「色々な方の力をお借りしながら、このお寺を守って行きたい」 八向山 積雲寺 2/2
母を安心させたくて
私が僧侶になろうと決意したのは、今から十二年前、大学生の時でした。
突然、母が末期がんだと告げられたのです。治療は対処療法くらいしかできないほどでステージ4まで進んでいました。これまで沢山苦労をしてきたから、きっとそのせいで病気になったのだと思いました。その時です。母を「安心させたい」という想いもあり、誰にやれと言われた訳でもなく、自分自身の意思で僧侶になろうと決めました。母が生きてる内に、決意のすべてを母に話をしました。「私がお寺を継ぐから」「頑張るから」と。
その後、母は五十六歳という若さで亡くなりました。
人の集まるお寺に
私の感覚で住職になるのは五十歳くらいだと思っていましたし、まさかこの歳で住職になるとは考えてもいませんでした。私は今三十四歳ですが、最上郡内でおそらく一番若いと思います。
まだ晋山を終えたばかりですが、今後は「人の集まるお寺」として、坐禅会やコンサート等、何らかの行事も行って参りたいです。色々な方の力をお借りしながら、このお寺を守って行きたいと考えています。
お寺での仕事は葬儀や法事が基本ですが、祈祷や様々なお悩みの相談にも応えて参りますのでお電話でも構いません、いつでもお気軽にご相談下さい。
正月三が日は朝六時から檀信徒様への「三朝祈祷」も行っております。ぜひお越しください。
閻魔堂(旧観音堂)
新庄藩9代藩主戸沢正胤(とざわまさつぐ)が死去した際、埋葬するにあたり御霊屋(みたまや)の拡張が必要となったことから、1859年(安政6年)に11代藩主戸沢正実(とざわまさざね)によって建替えがなされ、解体された旧御霊屋が積雲寺に移築されたと伝えられています。
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