜなら、
「どんな本が好きなの?」「好きな作家とかいる?」「オススメな本とか教えてよ」
このように質問されているのは目に見えているから。

私が好きなのは小説ではない。昔の人達が書いた詩やエッセイでもない。最近話題の雑誌やコミックでもない。

私が好きなのは「ビジネス書」だ。

小説はあまり読まない。数多く出てくる登場人物を覚えられないし、よく分からない状況説明が出てきて次第に飽きてしまう。長時間かけて読了した本でも、最後の展開があまり自分好みではないと「時間を潰してしまった…」と後悔に浸ることもある。
(全ての小説が嫌なわけではありません!好きなのもあります。)

ビジネス書はいい。誰でも分かりやすい文章で書かれていて読みやすい。読者の興味を引くためか導入部分から工夫があって面白い。1冊読めば、必ず明日から使えるテクニックを知ることが出来て、少し賢くなる気がする。悩みがあったり、解決したいことがある時は、ビジネス本を読めば必ずヒントが見つかる。

ビジネス書1冊には、まるで大学で一日講義を受けた分の情報量が詰め込まれているように感じる。それを、およそ1500円ほどで学べるなんて物凄くコスパがいいんじゃないか。

このように、私はビジネス書が大好きだが、最近気付いたことがある。
ビジネス書好きということはあまり人に言わない方がいいということ。


ビジネス書好きで人に嫌われた

これに気付いたのはここ1ヶ月前くらいだ。ビジネス書好きは人に嫌われる。人に言わない方がいい。円滑に人間関係を進めたいなら公言するべきじゃないのだ。しかし、思い返せば数年前から薄々感じていた。

1番最初に違和感を感じたのは、大学のサークルで行われたzoomでの出来事だ。2年前の大学はコロナ真っ只中で、登校することは困難だった。当然、私が所属していたバドミントンサークルでも活動が停止でしばらく対面で会うことはなかった。しかし、考えた先輩方は、コロナ禍でもサークルメンバーとの交流を絶やさないため、オンラインであるzoomでの近況報告会を始めた。よって、私はバドミントンをしに大学に通わないにしろ、zoomでサークルメンバーと話すことが出来た。

Zoomの機能でメンバーが4人グループに分けられ、少人数で互いの近況について話すことになった。みんなそれぞれ、「手を切って手術した!」だの「生活リズムがやばい!」だの「課題に取り組んでる!」だの発表する中私は自分の番で「本を読んでる!嫌われる勇気ってやつ」と発表した。

今なら絶対にやらない、アホな行動だなぁと振り返って思う。これを聞いてみんなどう思うだろう?返ってきた答えは「本読むなんてえら〜い」「俺全然読まない〜」といった感嘆する声だった。別に褒め言葉を期待していた訳では無い私は「いや、そんなことないよ…」と声小さく抵抗した。平和にその場を収めたつもりだったが、カチンと来たのはその次だった。私の次の番、最後に発表した同い年の男子が「俺はビジネス書は読まないけど〜…」と続けて自分の話に持って言った。
わたしは違和感を覚えた。自分の読んでる本がビジネス書という自覚があまり無かった。「自分の人生を少しでも良くしたい」と思ってただ本を選んで読んだだけだった。しかし、なんだろうあの「俺はビジネス書は読まないけど〜」の嫌味ったらしい言い方。この時は気付いてなかったが、ビジネス書を読んでいることは相手にとってあまり好ましい出来事では無いらしい。

そして、そのことに気づいた決定的な事件が起こった。これは1か月前くらいのこと。
大学を休学し、地元に戻り、のんびり過ごしていた私は同じ大学生と触れ合えるコミュニティに属していた。週一の水曜日で同じく大学を休学している人や、勉強したい人達が集まる施設だ。

