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溢れる2つの想い

父親の勤労周年記念日である今日。記念に立食パーティーが都内の某式場で執り行われ、両親揃って、おめかしして出掛けている。

昨夜、日付が変わってすぐに、私は父親にLINEを送った。勤続おめでとうと、これまでお疲れ様、それからここまで育ててくれたことへの感謝の意を込めて。

朝になって父親から返信が届いた。「ありがとう」「嬉しいよ」の言葉とともに、

「家族があって、支えてくれたから」
「家族を大切にしたい、守りたい想いで、ここまで辿り着く事ができた」
「親には子を扶養する義務がある、同じ事をするなら良い物にしたい、伝えたいと思った」
「美咲なら大丈夫、出来る」
「自分を信じて進んで行ってね。頑張りすぎず休み休み行こう」

父親からの返信を一部抜粋

このようなことが書かれていて。

この言葉達を目にした時、私の心はじんわりと、温かいもので溢れて、いっぱいになった。嬉しいとは、また違う。何だろうこの感覚。頼もしさ、とでも言えばいいのだろうか。加えて、私と言う存在を信じてくれていることに対する、喜び?

この感情はきっと、私の心から湧き出ている本心。偽りではないと、はっきりと分かるから。



それなのに。「誰かを守りたい」と言う感覚が、残念ながら今の私には、到底理解が及ばない。未経験なのだから、至極当然だとは思うが。まずもって、今の私には守りたい人がいないし、自分ですら、自分のことを「守りたい」とは思っていないのだから。人はこれを、冷たいと言うのかなあ。

今の私には、守るとか愛するとか、そういう感覚が欠如しているような、そんな気がしてならない。まあ、そういう自覚があるだけ、まだマシなのかもしれないけれど。

そしてまた、私自身が誰かに「守られるべき存在」であるとも、思えずにいる。これに関しては、相手が「守りたい」と思ってくれているのに、私がそう思うのは失礼極まりないなあと、理屈では分かっているのだけれども。

このような感覚を抱いていることこそが、私自身の自己否定の強さや、自尊心が低いことの表れなんだと思う。言葉にすると、それがより明瞭になるなあ。

まあそんなことを思うのは、傲慢で尊大なのかもしれないけれどね。でも今の私には、そんなふうにしか思えないんだよなあ。


読んでくださってありがとうございます。






P.S.
To. 父
ごめんね。こんなこと思っちゃう娘で。きっと悲しませてしまうと分かっているから、実際に口にはしないと決めている。それでもここには、思いの丈を書かせて欲しい。



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