福田 優

建具屋として40年。現在は鳥取県倉吉市、在住。18歳から20歳までは大阪市で、20歳か…

福田 優

建具屋として40年。現在は鳥取県倉吉市、在住。18歳から20歳までは大阪市で、20歳から23歳までは東京・品川で学校に行ったり、建具の修行をしたり、JAZZを聴きに行ったり。2018年に工房が火災で焼失も、保険により再建。

最近の記事

とろみつきのお茶からとろみなしになるまで(備忘録11)

入院中は1日を通してお茶(ほうじ茶)をいただいた。看護助手さんが日に3回くらい配ってくれました。ナースコールで頼めば随時いただくことも時にはあった。4F病棟では水分をたくさん摂るべきということで、通常専用の保温カップ(ストローが刺せるようになっている)1個らしかったが、しばらくすると2個にしてあった。患者のみなさん同じカップなので名前を書いたシールが貼られていた。水分摂取は便通もスムースにしてくれたようでした。 脳出血の自分の場合は麻痺があるため嚥下(飲み込み)で誤嚥など避け

    • 入院中初のお風呂について(備忘録10)

      急性期病棟の4Fでは1度も入れてもらえなかったお風呂。 回復気病棟の7fでは水曜、金曜に入れることとに。専用の準備袋を看護助手さんが前日のうちに準備。そのころただでも乾燥肌なのに入院以来入浴してなかったので、あたまは痒いし肌は粉吹いてる状態。 段取りは、準備済みの着替え袋を携えて車椅子に乗せてもらいベッドから浴室側の食堂でしばらく待機しばらくぶりに窓から外の世界(西側、大山方面)の景色を見る。5分くらいして車椅子のまま脱衣室へ。看護助手さんに介助してもらい入院着を脱ぎ浴室内へ

      • 左手からリハビリで日々回復へ①(備忘録9)

        7Fの回復期病棟に移動して、リハビリが土日も無く毎日になりました。 理学療法と作業療法では、特に動きが悪い左手を重点的なリハビリをやりました。グー、チョキ、パーの形も曖昧。ふんわりのグーが弱々しい。小指、薬指だけが僅かに力が入る感じ。ある日、握力の測定をしてみる。麻痺側の左手8kg、健側の右手が25kg。 これが、日々のリハビリでちょっとずつ左の手指に動きが出てきました。左手親指の先と人差し指の先をつけてOKサインが作れるようになり、中指とも丸を作れるようになり、でも力強く摘

        • 抜糸、急性期病棟から回復気病棟へ③(備忘録8)

          歩行器で、歩くこと、行動範囲に少しだけ自由が出てきた。それまで病院の借物の電気シェーバーでの髭剃りだった。 妹に頼んで、家からT字を持ってきてもらうことにした。ジレットとジェルフォーム。で、時間を見計らって洗面所で髭剃り。温度低めのぬるま湯しか出ない。水栓もセンサー水栓ですぐ止まる。今市の剃り心地だ。でも、さっぱりはする。 鏡でよく見ると、もみあげの先のほうが少し白くなっていることに気づく。 髪も伸びて手術の傷跡もほとんど見えなくなってきた。元々2ブロックではあるが、手術した

        とろみつきのお茶からとろみなしになるまで(備忘録11)

          抜糸、急性期病棟から回復期病棟へ②(備忘録7)

          4Fで部屋を変わって数日。今度は7F病棟へ移動。 7Fは回復期病棟で土日関係なくリハビリがあります。(4Fではリハビリは平日のみ)リハビリは午前、午後の理学療法と間に言語聴覚士によるリハビリがあります。右脳出血の自分の場合、麻痺が出ている左半身と呂律や嚥下(飲み込み)など項目が少し多い。 7Fに来て、すぐに歩行器をあてがわれました。部屋の前のローカ歩行器ありで自立で歩いて良いことに。 ということは、ベッドサイドにポータブルトイレ、というのは回避。トイレは自由に行って良いという

          抜糸、急性期病棟から回復期病棟へ②(備忘録7)

          抜糸、急性期病棟から回復期病棟へ①(備忘録6)

