もったいない(MOTTAINAI)の精神

 持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)という言葉が巷を賑わす前は「もったいない(モッタイナイ、MOTTAINAI)」がトレンドだった(ように思うが確証はない。根拠もなく偉そうに言い切ってしまって、ごめんなさいね……と念のために謝っておく)。
 正直、SDGsよりMOTTAINAIの方が分かりやすい。理由は、その響きに聞き覚えがあるから。そして流行り出すから実践していたためである。なに、大したことじゃない。宴会やパーティーで食べ残しがあると、残さずにガツガツ食べていただけだ。
 言っておくが、歯型が残っていたり明らかに箸を付けた痕跡のある料理には手を付けちゃいない。盛り付けられたまま奇麗な状態の料理が載ったお皿やお椀を見て「あらまあ、こんなに残しちゃって、もったいない」と独り言を呟きながら黙々と食べる、それだけだ。
 そんな私を人は「意地汚い」とか「食い意地が張っている」あるいは「卑しい人間だ」と言っていただろう。それでも構わなかった。人の陰口を気に病むより大事なのは食べ物を大切にすること。そして食べ物を作ってくれた人に感謝すること。そう思っていた私は、満腹で動けなくなるまで、頑張って食べた。それが感謝を示すことだと心から信じていたのだ。
 そんな気遣いの人である私は、神から贈り物を貰う機会に恵まれた。世間から笑い者にされても食べ物への感謝を忘れなかった善人に神が与え給し物は健康診断のC判定と内科受診の勧めだった。まったく嬉しくないプレゼントである。病院での検査の結果、私は高血圧、糖尿病、脂質異常症といったメタボリックシンドロームあるいは生活習慣病と呼ばれる複数の疾患になってしまったと分かった。フードロスを減らすため子供の頃から精進して成人した私を待っていたのは、成人病による脂肪じゃない死亡宣告だった。このままだと死ぬと医者に警告されたのである。やがて天国に行くと分かっている私だが、それほど早くは出発したくないので、何とかしなければならなくなった。
 体重の減少が大事、とのことで食生活の見直しと運動を始める。「食物を大切にしましょう」から「命と健康を大切に」に宗旨替えした、と言えなくもない。だが地球環境を守ろうという高い意識は不変だし、そのための取り組みもしているつもりだ。私の体重が減ると、その分だけ私を運ぶ交通機関への負荷が小さくなる。私が痩せれば痩せるほど、輸送機器から排出される二酸化炭素が減るはずだからだ。食べ物にも気を遣う。できる限り地産地消の食材を選ぶ。値段が張るので多くは買えないから、結果的にダイエットとなる。地産地消を貫徹するなら遠方の食材は避けたいところだが、そこでしか育たない作物があるのは事実だ。そういった品物を選ぶならフェア・トレードの商品を買う。これも高いから、たくさん買わない。しかし極悪非道の金持ちどもに搾取されず貧困に苦しむ哀れな生産者の懐が潤うはずだから、問題ない。
 これぞ完璧なSDGsだ! と自分でも思う。問題は、私が痩せて健康体に戻れるかどうかだ。もう取り返しが付かなくなっている恐れは多分にある。SDGsの取り組みも、同じかもしれない。長く続いた飽食のために、何をやっても無駄になってしまっているような、嫌な予感がしなくもないのだ。それでも、この歩みを止めていけないのは言うまでもない。滅びの時を遅らせることで悲劇を回避する手段がいつか見つかるかもしれないからだ。それは私自身にも言える。もう手遅れだから暴飲暴食だ! と短気を起こさず、日常の節制を長く続けていきたいのだが……運動すると腹が減るのだ。運動していない不健康だったときより、食欲が増している。健康になると御飯が美味しくなって、毎日モリモリ食べている。そのためだろうか? ダイエットを始めた当初は体重が減ったけれど最近は痩せていない。憂慮すべき事態である。このままではSDGsの達成目標である2030年まで、私は生きられないかもしれない。そうならないためには、もっと努力が必要だ。もっと高い意識で稽古に取り組むのだ! 2030年まで、いや、それ以降も生き続け、SDGsの行く末を見るために、体力づくりと節制に励むとしよう。それが私の、SDGsへの向き合い方だ――と書いてみましたけど、これで一万円分のAmazonギフト券が貰えるのかなあ? と疑問に思います。そこで考えました。取引フェア・トレードをしましょう。私に賞をくれたら、五千円分はバックします。その五千円でSDGsを頑張って下さい。それが私のSDGsへの向き合い方です(自分の分は好き勝手に使わせてもらいます)。

#SDGsへの向き合い方


この記事が参加している募集

#SDGsへの向き合い方

14,687件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?