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好きなことで自分が満たされ冴えわたるひとになろう〜 五感は「快の領域」

このページをお読みの方はすでに感度が高くそれだけで素晴らしい才能の方だと想像しています。そして、そのポテンシャルを具体的に表現したり、今までの経験を活かしながら誰かに伝え、よろこんでいただける活動をされていると思います。

ですが、その“次のステージ”、社会のためにビジネスへ変換してお金を生みだし、より遠くまで伝わるように発信したりそれを継続させる・・・って苦手とおっしゃる方が少なくありません。

いいかえると、ご自身の感受性を意識することができても、それをカタチにして循環させるのが難しい、ってこと。

じぶんが本当に好きなことだとわかってやっているのに、どこか焦りや罪悪感があり、結果、うまく表現できずに目の前に霧がかかったようになってしまう・・

そんな切なさを持っているひとへ、「好きなことと欲求と満足」について書こうと思います。

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■みんなある?他人から承認されたい欲求

「好きなことを仕事に」というフレーズが流行りしばらくたちますが(もうこの言葉自体オワコンですが)この本質がどれだけシビアなのか、とっくに感じ取っているひとも少なくありません。

なんか違うよね、と。


まず、「好きなことを仕事に」という意味と、ボクがお話ししているそれぞれの「好きなこと」と「得意なこと」はちょっと違います。

では、一体なにが違うのでしょうか?

感性ゆたかなひとほど他人の気持ちが汲みとれるやさしくて気遣いのできる性格。だれかの悦びに対しても敏感で、自分ごとのように感じボランティア精神が高いのも特徴的です。

実は、それは「得意なこと」。まずは、「好きなこと」ではなく「得意なこと」だと気づき、それは、他人から承認されたい欲求があると認めることがスタートとなります。

もし、あなたが今、本当に好きなこと(と思い込んでいること)に“迷い”が生じているのであれば一度立ち止まってじっくり眺めてみる時期かも知れません。

考えてみてください。「好きなこと」ってそもそも、完全にじぶんとつながってその世界観にいる領域ですよね?

夢中になっているから五感が完璧に満たされ、それによって高度な集中が起こります。直感的で時間の感覚がなくなり、または時間が引き伸ばされ、「無時間」になるフローの状態です。

そこは単独でパーフェクト。あなたの世界で完結な「快」の領域です。一方、「得意分野」は他者が必ずいるもの。自分以外の人との世界ですので時間もあり、過去や未来もあるでしょう。

もうおわかりかと思いますが「好きなこと」は生まれ持った才能や誰にも教わらずにできること、もうすでにやっていることなのです。

これは、先天性能力とも呼ばれています。アンテナが自分とつながり、ただそこにあるだけで自然と自家発電している太陽エネルギーのようなイメージです。

これを踏まえると「得意分野」や「得意なこと」とはアンテナが別のところへつながり、新しく波長が生まれたようなエネルギー。後天的に出来上がってゆくものと考えてもいいかもですね。


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■そこにいるのは、あなた以外の存在かも

思い出してみて下さい。今、あなたが得意なこと、人のためになることは、もしかしたら小さい頃もしくは思春期に親に誉められたり、クラスメートや先生に誉められたり、バイト先でどうしても必要とされやらなくてはいけなかったことだったり、当時流行っていたものやあなた以外の人から影響を受けて真似をしてみたら、これいいね、すごいね!と、承認されたことだったりしませんか?

誰でも(大人になっても)褒められる、認められることはうれしいことです。その最中、細胞が悦んでいるのがわかります。

自己を認められる=承認という原始的欲求は高度な進化を遂げて来た人間としての生命維持や存在価値につながるからです。

成長し、達成し、褒められるなにかを超えた先に報酬(悦び)がある。その快感の状態や、賞賛が心地良くて、さらに欲しくなって色々と工夫したり試行錯誤してみたくなるのです。

結果的に上手にできるようになったり相手を喜ばせられるようになっていることはどんな方でも体験しているかと思います。

たとえば忙しい母親の手伝いをするうちに片付けやお料理をするようになり、気がつくとお部屋の模様替えが上手くなったり、お裁縫が早くできるようになったり、お料理の得意メニューが増えて学校の「家庭科」の時間も好きになり、友達からまたあのクッキー作ってねとリクエストをもらうようになった・・・・そんなイメージです。

つまり、あなた《以外の存在》が必須のことそれが「得意なこと」の原点となっているのです。

「好きなことで自分が満たされ冴えわたるひとになる」というタイトルが意味するのは、満たされた状態でいると、ただそこにいるだけで自然と太陽エネルギーのようになれる、という至福感に繋がっているのがおわかりいただけるかなと思います。

それは、「得意分野」や「得意なこと」をしているときとは、ちょっと違う、ということも。

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■絶対的じぶん領域とつながる探求

「得意分野」や「得意なこと」と比べ、快の領域=「好きなこと」とはあなたの感じ方そのものですよね。そこには誰も必要としませんし《あなた以外存在していない完璧な状態》です。

たとえば・・・・

絵を描く

ダンスをする

歌う

瞑想をする

詩を書く

伝えたいことを綴る

歩きながらインスピレーションを高める

・・・など、実際は普段の生活で掴んでいる感覚ばかりなのですがこうして「好きなこと」へフォーカスしていないと、そこに他者が存在しているかのように捉えていることがあります。

