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心の温度

最近の私は、つめたくてあたたかい日々を過ごしている。

前者は自分自身の、人に対する心の温度。後者は、人が自分にくれる言葉に対する、私の心の温度。

何をしても協力しない人は存在する。どうしてって思うけれど、もうそういう人なんだって、諦めるしか他に、方法がなくて。協力しない人に対する、私の心の温度は氷点下。まあでも、一部の協力しない人達がかましてくる「無視」と言う行為は、今に始まったことじゃないよね。卒業したらどうせかかわることなんてないんだし。友達が言ってくれたように私もそう思うことにして、なんとか心の平穏を保とうとしている。そう例えるならば、ぐらぐら、ゆらゆらと。今の私は、心の火が揺れている。

だけど。そんな私の奮闘を見てくれている人達の、私にかけてくれる数多の言葉は、あたたかい。秋の夜に焚く、火のように。それに対して「こんな私にこんなあたたかい言葉をかけてくれるのか」と思いつつも、素直にその言葉を受け取ろうと思う私がいて。

ここ数日の私と言えば、「溜め込まないでね」「美咲は悪くないよ」って言ってくれる人が居ることのありがたさを、ただただ噛み締めて過ごしている。

私はどうしたって「頑張ってしまう」人間なんだと、気付いてしまった。と言うのも私は、「手を抜く」ことがまあ、笑っちゃうほどに、できなくて。これでも「手を抜かなきゃ」とは思っていて、それを意識して、取り組んでいるのだけれど。それでも周りから見たら、私の取り組みは「頑張っている」に当てはまるようだ。手を抜くって難しいな。

でも最近、ふと思う。別に、無理にそうしなくてもいいかなって。頑張っちゃうのが私なら、無理に手を抜くことは、そんな自分自身を否定することになってしまう。それは嫌だなって思う。私は、自分で自分を、認められるような人間で在りたいと思っているから。ただそれで「感情を爆発させるところまで独りで溜め込む」ことだけは、しないこと。そのせいで、友達に、いらぬ心配かけちゃったでしょ今日。同じ失敗は二度しない。それが私だから、しっかりとここに、書き留めておく。


怖いのは、当日を楽しめないこと。

当日、友達と過ごす時間を楽しむ余裕を、私は持っていたい。だって、本当は私、クラスアワーを楽しみたいと思っているはずなんだ。今の私は、一部の厄介者達に邪魔されて、本音が見えなくなっている感じがする。友達が言ってくれた。楽しいクラスアワーのはずなのにねって。

そうだよ。本来はクラスアワーって、楽しいものなはず。私だって、同じやるなら、その行事ごとを。馬鹿みたいに楽しんで取り組みたいタイプだ。でも今のままでは、どうしたってそんな、馬鹿みたいに楽しめる感じではない。

クラス委員の仕事だから、義務だから。無事終わらせること、成し遂げること。勿論それも、大切な要素ではあると思う。

でもそれ以上に、その時間を楽しむこと。今の私には、何かを楽しむという感情を、どこかに置いてきてしまっているような感じがしているんだ。楽しむだけが、欠如している。果たしてどこに置いてきてしまったのか。

どうにかして、見つけるぞ。


読んでくださってありがとうございます。

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