【連載小説】『陽炎の彫刻』序

手記を受け取った君へ

 はじめに、推理小説が好きな方には残念なお知らせをしなければならない。この手記には、いくつかのミステリーはあるものの、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティは登場しない。この手記は、それを書く者の側に先に挙げた二人のような推理力が求められる類のものではないし、そのような推理を所望する読者の期待に沿うものではないということをご理解いただきたい。
 確かに、梶川君に関するミステリーはいくつかある(その中には、いかなる知見をもってしても理解には至らないと思われるものも多々ある) 。しかし、それらのミステリーが卓越した推理力をもって解明されることはない。
 また僕は、彼の抱えていたほとんどの生物に必須と見られる、ある身体機能の欠如について、何らかの科学的見解を提示するに足る学術的素養を持ち合わせていないということも積極的に認めることにする。
 加えて、社会的・制度的に与えられた僕の役割や権限を鑑みたとしても、僕はこれからの内容に散見されるミステリーの数々を解明する立場にない。僕はどこにでもいる一般市民の一人であり、警察のように彼の行方を探ったり、科学者のように彼の身体にまつわるミステリーを解明したりする権限もないし、仮にそういったものが僕に与えられていたとしても、そのための気力はもはや十分ではない。つまり、ミステリーはミステリーのまま終わる。
 とはいっても、僕がこの手記を残すのにはそれなりの理由というものがある。ここから先は、その理由について一通り記しておこう。
 一つ目の理由は、この手記が収められている段ボールに一緒に入っている物の処理について説明しておかなければならないと思ったからである。
 この手記と一緒にこの段ボールに収められている物は、梶川君にいずれ返さなければならない。そのため、僕は梶川君に会う、もしくは何らかのコンタクトをとらなければならないのだ。しかし、あの日行方をくらませたきり、彼からの連絡は依然としてない。一応、僕がどこに引っ越したとしても、彼と連絡がつくように最善を尽くしているつもりである。とはいえ、将来は分からない。もし、僕がこの段ボールを自分で処理できなくなるような状況になった場合(というより、これを読んでいるということは、既に僕の身に何か致命的出来事が起こっているはずだ)、これを読んでいるであろう君に処理を一任したいのだ。
 僕の所有物の処分は、いかようにしてもらっても構わない。しかし、この箱に関してはこの手記をよく読み、正確に処理を遂行してほしい。
 段ボールの処理については特に難しいことはないのだ。僕が梶川君の実家に残した手紙が本人、もしくは彼の行方を知る関係者に読まれたならば、いずれ僕の携帯番号に連絡が入るはずである。段ボールの処理は連絡を寄越した人間に任せればよい。そのため、彼(あるいは彼の関係者)に事前に知らせてある連絡先、つまり僕の携帯番号を、この段ボールを預かる君に引き継いで欲しい。
 段ボールに関して、僕からの頼みはこれで以上になる。電話番号の引継ぎについては少々面倒をかけるが、基本的に君がやることは待つこと以外にない。なので、引っ越しの度にこの段ボールを動かす体力と、それが占める若干の物理的スペース以外に君が払う犠牲はないため、そこまで負担をかけるものではないと思う。協力してくれないだろうか。
 そして、この手記を残すもう一つの理由は、梶川君について書いておきたいと思ったからである。彼が僕の友人であるという事実が、この手記を残すという行動に僕を駆り立てた主な動機であることは間違いではないが、それが全てかと言われるとそうではない。梶川君のことについて書き残しておくことは、多くの側面で興味深いところがある。例えば、これから話す彼の身体的特性が興味深いものであるにも関わらず、それが僕たちの関係にそこまで重大な関与を持たなかったということ。そして、彼が僕に残していった数々の言葉や記憶も挙げられる。
 しかし、何よりこの手記を残す最も大きな動機は、僕のとある賭けを継続させたい、もしくは僕からこの手記とこの箱を受け取る誰かに、この賭けを受け継いでほしいという思いにある。その賭けの詳細について語るには、彼と過ごした時間について記しておいた方がいいと思ったのだ。
 この手記が、僕と梶川君の交遊録の域を出るものなのかどうかは分からない。不思議なことに、梶川君のことについて書くつもりが、書いていくうちに当時の僕自身のことについても語らなければいけなくなっていったことは、これを書き始めた当初の僕の想定を越えたことだ。もしかすると、他の誰かについて書くということは、ある意味ではこのような内省的な側面が求められるのかもしれない。
 しかし、僕とてこの賭けの受け継ぎが永遠に続いていくことは期待していない。いずれ、どうあがいても賭けを続けることが愚かしくなる時期が来るだろう。しかし、それまでは何とか、この賭けを受け継いで欲しい。
 どうぞ、よろしく願いたい。

二〇一五年一〇月 松谷健一

-続-

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