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手帳を取りたい

「障害者手帳を取りたいなと思っています。」今日の通院時。私は医師に、はっきりとそう伝えた。

「障害者手帳を取ろうかどうか」と言う、私の予てからの迷いに決着をつける時が、いよいよ来た。6月以降、昨年認定がおりた自立支援医療の、更新手続きをする必要がある。その際、地域の保健センターへ伺うので、手帳の件についても話をさせていただこうかなと思っている。


私は、精神障害者保健福祉手帳を取得したいと思っている。

実は数年前から、ずっと悩んで迷っていた。noteでも初めて書く内容だと思う。昨年、自立支援医療を申請した時、手帳を一緒に申請しますか?と聞かれた時には逡巡した。

加えて、私自身が大学で社会福祉を専攻していたからこそ、授業では障害者手帳の存在と、それを持つことが意味するものについても、何度も目にしていたことも大きい。

怖かった。いや現在進行形だ。今も怖い。

何が。昨年、自立支援医療申請の際に医師に書いていただいた診断書には、はっきりと「障害」と明示されていた。それを見た時、分かっていたはずなのに、やっぱりしっかりと落ち込んだ。

自分が障害を持っていると認めることが、私は怖いんだろう。精神障害と聞いて、イコール「怖い」と偏見を持っていたかつての自分と、今の私は違うと信じたい。でも根本は変わっていないのかもしれない。

例えば、ヘルプマークをつけている人を見ると、

やっぱり自分とは「違う」人って思ってしまうし、でも私だって自分が付けることを選んでいないだけで、十分その対象範囲にはなり得るのかもしれないし…とか。

勿論、ヘルプマークの意味は分かっているつもりだ。生活する上で困りごとがあって、もしもの時に、他の人の助けを借りる必要性が高いこと。大概は間違っていないと思う。

それは健全な意思表示だと思うし、前提として、それで差別だとかは一切しない。頭ではそう思っているのに、気持ちが付いていかず、上述したようなことを思ってしまうのを自覚している。こんなふうに思ってしまって、ごめんなさい。

でも、自分と違うと感じるのは、別にヘルプマークをつけている人に限った話ではないはずだと思う。だから悪いことではない…と、自分を正当化しているだけなのかもしれないが。

ただ私は、ヘルプマークをつけていようとなかろうと、困ってるのかな?と思っている人を見かけたら、国籍関係なく声を掛けるし、声を掛けられて助けを求められたら、快く応じる。

高校生の頃から、なぜか駅で、外国人の方に声を掛けられることがしばしばある。そんな時はいつも、カタコト英語+身振り手振りで、どうにか乗り越えてきた。道案内とか、観光で来たから写真撮って欲しいとか。英語できないなりにも要望を汲み取る力が、年々ついてきていると思う。

大学生の時には、帰宅途中だったかに駅構内のお手洗いに寄った際、壁にもたれかかるように座り込んでいた人がいて、私が用を足した後も同じ体勢でいた。

よく見ると、その人の額には大粒の汗があって。これは何かおかしいぞと直感で思って、私はしゃがんでその人と目線を合わせて、「具合悪いですか?係の人呼んできましょうか?」と思わず声を掛けたこともあった。駅の職員さんを呼んで駆けつけていただいた。軽い貧血のようだった。

あの時は夏序盤、と言う感じで、内外の気温差が激しかったり、身体がついていかないとか、あったのかも。

結果、職員さんと座り込んでいた人双方から「ありがとうございます」とお礼を言われて、少々狼狽えた私は、何と返せばいいのか分からなくなって、笑顔で「いえいえ!」と言って、その場を去ってしまった。

とは言え、こういうことをするのは、自分の心身に余裕がある時に限ってしまうけれど。それでも、しないよりはいいと思うし、自分のできることをできる時にすればいいと、私は思っている。

人の為の行動は、巡り巡って自分に返ってくると、私は信じているから。一種の信念なのかも。

かく言う私も、

大学3年生の時、通学途中に乗り換え駅のホームで立ち眩みを起こして、車いすで救護室に運ばれた経験がある。心身ともに体調不良を起こしていた時期に、休まず無理して通学していたから、完全に自業自得なんだけど、その時の私の顔色が、相当白かったみたいで。

と言うのも当時、しゃがみこんでいた私に声を掛けてくれた年配の女性(今でも覚えている)に、少し経ってから「顔色ちょっと戻ってきてよかったわ…すごく白かったから心配よ」と声を掛けていただいた。

申し訳なく、また有難かった。迅速かつ親切に対応してくださった駅員さんと、声を掛けてくれた女性には、本当にお世話になった。この場を借りて、心から感謝申し上げます。

まあそんなことがあって、

まとめ方が雑なのだが、だから私は未だに、障害受容と言うものをしている途中なんだと思う。精神科通院3年が経った今、遅いなあって思うけれど。三歩進んで二歩下がる…的な。

結果的に後退はしていないから、まあいいやと思っている。手帳を持つことは恥でもないし、こちらが言わなければ、相手は私が保持しているかどうかなんてわからない。

もし持てたら、東京都の場合、指定の公共交通機関の割引とか、対象の美術館や博物館の入館料が割引になるらしい。将来的に、障害者枠での雇用とかも選択肢として入れられるのかもしれないし。(これに関しては医師も同じように仰っていた)

こう考えてみると、今のところは自分にとってのデメリットって無いなって思う。そうすると結局は、昨年の自立支援医療申請の時と同じで、自分の勝手な思い込みだったのかもしれないと思う。まあそれが分かっただけでも今は、随分成長かな。



思いがけず長文になってしまったのだけれど、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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