【長編小説】二人、江戸を翔ける! 1話目:始まり⑧
■この話の主要人物
藤兵衛:主人公。隻眼の浪人で、傘張り仕事を生業としている。
凛:茶髪の豪快&怪力娘。ある朝、藤兵衛に助けられた。
吉佐:町方役人の同心だが、悪い噂が絶えない。
太右衛門:薬種店・越後屋の主人。裏で阿片の密売をしている。
■本文
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向島にある薬種店・越後屋の屋敷では、広間で越後屋の主人・太右衛門と町方同心の吉佐が向かい合って酒を飲んでいた。
「お疲れ様でした、吉佐さん。 ・・・だ、大丈夫ですか?」
吉佐にはあちこち傷があり、酒を飲むと顔を大いに歪めていた。
「イテテテ! 口が切れて沁みやがる」
「・・・もしかして、あの娘がやったんですか?」
すると、吉佐はこくりと頷く。
「あの娘、馬鹿力しやがって・・・。 お~、いてえ」
「それは・・・見た目からは想像出来ませんね」
吉佐は目を覚ました後にあれやこれやと問い質したが、凛は知らぬ存ぜぬの一点貼り。
それならと身体検査を始めると、「どこ触ってんのよ」と大暴れ。大の男が三人掛かりでも抑えきれず、吉佐含め多くの負傷者が出る事態になった。
あまりの暴れっぷりに堪えかねて、阿片を沁み込ませた布を口に当ててようやく静めた顛末を、口が痛いせいかポツリポツリと語ったのだった。
「・・・あぁ、そうだ。割符だけど、残念ながら持ってなかったぜ」
吉佐は思い出したように言う。
「では、この後はどうするつもりで?」
「そうさな。もしかしたら例の腕っぷしの強え奴が持ってるかもしれねえな。そいつが来るかどうかはわからねえが、二、三日はここに置いておくさ」
「もし誰も来なかったら?」
「そしたら足のつかねえ上方にでも連れてって売捌くか。力は強えが、見栄えは上玉だしな」
そんな会話をして二人でにいっと笑い、空になった盃を横へ突き出す。
すると、酒を注ぐ音とともにこんな声が聞こえてきた。
「それなら色街よりも、力仕事の方が高く売れるのでは?」
「ん? そりゃあいい・・・!」
ここで吉佐は男の声が返ってきたことに訝しみ、横を見ると見知らぬ男を目が合った。
その男は背が高く、顔の右半分が前髪で覆われていて、以前聞いた男の風貌と重なっていた。
「な、おまえ、いつの間に!」
「忍び込むのは慣れてるんでね。吉佐っていうのは、お前か? 今日、娘がここに来ただろう? その娘を迎えに来た」
とてつもなく冷徹な目に、吉佐は体中に悪寒が走った。
(こいつだ!)
そう直感した吉佐は近くにあった膳を男に投げつけ、その隙に廊下へと飛び出す。
同時に太右衛門も慌てながらも吉佐の後に続くと、
「侵入者だ! で、であえ~!」
と大声で叫び出した。すると、次々とならず者どもが集まってくる。
そんな状況の中、藤兵衛は動じることなく平然と立っていた。
やがて、ならず者は二十人以上は集まっただろうか。初めは面喰らった吉佐や太右衛門も圧倒的優位数で安心したのか、余裕が生まれていた。
「正面から来るとは余程腕に自信があるのか、それとも単なる馬鹿か。一応聞くが、何しに来やがった」
すると藤兵衛は平然と答える。
「別にお前らの悪事には興味がない。俺は、あの娘を返してもらいに来ただけだ。いるんだろう?」
「けっ、悪事ねえ。言うじゃねえか。・・・まぁ、いいや。おいっ! 誰か今日きたお客さんを連れて来い!」
と、ここで太右衛門が吉佐に囁いてきた。
「(ちょ、吉佐さん! あっさり渡すんですか? そのまま番所に駆けこまれたらどうするんですか!?)」
「(なあに、二人とも帰すつもりはねえよ。どうやらあの男、相当腕に自信があるようだ。いいか、どんなに腕が立つ奴でも小娘を守りながらじゃ無理があるだろう。渡したらすぐに囲んじまうんだよ)」
「(な、なるほど)」
荒事には慣れていない太右衛門は吉佐の策に感心するのであった。
ほどなくすると、凛が男数人に掴まれながら運び込まれてきたのだが様子がおかしかった。
目はうつろで、歩きもふらふらと覚束ない様子だった。
もっとも様子がおかしかったのは運んできた男たちもそうで、ある者は腕に包帯を巻き、またある者は顔に痣があったりと痛々しい姿をしていた。
「ほら、連れて来たぜ。今のところ傷ひとつ・・・」
吉佐が言い終わる前に藤兵衛は動き出していた。
あっという間に凛のところまで詰め寄ると手に持っていた黒い塊で数人を弾き飛ばし、もう片方の腕で凛を抱え庭先へ降りようとしていた。
虚を突かれたのは吉佐達の方で、完全に後手を踏む形となった。
「ちっ」
吉佐は舌打ちすると、懐から短筒を取り出しすぐに引き金を引く。
パアァン!
乾いた音が響く。
銃弾は藤兵衛の足元に打ち込まれていたが、足止めするには十分であった。
「待てって言ってんだろう。少しはこっちの言う事も聞けや。・・・てめえ、何者だ?」
すると藤兵衛は凛を下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「浪人」
「はぁ?」
「傘貼りで生計を立ててる、どこにでもいる浪人さ」
「そんな訳ねぇだろう。その手際の良さは普通じゃねえぜ。ただの噂だと思っていたが、大方『いろは』の婆さんに雇われた密偵ってとこだろう」
言いながら吉佐は短筒を構え、声を荒げる。
「・・・だがな、逃がしやしねぇぜ! お前も、そこの娘も、ここで死ぬんだよ!」
最後は叫ぶように言い、引き金をもう一度引く。
パァン! キィン!
二つの音がほぼ同時に響いた。
「な!」
吉佐は大いに驚いた。藤兵衛が抱えていた黒い塊を広げ、銃弾を防いでいたからだ。
「なんだそりゃ、鉄傘、か? お・・・おもしれぇのを持ってるじゃねぇか。だがよ、こっちの優位は変わんねえぜ」
吉佐は動揺していたが、それを気付かれまいと太右衛門に声を掛ける。
「おい! 太右衛門!」
「は、はいい!」
「もう、こうなったらここで殺るしかねぇぜ。割符は諦めて腹あくくれや。おめえが雇い主だろう。さっさと周りに合図をしろや」
太右衛門はごくりと喉を鳴らし、合図を出そうとした瞬間にとんでもないものを目にした。
傘を下ろした藤兵衛の、前髪で隠れていた右目が満月の光に呼応するように妖しく輝いていたのだ。
「ひ、ひい!」
思わず怯む太右衛門に吉佐は叱咤を入れる。
「な、なんだ? 鉄傘の次は、幻術ってかい? ビビるんじゃねぇ! こっちは十倍はいるんだ! さっさと合図を出せ!」
「は、はいぃ! お、お前たち! あ、あいつを討ち取れぇ!」
最後の方は上擦りながらも何とか号令すると、控えていた男達が長ドスや刀を振り回し藤兵衛に襲いかかった。
つづく
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