そこは完全自習制で、暇だった私は机に座ってビジネス書を読んでいた笑(アホすぎる…)
「何読んでるの〜」と周りの人に聞かれた際には「これ、モチベを上げる本!めっちゃ面白くって、この本には…」と書かれた内容まで説明する始末(笑)。そりゃウザイし迷惑極まりないな。
ある時、昼休みに友達に話しかけられた。この出来事は私を深刻に悩ませる要因になった。
「何読んでるの〜」「えーっと、これ」(差し出した本は「東大思考」で思考力を上げるためにはについて書かれた本。)
「え、それビジネス書だよね」「そうかなーどうだろうね」「いや、ビジネス書だよそれ。」と結局その女の子は「ビジネス書」と3回も唱え、めちゃくちゃその本はビジネス書アピールをしてきた。


次の始末には周りの友達と一緒になって「もか(私の名前仮名)さんって資格いっぱい持ってそう」「えー、高層マンションに住んでるんですか?」「この漢字わかんないや、もかさん教えてくださいよぉー」と私をいじり始めた。


HSP・豆腐メンタルの私は、周りの私に対する接し方に違和感を覚えて、心がザワザワしてきて、次第に胸が苦しくなってきた。

コミュニティから帰ってからというもの、その出来事で頭がいっぱいになって、グルグル思考が止まらなくて、次第に病んで(笑)、ずーっと考え続けた結果、ある結末にたどり着いた。


「あ、わたしみんなに嫌われたんだ」


人は基本「意識の高い人」が嫌いだ

人は基本「意識の高い人」が嫌いだ。
「意識高い系」という言葉は巷で多く使われている。「朝は7時には起きる」だの「休日は研修に参加してきた」だのモチベーションが高く向上心に溢れている人のことを「意識高い系」と言う。周りの人から見ると、エネルギッシュすぎて、疲れるんだろう。良い意味で捉えられづらいのが現実だ。
それより、「昨日遅くまで起きちゃって、寝たの2時」とか「部屋が汚くって、掃除しなきゃって感じ」とかちょっとダメポイントがある人の方が親しみやすくて好かれやすい。
成長心に満ちていて、目標のために努力する自己成長タイプは面倒くさくて謙遜されるのだ。
(補足しておくが私は頭が悪いし、容量も悪くコミュニケーションが下手なタイプ。決して優秀エリートではない。言うなれば、有能になりたい無能って感じ。)
周りとトラブルを起こさず、精神的ダメージを受けたくないなら、モチベ高いアピールはあまりやらない方がいい。


これから先の事

私の趣味は「本を読むこと」だが、「なんの本?」と聞かれた時には、「習慣の本とか〜」で誤魔化すようにしている。ビジネス書を読む際には、本屋で紙のカバーをかけて貰って表紙が見えないよう心がける。決して「意識高い系」と思われないように。

確かに、中には
「自分の本心に生きて嫌われるならそれは恥じるべきことじゃない」「むしろ、他人に好かれようと相手の顔色を伺う生き方ってどうなんだろう」と思う人もいるかもしれない。しかし、豆腐メンタルな私にとって、人に嫌われるということはこの世の終わりのように辛いことであり、で出来れば避けたいことの1つだ。誰にも注目されず、無難に生きて死ぬということが私にとって平和な人生なのだ。
最近思うのが、外国だったら違ってたのかもしれないということ。例えば、わたしがアメリカ人で、自己主張ができて、周りの出来事に動じず行動できたら、ここまでショックは受けなかったかもしれない。さらに、周りもアメリカ人で、人と違う趣味を持つわたしのことを貶さずそういうものだと受け入れてくれたら、わたしも堂々と生きていけたかもしれない。


noteには読書家の人も多く、仲間を見つけやすい。わたしも批判を恐れることなく発信が出来て、とても居心地がいい。


今回の出来事から、世間の一般的な答えと、自分の人生のあり方について実感させられた。

おわり(暗くてすみませんでした。)


初エッセイなので、感想お待ちしています!



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