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心も体も自然のもの

ここ一週間ほど天気が悪く体調が優れない。
体が怠く心も重い。毎日元気に明るく過ごしたいのに、なかなか自分の思い通りに動いてくれない。
これ、自分のものじゃないよなと考えるようになった。
そして意識とか理性って、ありのままの自分に対してある意味ワガママだよなとも。

もっと賢くなりたい、強くなりたい、美しくなりたいとか動物は考えるだろうか?
イチローが昔「動物は筋トレなんかしない」って言ってたけど、本当にそうだよなと。肉食獣が獲物を狩るときはもちろん全力を出すんだろうけど、もっと速く走って効率良く狩りができるように100mダッシュを繰り返すチーターとかいないよね。むしろ腹が減るまでは体力温存のために寝ていたりする。
まあ肉食獣に限らず大概の動物は半日以上寝ているわけで。それが本来動物のあるべき姿で、人間だけが疲労を誤魔化す術を身に付けた生き物だって某精神科医が言ってたな。

なんか言いたかったことと話がずれていってるけど、天気によって調子が左右される心と体は、自分の意識ではなく自然と繋がってるし、むしろそっちに支配されてるよなと。

それに気象病に限らず、例えば普通に働いていると、適切な休息を取らなければ疲労は溜まっていって動けなくなるものだ。これも当たり前の自然の摂理。

そこで愚かな人間は努力とか根性とかいう概念を持ってきて、自分を思い通りに動かそうと試みるのだけど、やり過ぎると心を病んだり体を病んだり自死したり過労死したりという羽目になる。

それでそういう結末を迎えるまで自分を動かそうという思いは本当に自分のものか?という疑問が当然浮かんでくる。
努力と根性なんて教育されないと知ることのない概念じゃないだろうか。社会に、その支配層に都合良く動く人間を作るための美しい言葉。まあ実際、人が一生懸命努力する姿や根性で不利をひっくり返したりする場面には心を打たれるものがある。そこで価値転倒を起こしてしまうのかもしれない。人間が社会的生物である以上、一定の確率で現れる回避不能なバグ。

しかし意識や理性はまず自分自身の状態をモニターして、適切な行動を導き出すために使うべきものだと思う。社会適応なんて二の次で良い。大事なのは健康や命、自分の心や体だろう。

意識や言葉が肥大化すると、早朝出勤深夜残業を繰り返させた挙句病気になった部下に対して、自己管理がなってないなんて妄言を吐く上司まで現れたりする。「体調不良=自己管理不足」という公式だけが頭に浮かんで、そこに至る経緯を考えることは無い。言葉の暴走。冷静になればオマエが自己管理させなかったんだろって突っ込めるんだけど、渦中の部下はそんな余裕も無くなっていることだろう。

そして上司に言われるまでもなく自分で自分をそう言って責めてしまう真面目な人もいるから始末が悪い。

まあそんなわけで?今週はダラダラと過ごしている。何もしたくない時は布団の上に寝っ転がって目を瞑っている。何もしたくない時に何もしないというのは、自分の心身の欲求に従っているので心地良いものだ。努力!根性!働かざるもの食うべからず!というインプットが抜けない人にはつらい時間かもしれないが。

人間は自然には勝てない。そして心と体は自然と繫がっている。意識や言語は社会と繋がりがちだ。意識や言語をもう少し自然に近づけることが出来ると、生きるのが楽になるのではないかと思う。



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