人生で一番つらかった日のこと 2
というわけで続き。
A(仮名)との因縁について書く。
今からちょうど30年前
18歳だった頃
48歳になった今の年齢になるまで
生きてきて
一度だけ
「死んでしまいたい」と真剣に思ったことがある。
ここまで書いておいておきながら
読者の皆さんには申し訳ないが
具体的に何があったのか、については
一切書かない。
理由は2つ。
私は他人から同情されるのが嫌いだ。
過去に何があったのか書いた時点で
私の不幸自慢大会になってしまう。
そして世の中には私よりも
ずっとツラい経験をしても
前を向いて生きている人たちが
たくさんいることを知っている。
「いっそのこと死んでしまいたい」と
思うほど追い詰められてる人にとって
その苦しみ、悲しみは
100人いたら100通りある。
すべて異なっているわけだが、
私を含めて彼らに共通している点は
「それゆえに、誰にもわかってもらえない悲しみ」
という点である。
ある程度までは理解できるであろうし
ある程度までは寄り添うこともできるけども
完全に理解してあげることは不可能である。
どこまでいっても
その人だけにしかわからない
悲しみ、苦しみなのだ。
それがもたらす孤独感が
より一層、本人を苦しめる。
だいたい、そんな感じなのではないだろうか?
A(仮名)という人物は
いわゆるサイコパスであった。
サイコパスというのは
他人の苦しみや悲しみに対して
共感能力が一切ない人、という意味である。
自分の欲望のためならば
平気で相手を裏切るし
平気で嘘をつけれる、
そこに良心の呵責とか罪悪感といったものは
一切ない。
世の中には一定の割合でそういった連中がある程度、存在している。
だから、そういった連中とは絶対に関わってはいけないし
サイコパスだな、とわかった時点で
全力で縁を切るべきである。
話し合いとか、なにかで
わかり合えるとか、そういった人種ではない。
うわっつらだけ、わかったフリして
さらに追い込みかけてくるから
本当にタチが悪い。
まぁ、Aについてはそうだったのだけども。
理由のもう一つは
Aが私にやらかしてた手口を書いた場合
ここは不特定多数の人間が閲覧しているので
その中にやはり、一定数
サイコパスの連中がみている可能性がある。
そしてAが私にしたことを
具体的に書いた場合、
それを模倣する連中が出てくるリスクがある。
その場合、やはり自殺未遂とか
最悪の場合、自殺する人が出てくるであろう。
それは絶対に避けたい。
それが2つ目の理由である。
48年間、生きてきて色々なことがあったけども
あとにも先にも
「死んでしまいたい」と思ったのは
このときだけである。
もう30年前の話だ。
なんとか、生き残ってこれた。
その30年前の一件以来、
Aおよび、Aに関する連中とは
一切の関わりを断って生きてきたし
一切、情報を知ろうとはせずに生きてきた。
30年前の一件のことでの
トラウマを背負いながら
日常を生きるので精一杯だったからである。
「Aが亡くなってた」と知ったのは
風のうわさであり、偶然であったし
ましてや「Aが殺されていた」というのは
衝撃的であった。
「Aが亡くなっていた」から
「Aが死亡した原因について」となり
「Aが殺されていた」と知って
「Aが殺された理由」について、調べて向き合うことになったわけだが
「Aが特殊詐欺グループの元締めをしていた」
という情報については
「あぁ、なるほどな」と思った。
サイコパス
自分の欲望のためであれば
相手が破滅しようと、自殺しようと
ためらわずに裏切ったり、嘘をついたり
おとしいれることを
平気で出来る人種である。
「オレオレ詐欺」に代表される
特殊詐欺にAが手を染めていた、としても
なんの意外性もなかった。
意外だったのは、彼が殺されていた
という点だけであった。
Aを殺害したBという人物については
事後的に調べて初めて知った。
かれこれ、30年もの間
私はAに関する昔の記憶に
悩まされ続けてきた。
一日たりとて忘れた日はないし
おそらく、これは
生涯、私を苦しめるであろう。
Aを憎んだことがないか?
