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ビールを作るというアート……ではなかった。/Chim↑Pom 個展「A Drunk Pandemic」@ANOMALY

▼現代アートの副作用。


現代アートには副作用があると思っている。それはありとあらゆるものが現代アートであるように思えてきてしまうということだ。


Chim↑Pomの個展を観に天王洲のTerrada Art Complexを訪れたときのこと。先に訪れていた知人から、このビルは通常のエレベーターではなく、搬入用のエレベーターを使って昇るのだと聞いていた。しかしビルの前にはエレベーター故障中の看板が。入口の前は工事をしていて、エレベーターには容易に近づけない。そこで裏側に回ってみると非常階段が。しかし施錠されているため中に入ることができない。表に戻ってキョロキョロしていると、道路からエレベーターに近付くための板が渡してあることに気づく。結局、エレベーターは稼働していて展示スペースまで上がることができた。狐につままれるような気分になった。もしやこれは現代アートの非情さを美術館全体を使って表現したインスタレーションなのではないか⁉と思って後で調べてみたが特にそんなことは書いてなかった。多分、何かのミスである。やれやれ。

▼ビールを作るというアート……ではなかった。


4階にあるギャラリー・ANOMALYで行われていた。“異常”だなんてすごい名前だ。(ちなみに私はANOMALYと聞くと、the HIATUSの2nd Albumを思い出す。)今回は「May,2020,Tokyo」と「A Drunk Pandemic」という2つの個展が開催されていたが、ここでは後者について書きたい。


これはイングランドのマンチェスターで行われた文化イベント「マンチェスター・インターナショナル・フェスティバル」にてビールを醸造し、振舞ったプロジェクトについての展示だ。もちろんあのChim↑Pomなので、ただ美味しいビールを作ったわけではない。まずヴィクトリア駅地下の廃墟でビールを醸造したのだが、そこには19世紀に流行したコレラで犠牲となった人々が埋葬されている。次にイベントの会場内に設置されたパブ(公衆トイレを改造している)でビールをふるまう。来場者はビールを飲み、店内のトイレで用を足す。このパブのトイレの下水道はブリック(煉瓦)工場に繋がっており……Chim↑Pomはセメントブリックを製造。ブリックは街に運びだされ、道路や壁の隙間にはめ込まれていく。


今回の展示ではそうしたプロジェクトの資料映像や、現地で使っていたと思しきビール瓶や看板、ブリックが展示されていた。

▼「A Drunk Pandemic」の怖さ。


アート、特にChim↑Pomの作品が“ハッピー”で“綺麗”なものではない、ということはもちろんわかってはいたけれど、鑑賞後はグッタリ。それはブリックが出荷され、街の一部と化していることに気づかず過ごす人々のことを想像したから。人体が排出した、つまり人間による負の産物の象徴としてのブリックが静かに日常へ侵入してくるのである。でも人々はそのことに気づかないのだ。ゾッとしたと同時に、人間の過去の行いが巡り巡って日常の脅威として現れるのだ、と警告されているような気分にもなった。

▼それでもChim↑Pomを観に行きたくなる理由

はじめてChim↑Pomの作品を21世紀美術館で見たときも、今回の「A Drunk Pandemic」を観た後も、楽しいという気持ちには全くならなくて、むしろしんどいと感じた。それでも私はまたChim↑Pomを観に行きたいと思ってしまう。それは単に見てはいけないものをみたい、といったスリルを求めるような気持ちとはちょっと違う気がする。


私たちは普段、こうしたら人々に喜ばれる、人気が出る、バズる、と社会に合わせて発信することを意識しがちなように思う。SNSをバリバリ使う現代では特に。でもそうなるとマスに受け入れられやすい、安全なものばかりが増えていって、世に出ているコンテンツが画一的になっていってしまうのではないだろうか。それってかなり息苦しい。だから社会に合わせていくのではなく、むしろ社会に対して揺さぶりをかけてくるようなChim↑Pomの作品を見ると、ああ表現ってこんなにも豊かなものだったのだなと安心するのである。

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