バンドマンのエレジー20

■バンドマン、照れ臭く黄昏■

前回の続きである。
今回は私のライブにおけるスタイルについてである。

そんなこんなで本格的に歌を歌うと決めた私は、とりあえず大さんと同じスタイルで始めてみようと思い立ち、
父親の持っていたアコースティックギターを手に取った。

いつぞや書いた、いわゆるアコースティックの弾き語りのようなスタイルではなく、静けさなど皆無のいわゆる弾き叫びのスタイルだ。
ギターのストラップを伸ばし腰よりやや下に低く構え、まるで往年のロックスター達がレスポールを構えるかようなポジションだ。
強烈な憧れをそのまま再現するのが私のプライドでもあり、今でも一貫してこのスタイルである。なんなら当時よりももっと低い位置までギターの位置を下げている。
カッコつけてなんぼ。私にとっては、どんな音楽をやるかよりも大切な事だ。
しかしそればかりが先行してしまえばもちろん結果には結び付かない。理想や憧れというものは、時に人を非常に愚かにさせるものだ。

そんな愚か者の一番最初のライブであるが、正直全く覚えていない。頭が真っ白になりまともに話す事も出来ず、ギターと歌詞を間違えないようにするので精一杯だった事が唯一の記憶で、思い出すのも億劫だ。
派手なステージングをする余裕もなく、ただただ棒立ちのままで初ステージを終えた。
盛大に出鼻を挫かれた若きインチキロックスターは早くも二度とやりたくない気持ちになったが、
逆立てたモヒカンの印象に違わぬ謎の行動力でずうっと先までガンガンスケジュールを入れてしまったがために辞めるタイミングを見事に失ってしまった。

あれだけ一念発起して始めたこの弾き語りというスタイル、完全に舐めていた。
大さんには大変失礼な話になるが、どこかで「あのピンクのオッサンに出来るんなら俺にだって出来る」とたかをくくっていたのだろう。
弾き語りの過酷さなど毛ほどもわかっていなかった筆者は、ヒーヒー言わされながらスケジュールをこなしていき、
半ばヤケクソになってどんどんライブを決めていった。

そんなトラウマで始めの内は間が怖かった事もあり、歌っている時間とどっちが長いのかわからないほど大してうまくもない喋りに重きを置いていた。持ち時間を大幅にオーバーしてライブハウスの店長によく怒られていたが、
続けていくにつれてライブのMC、つまりトークに置ける重要性がわからなくなりだんだんと短くなっていった。
多少CDや自主企画や新しいリリースとツアーの告知など、重要な話を申し訳程度にはしていたものの、
良いライブさえしていれば気になったなら勝手に調べてくれるだろうと大いに振り切った方向へ向かってしまい軌道修正は出来ないままだ。
気づけば最初の自己紹介から最後の一言の挨拶以外、全く喋らず一切間を置かないライブスタイルになってしまい、オマケにへらへらするのが嫌だという理由からライブ中に笑顔を見せる事もほとんど無くなった。
もはや持ち時間の中で何曲出来るかが肝だと言わんばかりに必死に生き急ぐステージを作り上げてきたのだ。

さすがにこのご時世、自分からも発信しないと誰の目にも止まってくれないような情報過多の世の中なので、
プロモーションを怠け続けたツケが今見事に回ってきている。ライブ中の無愛想な態度としかめっ面も相まって、話しかけてくる方など稀だし人気など皆無に等しい。
しかし、これは10年以上続けてきた中で自分が一番カッコ良いと思ったスタイルを手探りで探し続けた結果だ。
まだ発展途上の若輩者であるが、私はこのスタイルが好きで誇りを持っている。
たくさんのライブハウスにお世話になり、たくさんの旅の中で手に入れた戦闘力を惜しげも無く発揮し立ち向かう。
こうしてきたからこそ巡り会えた縁もたくさんあった。
もちろん売り上げや集客などの数字に全く反映出来ていないので端から見れば私は十分負け組であろう。
しかし、これが私のステージなのだ。ごちゃごちゃ言うならかかってくれば良い、それが出来なければ黙っていれば良い。
誰に文句を言われようとも力ずくで叩き伏せる、それが今現在の私のやり方だ。

私の名前は、
アコースティックパンクロック・小倉"モッフィー"北斗。
初代アコースティックパンクロック・小林大輔から託された二代目の看板と引き継いだ魂を胸に、
彼とは少し違う戦い方で同じプライドと闘志を持った誇り高きバンドマンだ。
大さんと出会ってしまったがばかりに全く金にもならず大いに人生を狂わされてしまったが、
大さんに出会ってから戦い抜いた時間のおかげで、この歳になってやっと、私はほんの少しだけ自分の事を好きになれたのであった。

「ところで大輔の兄貴。
これだけ長々とやってきて一向に三代目が現れる気配が無いのですが、
やっぱり俺達、もうちょっとポップな見た目で売れ線に走った方がよかったんじゃないですかね?」

大さんに聞かずとも答えは一つだ。
私の代で、この売れないバンドマンの負の連鎖は絶ちきった方が後続のためだ。
そしてお互いに、もう手遅れなのだから諦めるしかない。
なんて、こんな話をまた酒でも呑みながら大さんと夜通し語り合いたいものである。
彼の好きな緑茶ハイを片手に、遠い空の下で今日も静かに私は呑むのだ。

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