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人から認められるために生きる人生

私はここ数年、人にすごい人だと思われるために生きてきたように思う。しかし実際のところは何も成し遂げていない。
そのうち飽きるであろうマイブームが来たとき、自分はこれで成功できるのではないかという阿呆な錯覚をすることがよくある。絵やものづくりにハマった時は「自分はこれで食っていけるようになるのではないか」、音ゲーにハマった時は「そこそこうまいし(※実際全プレイヤーと比べたら中の上ではあるが、やりこんでいる人の中では下手)ゲーム配信者になれるのではないか」など、あり得そうにないことがありありと浮かんでくる。これは躁状態とかではなく、いつまで経っても金銭的に自立できそうにない焦りと、膨れ上がる承認欲求から来ている。平均よりできることはそこそこあるので、そのうち何かで成功するのではないかと思っている部分が正直ある。容姿やコミュニケーション能力、体力精神力など、劣っている部分がありすぎてなかなか伸びないのだが。

私は自分のことを社会の何の役にも立っていない、関わってくれる人は何とかいるものの誰から見捨てられてもおかしくない、いわゆるクズ人間だと思っている。
人間的にも魅力がないので、何か特技を身につければ注目されるのではないか。認められるのではないか。キラキラして見える人に対して、「この人はすごいなあ」で終われば良いのだが、「私も人にこう思われたい!」という思いが強い。比較対象の相手も一応同じ“人間”なので、いつかは到達できる気がしてしまう。
普通、すごい!私もこうなりたい!と思うことはあるのだろうが、こんなふうに第三者からちやほやされたい!と思うのは歪んでいると思う。多くの人からちやほやされそうなことなら手段を問わないところが、この思考を物語っている。
そもそも、成功している人の生き様は自分の向いている何かを突き詰めた結果であり、人から凄いと思われたくてやっているとは到底思えない。

承認欲求と言えば誰しも持っている感情のようだが、私の場合、自己肯定感が低い。自己否定ベースの向上心で頑張るのは苦しい。これは五彩緋夏さんが言っていた。
私は今までこの頑張りかたしかしたことがないのだが、これは車に灯油を入れて無理矢理走らせるようなものらしい。つまり、燃費が悪く長続きしにくい。この表現もどこかからの受け売りなのだが、心当たりしかない。不純な動機で努力しても体力を消耗するだけで、何か能力を得たとしても自己肯定感は底辺を漂っていると思われるので、一生自分の存在価値を探す人生の始まりである。
だからといってそれ以外の自分の高めかたがわからない。第三者からどう思われるかは一旦置いておいて、他のものと比べて努力していて苦じゃないものを伸ばすのが良いのだろう。ちゃんと言語化するとこうなるが、ピンと来る、なぜか気持ちが惹きつけられる何かという方が正しいのかもしれない。
これはそれなりの生活をしていたらいずれ出てくるような気がする。私には行動力があるので、何か見つけたらそれにすぐ向かえると思う。その結果、金銭に繋がったり人から認められたりしたらラッキーだねという話であり、それは完全に付属品なのである。何でもいいから今すぐに死に物狂いで頑張るというのは、幸福の獲得からは程遠いように思う。


一時の快楽のためにお金と時間を溶かすのに抵抗がある。ネットサーフィン、テレビ、ゲーム、散歩、お菓子など、人生の成功に直結しなさそうなものや娯楽は無駄なんじゃないかと頭の片隅で感じ、結局それから離れられない自分に罪悪感を感じながら生きている。
しかし、今の私には基本的な生活ができるほどの健康状態が備わっていないので、いかに苦痛を感じず毎日をやり過ごすかが重要なのである。今何かをしようとしても何もできなくてまた自分が嫌になるだけなので、中身のない時間を溶かしながら座して待とう。
これが家族に黙認されている私はとても恵まれている。その恵まれた環境を生かして、いつかの日のために体力の消耗を抑えて命を繋ぐのが一番合理的なのではないだろうか。思わず頑張り出したくなった時、これを読み返して深呼吸して、本当に自分の気の赴くことなら少しやってみても良いのかなと思う。
ここで大きな目標を立てようとしたのなら、君は焦っている。


最近はあつ森の生き物図鑑コンプと、アジア大会の試合観戦をしている。
図鑑コンプなんてしても第三者から「つむぎちゃんって凄〜い!」と思われることはないし、試合観戦なんてしても数ヶ月後には大半忘れていそうだが、自分が楽しければそれでいいのだ。私はイケメンに興味がないと思っていたが、男子バレーの試合観戦をしていたら6〜7年ぶりにイケメンに心を打たれた。昨日の勝利インタビューで開口一番「ひき肉です!!!!!!!!」と叫んでいた、爽やかイケメン髙橋藍(らん)さん。
彼の周りの空気は澄んでいる。素晴らしいイケメンだ。
彼こそ、勉強も運動もできて歌もうまくて(本人のYouTube曰く)家族関係も良くて友達も多い秀才だ。
こういう人も一応私と同じ人間だと思っていたが、違う。同じ生物ではない。全く違う次元の人だ。
YouTubeの普及でテレビの世界の人の人間性がわかるようになってきたが、決してそれは自分と比較するために存在するものではない………
ワールドカップ男子バレーはあと2日続く。日本はパリ五輪の出場権を得るのかが気になるという建前で今日も髙橋藍を追いかけようと思う。

ひき肉ですの髙橋藍さんとイケメンの髙橋藍さん

よく雄叫びをあげる西田さんも面白くて好き。

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