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突然吹奏楽部の顧問になる(19)

 顧問になって3年目。夏のコンクールが終わって、新体制になりました。 
 新体制になったのは、部員だけではなく、「大人」も。
 合唱は、卒業生で声楽家として活動していた方を指揮者に迎えていました。吹奏楽も、OBの音楽家の方に指揮をお願いするようにしました。
 野球で言えば、私は「GM」。監督は音楽家の方にお願いし、運営は部員。とはいえ、吹奏楽・合唱で100名近い部員がいます。月の部費は1,500円ですから、毎月15万円、年間では200万円近いお金が動きます。間違いがあれば首が飛びます。お金の出し入れのため、授業の空き時間に銀行に行くのも結構大変です。いろいろ限界です。

2月は校長面接(職員評価制度のはじまり)

 その頃、「職員評価制度」が始まりました。
 学校長が教職員に評価をつけます。その評価が、給与にも反映されます。
 また、教員は「自己評価」もします。年度初めに個人目標などを記し、その達成度などを自己評価して校長に提出します。
 2月の校長面談では、学校長がつけた評価をうかがいます。また、次年度の校内分掌の打診もあります。
 2月は、吹奏楽・合唱ともにアンサンブルコンテストがあり、どちらも全国大会出場を決めました。合唱は2年連続、吹奏楽は初。やはり、プロの指導というか、F高校の生徒さんの「実力・能力レベルにふさわしい大人」に出会えば、その能力が無限に出てきます。
 F高校のような進学校の生徒さんは、「登るべき山の高さ」を明示すれば、あとは勝手に登るんですね。ただ、登山の途中で高山病になったり、転んでけがするときもある。その時「治療・転ばない歩き方の技術指導」が必要。それができるのがプロの音楽家。その音楽家はF高校の卒業生。F高校の資源を集中すれば、全国大会までコマを進めるのも、ある意味で「必然」と言えます。
 二つの大会がおわったところで、私の面談が行われました。
 主な話題は、私の異動希望。校長は、残留してほしいそうです。
 要するに、合唱・吹奏楽それぞれに副顧問をつけるから、顧問を続けてほしい。副担任でよいので3年生の授業・課外講習を担当してほしい。
 また、全国大会出場を果たしたことで、県の「優秀教員表彰」に推薦したいと言います。その手は桑名の焼き蛤です。

学校長には感謝も恩もありますが、その人にお断りを告げないといけないつらさ

 4月に赴任した校長は、学校を明るくし、生徒たちを前向きにし、働きやすい職員室にしてくれました。トラブルの多かった吹奏楽・合唱部の活動にも理解を示し、生徒たちの演奏に耳を傾け、励ましてくれました。
 この校長先生と一緒に働きたいとも思います。
 しかし、限界なんです。そして、最も理解してくれる人に、最も不義理なことを告げなければいけない…。
 まず、優秀教員については丁重にお断りました。教頭が信じられないという顔をしていました(笑)。
 基礎合奏を教えてくれたM高校のN先生が、昨年、優秀教員表彰を受けています。3年連続で吹奏楽コンクール全国大会に導いた功績です。とてもよろこばしい出来事です。
 私の場合、夏のコンクールではありません。アンサンブルコンテストの全国大会です。指揮者のいないアンサンブルコンテストは、100%生徒の実力です。あと、合唱は2年連続の全国ですが、吹奏楽は初。
 つまり、N先生とは結果も内容も全然違います。そんなわけで、私がN先生と同じ表彰を受けるわけにはいきません。また、表彰は「部活動枠」だそうです。つまり、「吹奏楽部の顧問として優秀だから」という表彰…。違います、私の指揮者としての能力がないから、地方大会銀賞だったのです。
 教頭がこんなことを言いました。
 「君も、将来管理職になるんだったら、優秀教員表彰はそのパスポートになる。また、吹奏楽連盟事務局などの担当をすることも、実績・評価になる。もう少し、F高校で、今のまま頑張った方がよいぞ」 
 たぶん、これが「公立学校教員の標準的価値観」なのでしょう。
 しかし、私の価値観はそうではありません。
 重ねて、ご辞退申し上げました。