          4F病棟の暮らしに慣れてきて看護師さんの名前も少しは覚え始めた頃、執刀医で主治医のT先生がたまに手術の傷跡の様子を観に来ては「洗髪っしてもらえるように言っておきます」とのこと。術後、何日経ったかわからないくらい時間が経っていたので期待していました。ところが、そんな話が幾度かあったけれど何事も泣く日々は過ぎ、ある日、「抜糸します」となりました。 わたしの場合、抜ホッチキス。もうすでに記憶が曖昧なのですが、病室のベッドで(だったように記憶)30本ほど金色でM字型のやつをチョンチョ

          抜糸、急性期病棟から回復期病棟へ①(備忘録6)

          脳出血、急性期病棟③(備忘録5)

          ずっとシモのほうの話で恐縮ではございますが、しかたない。 2夜連続で導尿カテーテルしたもらったが、さらに翌日もうまくいかず、と 思ったら、担当が主任・看護師のUさんのとき転機がおとずれた。 ついにオムツに出た。しかも連続で。すると次のおしっこ・ナースコールしたとき、Uさんが「車いすでトイレに行ってみよう」と願ったりかなったりのお言葉。待ってました。身障者用トイレのウォシュレットで気持ちよく小できた。と、思ったら術後はじめての大も出た。祝! そこからは導尿とは完全に離脱できた。

          脳出血、急性期病棟③(備忘録5)

          脳出血、急性期病棟②(備忘録4)

          記憶はあいまいだけど、術後きがついてから2,3日経ったある日、導尿カテーテルは外された。そしておしっこはオムツのなかにするか、尿器にして、と宣告された。 とりあえず、尿意があればオムツにしようと思ってみるが、どうにも出ない。お茶も飲んでいるし点滴もしているので水分はだいぶとっているのに出ない。看護師さんに促され尿器をもってもらったり、じぶんでもってみたりするが出ないのだ。だんだんお腹が張ってくる。 当然、膀胱はパンパンなのだ。すると、看護師のYさんは導尿の準備をして「我慢して

          脳出血、急性期病棟②(備忘録4)

          脳出血、急性期病棟①(備忘録3)

          術後は急性期病棟である4℉の部屋で自分ほかに3人の患者さんがおられた。あとでじょじょにwかってきたことだが、術後は〈導尿カテーテル〉という男性の場合おちんちんの先にチュウブ(カテーテル)を差し込んでビニールバッグに尿がとられていくようになっていた。もちろんオムツ。気が付いたらベッドの上にいたので、どういうシステムになっているか最初わからなかったが、数日経ってはずされたのでこんなことになってたのかと、そこではじめてわかった。そして導尿からの離脱がなかなかたいへんだということがw

          脳出血、急性期病棟①(備忘録3)

          脳内出血で搬送、開頭手術②(備忘録2)

          救急車のストレッチャーに初めて横たわる。固定されて、隊員のひとにいきさつを話す。そして病院。記憶は曖昧だが、ストレッチャーの上なのか手術室なのか、持っていたスマホから呼べる家族を聞かれ妹二人の連絡先を示す。スマホのロックを外したことは記憶にある。そして、どんどん脱がされ手術着となり・・・ 手術中の記憶はほぼないが、「もう1コ縫うよ」という執刀医の先生の声がした。バチっという感じで痛みが走る。ホッチキスみたいな音だ。後で聞いたことだが、先生によると頭皮の下(頭蓋骨)に数十本、頭

          脳内出血で搬送、開頭手術②(備忘録2)

          脳内出血で搬送、開頭手術①(備忘録1)

          工房の火災から5年、人生のなかでリセット的な出来事がまたあるとは思わなかった。 お世話になっている税理士事務所のMさんの監査が終わり、少し雑談をしていると、なんだかおかしい・・・ 呂律がうまく回ってないと気付く。 「なんじゃこれ?」って頭の中で。 Msannga帰られ、事務所から自宅に戻ってスマホで検索すると 〈すぐに救急車をよんだほうがいい〉と。 様子を見ないで、早い方がいい、と。 入院になるのは間違いないと思いながら、特に何も準備することなく、 っていうか、入院などしたこ

          脳内出血で搬送、開頭手術①(備忘録1)