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逃げ

1年前に恩師に言われた言葉が脳に焼き付いている。
「あなたは逃げしか知らないんだ!鬱などなんだの言って今までそうやって逃げて生きてきたんだ!」

確かに私は精神障害者かどうかで言うと違う(と、医者に言われている)。こんなことになった原因は複雑に絡み合っているとはいえ、結局のところはモラトリアム的なものも大きいと思う。
診断レベルのうつ状態ではなく、その他の病気も今は軽症だと思う。薬もあってないようなものだ。
それでも病院は私を離さない。見守りは必要らしい。健常と障害の境にいるところが私の生きづらさの1つでもある。


受験と引越しのために色々動いているので気が張っている。記念受験は終えたが、丸1年後に受験を控えているので気が抜けない。そのためなのか感情が安定しない。一日の中でハイとローを何度も行き来している。軽めの躁鬱くらいの振れ幅と言っても過言ではない。
全能感に襲われて国立受かるんじゃないかなと思った後には、親に向かってkrしてくれと言いそうになる。人間、健康になれさえすれば有り得なくもないのが病的とも断言できない部分だ。
否、今を生きろ。全てを鑑みて考えるととても現実的ではない。


今日、新幹線で都心に行く。
ハイな時に1日でライブに2本行く計画を立てた。2日目にはフォロワーとオフ会をする。
大事なことを終えたあとのオタ活を本気で楽しみにしていた。
しかし2日前から調子を崩し、ホテルをキャンセルすることにまでなった。どうにか持ち直したので出発時間をずらして今向かっている。宿どうするんだろ!ガハハ〜


果たして私は向き合うべき事から逃げているのだろうか。楽しみなことすらできないと思ったほどの倦怠感を甘えと言われてしまうと…………(逃げも甘えも同じですよね?)


確かに私は不登校になったが、嫌なことの全てから逃げてきたわけではない。何度も高校を辞めようとしているが、辞め「ようとし」ただけだ。小中高で不登校になると日本人の誰もが持っている成長の機会を失う。それが怖くて、毎日何かしらを得られるように努力している。正直、通信制の中では能力がある方だと自負している。ナメられて生きているだけに実はプライドが高い。社会的にギリギリ許されるところでぶら下がっていると思いたい。

冒頭に出てきた恩師は中学時代に大変お世話になった方だ。変わった人だったので一部の生徒からは避けられていたが、私は学校に行くたびに何時間もお話した。
私に居場所を与えてくれ、私に人生と向き合うきっかけをくれ、数々の気づきを与えてくれ、正直私の基盤を作ったのは親ではなくこの人だと思う。
教祖のような慕い方をしていた。無意識下でこの人に嫌われたら終わると感じていた。別れてもう4年経つが、この文章をネットに投下することでさえも恐れている。

正直昔から、それは違うだろと感じる発言をちょこちょこ聞いてきた。は?と思うことで説教されたこともある。時間が経てば意味が分かるのかなと思って納得したふりをしたが、今となってもわからない。恩師も私も発達障害なので、お互いの発言の全てを真に受けてはいけなかったのだと思う。心底反論したくなった時が自立のチャンス?!

今新幹線に乗っているが、新幹線の中でも手荷物チェック無限ループをしていて迷惑な人になっている。許せ、都合のいい時だけ俺は患者

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忘れられない先生

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