「そもそもの違い」がわかってくる

 進学校の3年生担任で課外講習も担当している。
 吹奏楽・合唱の顧問として指導にあたるだけでなく、事務局も担当している。優秀教員表彰の対象になるような成果をあげ、さらに卒業生を含め、多くの音楽家・地域などとのつながりもある。奥様も音楽家で、夫の部活動に理解と協力とを示している…。
 学校長にはそう見えているようです。また、教頭は管理職を目指すなら「これくらいで倒れてるんじゃない。もっと働け!」だそうです。
 しかし、実際はちょっと違います。
「少し前、国公立大学の進学実績が大きく下がって以来、3年生担当を希望する先生が減った」
「進学体制強化のために、芸術科目を講師に切り替え、普通教科の専任教員を増やした。その結果、音楽の部活動を指導できる先生がいなくなった」
「経験のない部活動でも、顧問になったら覚えるのが教員だ」
「生徒指導の多い中学校に対し、高校は楽。しかも優秀な生徒が集まる進学校なら生徒指導がなく時間があるだろうから、事務局よろしく」
「予備校で働いていたんでしょ。では、課外と小論文よろしく」
 つまり、みんなが嫌がることを押し付けられ、その穴埋めをしているんです。それを…
「4年連続で3年生で進路指導担当。また、部活動では事務局まで担当している。そこまで頑張るのは、将来偉くなりたいんだよ、きっと」
 と言われるのは、本意ではありません。
 そもそも、文学研究に挫折して、仕方なく教員になった「でも・しか教師」です。強いて志と言えるのは「文学研究の底辺拡大」。「就職率」ではなく、「研究機関としての大学」に魅力を見つけて進学する高校生を増やすこと。また、音楽の先生がいない高校なので、高校生と音楽家とをつなぐ窓口が必要。そこに、「吹奏楽・合唱の顧問」の役割を見出している。それだけ。
 「それ以上」は望んでいません。
 私が望んでいるのは、「国語の先生」としてもっと力をつけること。
 それは、F高校ではできないようです。
 異動を希望します。進学校でなくてもよいです。定時制や通信制でもよいです。
 家族一緒に朝食をとれる生活と、妻のピアニストとして活動を支える夫になりたいです。そういう暮らしなら、国語と向き合う時間ももっととれるでしょう。もっとよい授業ができるようになるでしょう。
 それだけです。

面談の終わりに…

 校長は、教頭に、私の発言が間違いないか尋ねました。
 特に、音楽の先生がいなくなって、そこに私を当てはめた経緯を確認していました。ただ、その時、教頭はまだF高校にいません。それは確認しようがないでしょう。教頭は、「それは聞いていません」と返しました。
 校長は私の方を向き…
 「(私)先生は、将来管理職を希望しているのですか」
 「していません。先ほど申したように、そもそも『でも・しか教師』です。」
 「吹奏楽・合唱の顧問は希望ですか」
 「違います。学生時代音楽の経験は少しありますが、指揮や指導などの経験はありません。それで実績を上げるとか、目指せ全国という野望はありません。いわゆる部活動教員ではありません。そう見えるかもしれませんが…。ちなみに、妻は高校の同級生です。音楽活動を通じて知り合ったとか、そういう関係ではありません。念のため(笑)」
 「異動希望に変わりはないですか」
 「ありません。私は、社会人としてのスタートが予備校でした。そこは、個人営業主の集まりで、個々人が腕を磨くことが、自分・生徒・予備校の幸せを導きました」
 「学校の先生になって、組織の一員ということ学びました。そこには、誰かがやらないといけない業務というものがあって、そういうことを命ぜられてた時、引き受けることが学校と生徒さんのためになると思ってやってきました。」
 「F高校に来て、F高校の生徒さんの実力にふさわしい国語の授業をするためには、努力と時間とが必要と考えています。吹奏楽・合唱の顧問を3年間ひとりでやり続けたのは、組織の一員として誰かがやらないといけないことだと考えたからです。幸い、多くの方々に支えられ、何とかここまでやってきました。でも、限界です。国語の力が落ちていることを実感しています。それは、生徒の授業アンケートにも出ているはずです。」
 「もし、私が高校教員として本県に貢献するなら、国語の授業であるはずです。吹奏楽・合唱の顧問として表彰されることは本意ではありません。授業準備の時間をください。国語の教員として生き残っていきたいです。」
 「私の言動が、組織の一員としてふさわしくないのであれば、どうぞ処分してください。その場合、退職金が出る退職扱いにしていただけるとありがたいです。まだ、娘のランドセル買ってないんです。」
 しばらく沈黙があって、教頭がこんなことを言いました。
 「もし君がいなくなったら、吹奏楽・合唱の顧問はどうなるんだ」
 お前が言うかと思いました(笑)。そして、教頭先生にはちょっと恨みもあったので、天丼で返しました。
 「誰かにすればいいのではないですか。運動部より文化部は楽ですから顧問は一人でいいんですよね。経験がなくても、学べばいいんですよね。教頭先生はそうやってきたんですよね。私もそうしてきました。次は、誰かにそう命じればよいでしょう。」
 「あと、私は初任校時代、異動の内示まで受けてから、異動がなくなったことがあります。当時の校長は、その理由を教えてくれませんでした。あとから聞いた噂では、私の後任を見つけることができなかったため、私の異動が消えたということらしいです。そういうことがないようにお願いします」
 「君の後任ができる人、誰かいないか。」
 「それを探すのが、教育委員会のお仕事ではないのですか。私は、自分の後任まで探さないといけないのですか。そこまで業務なのですか」
 
 県の優秀教員表彰を受け、吹奏楽・合唱の顧問を続け、やがて管理職になるという道は、この面談で絶たれました(笑)。
 おかげで、今も生きています。
 妻はピアニストとして今も活動し、娘は大学に進み社会人になりました。
 
                            つづく…

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