と聞かれて「憎んでいない」と言えば嘘になる。
「アイツなんか死んでしまえばいいのに」と
思ったことも無数にあるし
一方で
「いくらなんでも、他人の死を望むというのはあんまりだ」
と、自ら反省する、という経験も無数にあった。
そこらへんのところで
気持ちが右往左往しながら
なんとか毎日を生きてきたわけだけども
なんとか、そこで
踏みとどまっていきてきた自分を
今は褒めてやりたいと思う。
あの時、「死んでしまいたい」と思っても
なんとか自殺を踏みとどまった自分を
今は褒めてやりたいと思う。
加えて、その時とか今も含めて
私に寄り添って、支えてくれた
仲間たち、友達たちに
改めて感謝している。
だましだまし、我慢して生きてきたけども
今は「あの時、自殺しなくてよかった」と
心から思える。
「おまえなんか、生きてる価値ない」みたいな感じで
存在そのものを全否定されて
「死んでしまいたい」と思ったとしても
なんとか、ふみとどまっていると
「私には、あなたが必要です」って人たちが
あらわれてきたりとかする。
生きるか、死ぬか、ギリギリのところで
追い込まれてる最中に
一切、無関係の部外者の人らから
「あなたが必要です」と言われて
「私が必要なのですか、では全力で頑張ってみましょう」
で、だましだまし生きてきたら
結果、幸せな結末というか
面白いことがたくさんできた。
まぁ、私はラッキーだったのだと思う。
努力は人より沢山したけどね。
正直に告白する、
私は長い間、Aの亡霊に
Aとの間に起こった過去の記憶に
おびえて
怒って
恨んで
そして、憎んで生きてきた。
「あんな経験さえなければ、人生もっと楽だったのに」と。
Aについては
「死んでしまえばいいのに」と思ったことも
数限りなくあるし
「いくらなんでも他人の死を願うだなんて、それはアカンやろ」
と反省したりして
生きてきた。
Aは亡くなっていた、しかも殺されていた
というのを知ったのは
ここ最近の話である。
Aとの記憶にさいなまれて生きておりながら
実際のところ
Aは数年前にBにより殺されて、亡くなっていた。
Aについて
「アイツなんか死ねばいいのに」という気持ちは
ここにきて無くなった。
Aは、すでに死んでいるからだ。
「死ね!」っていう感情と
「いや、すでにAは死んでるし」という現実をみると
「あー、もういいや」という気持ちになる。
おそらく、過去の記憶がフラッシュバックして
Aについては
「死ね!」っていう衝動的な感情と
「いや、アイツはもう死んだし、もう大丈夫だよ」という
感情を行き来しながら
私は残りの人生を生きていくのだと思う。
それでも、ここまでガマンして
なんとか生きてきた自分を
今は誇りに思う。
Aが殺されて死んでいた、と聞いて
初めて「Aを許そう」と思った。
それはAのためではない。
このまま誰かに対する憎悪とか恨みに支配されて
生きるのが嫌だからである。
自分を救うために
「Aをゆるそう」と思った。
(まぁ、殺されて死んでるわけだし
復讐の手間はぶけて楽だわ、というのも正直ある)。
ここまでの心境になるまで
30年、かかりました(笑)。
今年は
自殺とか
一家心中未遂とか
その手のニュースが多くありました。
「死んでしまいたい」と、今おもってる人に
「あなたの気持ちはよくわかるよ」とは言えません。
「死んでしまいたい」と思う人の
苦しみや、悲しみは
その人にしかわからないものだと
私は知っているからです。
それでも
「私はあなたの味方だよ」とか
「あなたがそばにいてくれて良かった」とか
いってくれる人が
この世の中のどこかには
必ずいます。
これは私のゆずれない信念ですけど。
そういう人らと出会って
それでもなんとか生き残ってる日々が
いつか、その人を勇気づけるときがきます。
そして、その経験が
他の誰かを助けたり、励ましたり、救ってあげたり
するときがきます。
これは断言してもいい。本当です。
だから、いま、「死にたい」と思ってる人に対して
私ができることは、せいぜい
この記事を書くぐらいしかできないんですけども
なんとか、ふみとどまってほしいです。
「歩く事故物件」と言われ
48歳時点ですでに
4人の死刑囚と出会ってるわけですから
それなりの説得力は、あるかな、と?
いつか笑える日がきますように、と
祈りつつ、今回の記事は筆を起きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?