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大卒後、無職2ヶ月。22歳、私の心境

私、社会を舐めているのかもしれないと思う。


大学生の時、アルバイトは3カ月しか続かなかった。

自分では動けていると思ったのに動けていなかったようで、パートの人から動けよって大声で怒鳴られて、罵声浴びせられたし。心と身体が思うように動かない時期なのを分かっていたけれど、社会経験積もうと思ってどうにかアルバイトを始めた大学1年の夏のこと、間違いじゃなかったと信じたい。

だけどそれがあって社会って怖いと言うのか、大人って怒鳴るんだなって塞ぎ込んで。まあ当時は、とにかくうつ(?)状態重くて、周囲の誰も信じられない時期だったから、別にアルバイトの出来事が特別、心への影響を受けた訳じゃないとは思う。

それから2年半くらいして、

今度は180°方向転換してwebライターの案件取って、記事書いてお金をいただく経験をしたことも、数カ月あった。ライブチケット2回分いくかどうか、くらいだった。だけどそれ以上に、自分の言葉で対価が得られる経験は、自分の中でも大きかったなと思う。

ちゃんと学業との両立は自分なりにしたから、許して欲しい。成績も優秀賞取れなかったけれど保った方だと思うし、卒業も目標通り、4年でした。

でも今は無職。

4月から無職になって2カ月経過した。大学生の時だって心身の不調がありつつもなんとか耐えたし、すべては卒業のためだって思って、最後は意地と根性で行動していた。多分、卒業してからはなんかもう全部、疲れたんだと思う。

動かなきゃいけない。

疲れた、で休んでいるなんて、大卒の20代に許されるはずがない。毎日昼まで寝ている私はおかしい。早く、自立しなくちゃいけないのに。今の私は親の経済力に甘えている。体たらく。

「居るだけでいい」なんて親に言わせて、

本当何しているんだろう私は。親に甘えている。親の愛情に甘えている。私にはそんな価値なんてないのに。愛されちゃいけない。私のような人間にはそんな価値無いから。

でも相手の愛を拒絶するのは相手に失礼で、それも違う。親からの愛を、ちゃんとそのまま受け取りたい。そう思えるようになっただけ、過去と比べて成長していると思う。生きるってそういうこと。考え方が変わるのは変でも何でもない。

どうしてこんなに苦しいと思ってしまうんだろう。

環境には申し分ないはず。周りの人にも恵まれているのに。こんな程度で苦しいなんて。

「私は社会のこと知らない甘えているやつで怠け」と、誰に言われたわけでもないのにそう思って、勝手に担いで落ちているの、本当に滑稽だよなと思う。

確かに社会のことは無知。

でもだから知ろうとしてる。何もしてないわけじゃない。政治のことだとか経済の仕組みだとか、図書館で本借りては、自分なりに吸収して、学んでいるつもりなの。

地域の図書館のありがたさを、

今になって痛感している。だって無料なんだもん。流行りの本じゃなければ、大抵予約するか待っていれば、そのうち読める。図書館に行って本棚の周りをぐるぐるして、目が合った本を読んでみると言った、偶然の産物もあるし。時間だけはあるから、こういうことができるんだ。

この2カ月、小学生だった頃の私と同じくらいに、今の私は読書している自負がある。(小学生の頃、所謂「本の虫」だった私。6年生の時、1年間で10000ページ読んでいたのが密かな自慢)

大卒の無職って言うのが

どうしようもなく自尊感情が持てなくて、自己肯定感もない。でも気軽に連絡とれる友達がいて、親はこんな私を愛してくれる。それって当たり前じゃない。

死にたいし消えたいけれど、それは傲慢なのかもしれないとも思う。そう思うのが悪いとかそういうことじゃなくて。

それに、死ぬ前にしたいことあるし。

瀬戸内海を一望したい。穏やかな海を、もう一度この目で見たい。モネとゴッホの絵を見たい。大学時代の大好きな恩師と一緒に、ご飯食べに行きたい。友達に会いたい。大事な人に会いたい。

親の経済力で生活させてもらっている以上、必要最低限以外、お金使うことなんてあっちゃいけないから。だからこれらはちゃんと、自力で稼げるようになってから叶えたい夢達として挙げておく。


感情の殴り書きを読んでくださってありがとうございます。

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