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若松英輔『内村鑑三をよむ』

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若松英輔『内村鑑三をよむ』「自己への信頼と他者の発見」ー『後世への最大遺物』『代表的日本人』

『後世への最大遺物』には、誰に頼まれたわけでもなく、ただ隣人の生活を考え、山を掘り、水路をつくった兄弟の生涯が語られている。

この兄弟は名前も知られていない。

だが、彼らがつくった水路は六百年後も村に水を運んでいる。

「人が見てもくれない、褒めてもくれないのに、生涯を費やしてこの穴を掘ったのは、それは今日にいたっても我々を励ます所業ではありませぬか」と内村は言った。

その水路を生涯をかけて

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若松英輔『内村鑑三をよむ』「苦しみのなかの恩寵」ー『基督信徒の慰』

若松英輔『内村鑑三をよむ』「苦しみのなかの恩寵」ー『基督信徒の慰』

内村鑑三の生涯を見ると、困難と悲嘆、そして苦悩が交互にあらわれる。

それは晩年まで続く。

悲劇は「不敬事件」に始まる。

さらに「事件」のあと、

彼は自身を支え続けた愛妻まで喪(うしな)う。

悲劇とする「不敬事件」

1891年第一高等中学校の「教育勅語」の奉読式において、内村が明治天皇「睦仁」の署名に「低頭」することが十分ではなかったとされた事件。

事件は新聞でも報じられ、内村と家族は

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若松英輔『内村鑑三をよむ』「内村鑑三とは誰か」

若松英輔『内村鑑三をよむ』「内村鑑三とは誰か」

「私は今日流行の無教会主義にあらず」

彼はしばしば「余は基督信徒にあらざるなり」と書く。自分は「基督信徒」であると自称することはできない、なぜなら自分はあまりに不完全だからだ、と言うのである。また、「基督教は宗教にあらず」とも述べ、寺院や教会を建て、僧や祭司が儀式を行い、人々がそれに集う、それが「宗教」であるなら、自分の信じる「基督教」はそれとはまったく異なるとも語った。

宗教において

自分

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