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【連載小説】『陽炎の彫刻』7‐1

 5月の連休。汗ばむ陽気になった。
 僕は自分のささやかな好奇心に突き動かされていた。梶川君が汗をかくのか、気になっていたのだ。ちょうど汗をかきやすい時期になったので、梶川君にちょっとした実験(と言っては大げさかもしれないが)をしてみようと思ったのだ。
 僕は梶川君を近くの公園に呼び出した。僕は待ち合わせ場所で梶川君を待っていた。外に出るためにジャージを着たのは久しぶりだった。しばらくして梶川君がやってきた。
「動きやすい服装で来いなんて、学生の頃以来言われたことないよ。」
 ジャージを穿いて、Tシャツに薄手のパーカーという恰好の梶川君が現れた。首にはイヤホンのコードが巻き付いている。
「たまには運動もいいと思ってね。」
 僕は、久々の運動を前にストレッチを入念に行った。梶川君も僕を真似るように軽くストレッチをした。
 この公園はウォーキングやジョギングができるように、外周が一周できるようになっている。日曜日の明るい時間帯や平日の早朝は、習慣的に運動をする人で外周の道はそれなりに人が多くなる。外周に囲まれるように位置する芝生の広場の方には、連休を利用した家族連れが多かった。
「でも、久々の運動を連休にするっていうのは賢いかもね。筋肉痛になっても、明日も休みなわけだし。」
 梶川君が意外にも乗り気なのがありがたかった。日差しも覗いてきて、気温も春にしては汗ばむような暑さになってきた。桜はすっかり散って、路上に落ちた汚らしい花びらもすっかり消えていた。緑が茂っていた。新緑という言葉があるが、それはこういうことを言うのだろうと思う。
 僕は、自分の企みが彼に悟られないように振る舞おうと努めた。僕たちは、公園の外周をゆっくり走り出した。反時計回りを選んだのは、外周を回る人々がそうしていたからだ。
「なんだか懐かしい感じがするね。こういうの。」
 梶川君が言った。
「懐かしい?」
「サッカー部の時に、しょっちゅう走っていたよ。」
「確かに。僕も陸上部の時、いつもこうして走っていたね。」
「種目はなんだったの?」
「1500。」
 そんな会話をしながら僕たちはジョギングを続けた。ウォーキングをする人たちの間を縫うようにして進んでいく。初めのうちは会話もそこそこあったが、外周も3周目に差し掛かってくると、息も切れてきて、静かになって行った。
 4周目の半分くらいにきた時に、梶川君の限界が来た。僕もそれに合わせて、走るのを止めた。僕たちは途中にある自販機でそれぞれ飲み物を買って、外周の中に位置する広場の方に向かった。さっきまでコンクリートを蹴っていた足に、芝生の柔らかさがやさしい。僕たちは広場内の空いているベンチに腰掛けた。3人掛けのベンチの両端に、間に一人分のスペースを空けて座った。そういえば前も、梶川君とこんな風にベンチに座っていたような気がする。二人とも、息がすっかり乱れていた。梶川君は自販機で買ったスポーツ飲料を一口飲むと、天を仰ぐように大きくのけぞった。
「ああ、こりゃ明日動けねえな。」
 そう言う梶川君の方を僕は見た。彼の額ともみあげの所に、汗が走っていた。僕の検証は終わったのだ。彼はどうやら、汗はかくらしい。彼の摂取した水分の逃げ道が一つ解明されたのだ。僕は、自分のささやかで、小さな好奇心が満たされたことに満足していた。
 僕は、自分のスポーツ飲料を飲んだ。汗で濡れた状態で飲むそれは、確かに懐かしい味がするかと思った。けど、スポーツ飲料が舌に触れた最初の感想は、「こんな味だったっけ?」だった。

—続—

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