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『旅猫リポート』と『少年と犬』どっちも読んでどっちも尊い

猫か犬がほしい。家にいる時間が長いと、特に思う。彼らと一緒に生活するというのはどんなだったかをシミュレーションするために、この2冊を読んでみた。

2作品とも、野良だった猫と犬が、それぞれ人間と日本国内を旅をしている。そういう意味で、はじめは似たカンジかと思ったのに、読み進めるととても対照的だった。あらゆる点において、である。

1.有川浩『旅猫リポート』(2017)

猫のナナは、野良で大怪我を負ったときに助けてくれた優しい青年・サトルと生活している。

ところが、サトルはナナを手放さなければならなくなってしまった。引き取ってくれる次の飼い主を求めて、サトルはナナを連れて懐かしい知人を訪ねる旅に出る。

主人公の”僕”は猫のナナだ。女の子っぽい名前を付けられたけど、野良育ちの強さと自信があり、どこでも自由に振舞う。もちろん、人間や犬よりも猫の方が動物として格上だと思っている。

行く先々でナナは自分と出会う前のサトルの過去を知っていくけど、サトルには「なんで今?」と思う悲しいことがたくさん起きていた。それでも、サトルはいつでも優しい。

最後まで読むと、サトルの人生と猫の人生の、どこがどれだけ違うのかという気がしてくる。生まれて、名前をもらって、誰かと生活して、引っ越しをして、旅をして、事故や病気にみまわれて、いろんなものを見て、年をとる。

ナナとサトルが一緒に見たものは、それが並んでいるだけでとても尊く、キラキラしている。

北海道のだだっ広い地面。
道端に咲く紫と黄色の力強い花々。
海のようなススキの原。
草を食む馬。
真っ赤なナナカマドの実。

前後関係や意味はいらない。猫を飼うというのは、そういうことだろう。

2.馳星周『少年と犬』(2020)

2011年秋、仙台の震災で職を失った男の話から始まる。生活のために犯罪まがいの仕事をしていた男は、ある時、ガリガリに痩せた野良犬・多聞と出会う。見た目は、シェパードに和犬が混ざったような牡だ。

男は、賢く躾けられた多聞に惹きつけられ、ずっとそばに置いておきたいと思う。でも、多聞はいつも南の方角に顔を向け、何かを求め、どこかに行こうとしている。

視点は常に人間で、多聞の語りになる部分はまったくない。完全に客観的に犬の様子が描かれている。

多聞は人間をよく観察し、理解しているようだ。反対に人間は、言葉でのコミュニケーションができないから、多聞の過去や何を求めているのかは想像するしかない。本当のところは最後まで分からないという関係が、リアリティがあっていい。

旅の途中に多聞が出会う人間は、他の人間と集団を形成しているのに、どこも上手くバランスがとれていない。リーダー格と思われる男性が、状況をコントロールできなくなっている。

栄養失調や怪我でギリギリの状況に追い込まれても、次の群れを確実に見つけて目的地に進む多聞とは、現実の把握力や判断力に、圧倒的な差がある。それに、行動を共にする人間の心に寄り添う優しさがある。

多聞の長い旅の目的とそのラストを読んで、ずるいなと思った。犬から期待が裏切られることは、絶対にないのだ。温かく守られている安心感と、集団の中でも、独立した存在として誇り高く生きるカッコ良さを感じさせてもらえる。

どうして犬と暮らす喜びを忘れていたのだろう。犬が与えてくれる愛や喜びを、どうして思い出さなかったのだろう。

作品の真ん中くらいにあったこの文章が、読んでいる間の感想そのままだった。


もう何年も前からずっと思っている。本当に、猫か犬が欲しい。

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