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高校生視点で、親が子にやらない方がいいと思うこと5

感情的な会話と論理的な会話のうち、どちらか片方しかやらないこと

ホウレンソウと呼ばれる報告・連絡・相談は、職場だけでなく家庭にも勿論あります。当然に、雑談や提案や主張など、会話には様々な目的があります。なぜ偏るのが良くないと思っているのかというと、同じ内容でも話し手の伝え方で聞き手の感情は変わるものだからです。そして家族や親子という枠組みなら、感情で話したほうが良い事、論理立てて話したほうが良い事、どちらもあるからです。順に説明していきます。

1 伝え方で相手の感情や印象は変わるから。

私自身にとっては少し難しいところですが、伝え方を考えるというのは確かに重要で有用です。難しいと言うのは、伝え方というのは話す言葉だけでなく、表情や身振り手振り、場の空気など様々な内容が複合しているものだからです。感情的な会話は、自分や相手がどう思ったかや、こう感じるのではないかという予想などに重きを置いた会話です。論理的な会話は、物事を客観視して得た数字や事実を根拠としたり、理由と意見がセットになっていたりする会話です。
同じやらかしや行動の事例を一つ取っても、世の中には数多の対処法や声掛けの技法が紹介されています(例:子供が転んだということに対し、痛かったねと共感するもの、次からは足元をよく見なさいと繰り返さないようにするもの、もうx歳なのだから泣くなと言うものなど…)。それらのどれが一番良いか?というのは場合によって変わります。
そして、この相手や状況に応じて話し方を変える、というのには些かのエネルギーが必要です。(無意識に最適なのを選べる人もいるかもしれませんが。)それだけが理由では無いかもしれませんが、子供に対してなら相手の状況を鑑みず会話してオッケーだと考えている方が多いように感じます。それの根本には、大人は子供より偉い、大人は何についても絶対的な正解、子供は黙って従うべきだ、というような考えがあるように思えてきます。端的に言えば、「一部の大人は、大人同士の会話は相互のコミュニケーションができているのに、子供とだと一方通行になっている」ということです。
一方通行ですと、意見や言葉の本質が伝わらず、怒ってる?理詰めされる?といった余分な不安が伝わります。

大人同士では成立しているが、大人と子供とだと成立していないコミュニケーションのイメージ

2 親子関係なら、感情で話したほうが良いこと・論理立てて話したほうが良いこと、どちらもあるから。

いろいろある人間同士の関係ですから、感情的な会話のみ・論理的な会話のみという人間関係もあると思います。前者は例が思い浮かびませんが、後者は研究者やエンジニアとかですかね?違ったらごめん。ですが少なくとも親子関係の場合、感情的な会話と論理的な会話は共存していた方が良いと思います。なぜなら、親子関係ならどちらのスタイルでも会話するべきことがあり、また殆どの子供は家庭を少なくとも生活の基礎的な部分では最重要視していて家庭で心地よく過ごすことは大切だからです。
例えば、楽しかった出来事や怒りなどは感情的に、学校からのプリントについてや人間関係のトラブルの相談は論理的に、などです。ただし、これらのテーマでも違う方がベターな時もそれはあります。楽しかった出来事について話す時に、楽しかったと感情を共有することが目的の場合もあれば、なぜ楽しかったのかと理由を語るのが目的の場合もあります。結局は話の内容も話し方も、複合的な会話の要素の一つ、つまり時と場合に合わせてなのです。
これは断定できる話ではありませんが(そもそも私のnote自体、明確な科学や統計の根拠でなく経験に依るところが多いのでこれに限らずですが。)、この部分がトリガーとなって反抗期になることもあります。子供が親に何か話しても、自分たちが欲しいレスポンスが貰えない、親の価値観で一方的にジャッジされるといった結果になり、子供にそれのフラストレーションが溜まりすぎると、『話さない』という自己防衛モードになったり、あるいは親を攻撃したり、自分の怒りを表明するなどで『そのコミュニケーションやめろ』と表現したりします。そんな方法で表現するのではなく、言葉で普通に「その言い方はやめて」とか伝えれば良いと思うかもしれません。しかし、反抗期の要因が前述したようにフラストレーションが溜まりすぎな場合だと、それまでの経験からどうせ言っても伝わらない、言っても否定されて話にならない等と子供は判断します。また、未成年なら養われている立場なので、親に意見できないから我慢する、という結果に着地することもあります。


親子間のコミュニケーションが問題で起きる反抗(簡略化)の例

これを続けた場合、何が起きるかというと、
・親子の会話が減る
・子供がコミュニケーション下手になる
・子供が会話や雑談やコミュニケーションを軽視するようになる
・親が学校生活を知りにくくなる

Ex

これを書きながらも悩んでいます。ここで取り上げた問題は、親離れ子離れ、自立に必要なプロセスであって、むしろ親子が仲良く話しすぎるのは良くないのでは?と。それに、家庭不和だったのを反面教師にする子供もいると。しかし今のところ自分の中では、「会話とコミュニケーションが取れないのが異常なだけで、話せるのはむしろ健全。」を結論にしています。ご意見あればコメントください。

感情的な会話も論理的な会話も、優劣はつけていません。適している場面が違うというだけです。そして、「これを続けた場合何が起きるかというと」の部分も、これが起きるかもよ、というだけです。そうなったから駄目な関係だ、と終わらせてしまうのではなく、そこからリスタートすることも可能ですよ多分。

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