見出し画像

卒業した推しへ、心からの想い

先日、こんな記事を書いた。タイトルの通り。でもそんな、どこか見透かしたような小綺麗な言葉、今の私には似合わない。

だって、寂しいんだもん。涙が止まらないんだもん。


私は、日向坂46と言うアイドルグループの推し。

そのうちのメンバーの一人、一期生の潮紗理菜(以下:紗理菜ちゃん)が、12月9日をもって、グループを卒業した。


今の私は、紗理菜ちゃんの「卒業」と言う2文字を、心の底から、受け入れられていない。

やっぱり推しの卒業は、何人見送っても、慣れるものではないんだなあって、改めて思う。


今日更新された、紗理菜ちゃんや、先日からのメンバーのブログを読んで、私は幾度も泣いた。紗理菜ちゃん本人の、メンバーそれぞれの思いの丈が書き綴られていて、涙なしには読めなかった。

それは表面的なことではなく、きっと心からの想いだと思った。

だからこそ、ブログを読んでいた私の胸が熱くなったし、心が動いたんだと思う。泣いたんだと思う。


紗理菜ちゃんは活動当初、一部の人達から心無い言葉を浴びせられて、周りの人からの声や言葉を聞くことが怖くなった、とドキュメンタリーか何かで話していたのを、よく覚えている。その時には、アイドルやめたい、と事務所に申し出たことも。でも結局、やめないことを選択して。結果、今に至っている。

7年半のアイドル活動に加えて、紗理菜ちゃんは、ラジオのパーソナリティーも務めていて。毎週火曜日深夜は、紗理菜ちゃんの声を聴きながら眠りにつくと言う、私にとってこれ以上ない、至福のひと時を過ごさせてもらっている。


私は特に、ラジオで紗理菜ちゃんが話す「言葉」が好き。

例えばリスナーからの相談に対しても、一言一言、いつもすっごく慎重に言葉を選んで、でも芯の通った言葉を伝えようとしてくれているのが、聴いていて、とっても伝わってくるから。

私が、紗理菜ちゃんの言葉に救われたことは、一度や二度ではない。

紗理菜ちゃんだってきっと、アイドルと言う仕事をされていた中で、私なんかには到底、想像もできないような、辛いこととか苦しいこと、もどかしいこと、葛藤が、沢山あられたんだと思う。

でもそれを乗り越えて、こうして言葉にして、少なくとも私に、伝えてくれる。想いを届けてくれる。

卒業して、ラジオがどうなってしまうのかは、まだ分からないけれど。できることなら、私は紗理菜ちゃんの言葉を、まだまだ沢山聴いていたい。

私は紗理菜ちゃんが届けてくれる言葉を受け取って、それを自分なりに取捨選択し続けて、行動できる人で在りたい。


紗理菜ちゃんの卒業が、私にとって寂しいのは確か。これからも、数日なのか数週間なのか、引きづることも確か。


それでも紗理菜ちゃんは、同じ空の下で生きている。

これもまた揺るがない、確かな事実なんだ。


私は日向坂46が好きで、同じくらいに、潮紗理菜、と言う人間のことが好き。卒業おめでとうって、心から言えるようになるのは。正直、もう少し先になっちゃうと思う。

でもこれからも私は、紗理菜ちゃんが好きなことに、変わりはない。


読んでくださってありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?