まずは「快の感情や歓びポイントは絶対的じぶん領域」ということを知るだけでその後の探求が楽になります。

このことは、なぜか自然とやっているとき、と「やらなくちゃ・・・」と重い腰を上げてやっているときの感覚の違いともいえるかもしれません。

本来、ボクたちは、目的などなくても自然と出てくる「やる気」のときは
それが「やれる」ことができますし、もっと言えば「やって当たり前」「やり遂げる」なんて考えてもいないものです。

もちろん「何をしたらいいのか?」なんて考える隙もなく勝手に身体が動いていますよね。

「好きなこと」に躊躇してしまう方や考えているとわからなくなってしまうという方は「好きなこと」という何かしらの行為をしている時にそこに他者が存在していようがいまいが、「歓びがじぶん完結していること」これを基準にしてみてください。

仮に、あなたが今思っている「好きなこと」の中で他人によろこばれるから嬉しい褒められないと嬉しくない、があるとしたらもしかしたら、“本当に好きなことではない” 可能性があります。

その場合一度疑って欲しいのです。先ほどお伝えした後天的に得意になったことの可能性があります。

もう一度言うと「好きなこと」とは、世間の評価や相手の評価が一切関係ない世界です。あなたがその行為をしているだけで幸せであり、歓びが感じられる行為のことを指します。

行為というよりは「状態」、という方がしっくりくる方もいらっしゃると思います。

ちなみに、ボクで言えば

自己表現をする

新しいことを体験する

美しいものをつくる

知恵をわかちあう

感動し、それを表現する

が、たまらなく好きなことの源になっています。

これをもっと具体的にするならばここから発した行為は

▶︎モデル活動をする

▶︎アイデアを文章に書いて発信する

▶︎セミナーをして知恵をシェアをする

▶︎旅をして新しいモノゴトに触れる

などがあります。こうして書くと、ボクがボクらしく生きるという表現行為は「快の状態」で生きることなのですね。


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■五感は「快の領域」 に出逢うヒントが満載

美しいものに触れ、新しい体験をかさね、それをカラダで表現し、気持ちをわかちあい、その悦びを感じる・・・をしていると、世間にどう思われるか関係なく魂がよろこんでいるのがわかります。

すると、不思議なことに自然と人生が良い流れになってゆくのです。

「好きなこと」が見つけられない、と言うひとは、もしかしたら「そうして悩んでいるじぶんが好き」なのかも知れません。

そこに気が付いたらチャンスです。なんの根拠もなく理屈抜きに、損得なしに純粋に好きなものに囲まれて五感がよろこぶ状態を思い出して、実際にそうなってみて下さい。

これは簡単。感覚を呼び覚ますだけです。

感覚が鈍くなっていると、じぶんの本能から溢れる「快の領域が見つけにくくなる」ということが科学的に証明されていますが、その辺りも難しく考える必要はありません。

それでも難しく感じる方には、ボクは、「感覚を自覚するくせをつける」ことをオススメしています。具体的には次のとおり。

■感覚を自覚する方法

日頃、意識に眠っている
視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚などの五感、これら人間が持つ能力を自覚しひたすら満たしてあげる。アロマキャンドルやお香を焚き、お部屋でヨガをしたりじっくり瞑想するのも良いのですし、好きな音楽を丁寧に聴くのも良いですね。味覚を呼び覚ますならシンプルに水とお米だけをゆっくり味わって戴くとかもわかりやすいです。

ここで、肝心なことは常に自分自身を「自覚」し「観察」つづけること。決して「方法論」で終わらないことです。

そして、いちばん大切なのは、あなたが“あなた自身の感覚と戦わない”ことです。どんな感じ方をしてもそのまま受けとめる。どのような感覚もすべてOKとする。

自由で穏やかで、心から好きと感じるもの、惹かれる世界観、ドキドキすること、いいなあと感じる色や匂い、音、空気・・・それらを探ってゆくうちに自分では受け入れがたいような不思議な感覚になる場合もあります。

このとき、ひとによっては、ザワッとするときもあるかもしれません。
けれどそれを観察し、ただただ純粋に受けとめて、少し離れた視点で見守り、どんな自分でも信頼してあげるのです。すると、本当に夢中になっている自分を感じた時「ああ、ボクはこんなことが好きなんだなあ」と素直な気持ちで受け取れるようになります。

これは少しだけ練習が必要ですが「快の領域」へ深く繋がるには効果てきめん。まずは「好きを大事にする」そして誰かに「許可をもらわなくてもいい」、と知って下さい。

伝えなくていいし、わかってもらわなくていい、認めてもらえなくても、届かなくてもいい、その前提で「自分の好きを大事」にするのです。

あれこれ手を加えた味付けのお料理ではなく、なにも飾りつけなどがない素材そのものが「美味しい!」と感じるていねいに作られた一皿。
その、あなただけの好み、深みを吟味して徹底的に探してみると必ず、「好き」と「得意」が違うのが体感でわかるはずですから。

■こたえは「冴え」「集中」「夢中」


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そうして「好き」の感覚をたくさん覚えさせると「冴え」や「集中」「夢中」という自然にやっている状態に気づくと思います。

「冴えてる!」と感じるのは一瞬でも「冴えわたっている」のは快感の領域です。そこには頑張っている自己はおらず時間の境界線もなく、あなたのセンターからじわっと溢れてまるで永遠のような一体感があるはず。

つまり、好きがつづく状態は「冴え」や「集中」「夢中」しているときと定義することができます。

あなたの行為、状態がそのものが幸せであり、悦びが感じられたらそれがどんな表現になっても、ビジネスに変換したとしても、ずっと自然につづけられるのです。「好きがわからない」という方も感覚的で言葉にできないという方もぜひ、意識的に一体感を味わえるようじっくり観察してみてくださいね。


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