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合コンで名前を出してはいけない作家

「書くこと」を意識すると、「読むこと」の意識も変わってきません?というお話(のはずだった、が!)

こちらの記事②より、文章の「アタマ」と「シッポ」を意識する話から。

③の本で紹介されていた、筒井康隆『狂気の沙汰も金次第』を読んだ。

①アタマもシッポもご立派で。

出だしと終わりの書きっぷりが、どれも絶妙。

中身も最高なんだけどさ。

「なぜ、死刑を公開でやらないのかな、と思う」


から、始まる出だし。

タブーに切り込むか、何を言い出すのか……もうよみたくなってしまう。

アタマとシッポといえば、『日本列島七曲り』に収録されているあの短編は、著者の実話だったのね……という衝撃よ。

②エッセイからいつのまにか小説へ、妄想へ。

「すぐれた小説家がすぐれたエッセイストであるケースは無数だ。しかし、すぐれたエッセイストがすぐれた小説家であるケースは稀である」

田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』

この、一文とあわせて紹介されていたのが『狂気の沙汰も~』で。

……たしかに、面白い小説を書ける人は、エッセイも面白い。(村上春樹も村上龍も、林真理子も……エッセイも面白い)

たとえば、性行為を行ったら、顔に線が浮かび上がるなど痕跡が残ったら面白いだろう……という、『証拠』というエッセイ。

受胎したら線が二本になれば、妊娠検査薬いらずで便利だろうなぁ
受胎した瞬間に産休の予定もたてられて、早く引き継ぎに入れて、みんな幸せでは……。

特定の時期だけ線が出ていると、妊活してますと排卵期まで、バレバレだねぇ。

童貞は童貞とばれぬよう、『妊娠線』ならぬ『性行為線』を偽装するための、メイク術なんて編み出されるのではないか。

『性行為線』を隠すために、ファンデーションは厚塗り、という『流行り』もできるかもしれない。

はー、エッセイで、こんな妄想の世界へ連れていってくれる筒井先生、さすがです。

エッセイだろうが小説だろうが、すぐれた文章は客観的に書いて、情景を「伝える」んだろうなぁ。

と、筒井作品を読むたびにこんな妄想ばかりしているので、「合コンでは、筒井康隆が好きなんて公言しちゃダメよ」と母にたしなめられるわけだ。

でも、わたしは、合コンより、筒井康隆が、すきです。

高尚な話とみせかけた出だしで、読書に伴う妄想を言語化するお話でした。

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