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書くことと私。

ほぼ日手帳、Campusノートに書き始めたマイノート、5年ほぼ日手帳、家計簿、仕事の勉強用ノート…昨年から今年にかけて、書き始めたノートがたくさんある。

今思えば、紙と文字はずっと私を救ってきてくれた。
小さいころ、活字を読むことは楽しみだった。本に限らず、新聞、説明書き、なんでもとにかく読むのが好きだった。アニメやゲームを禁止されていたこともあって、日常生活の中での娯楽は音楽と本だった。今でも読むことは大好きだ。
高校生のころ、テスト期間のたびにCampusノートを一冊使い切っていた。教科書、プリント、参考書を分野ごとにひたすらノートにまとめた。見て覚えるのは苦手で、書くほうが覚えられるし、書いたものが残っていくことで達成感もあって、好きだった。どんな場所でもノートを書いているときは没頭できた。数か月しか塾に行っていなかったし、学歴も高くないけれど、勉強が好きなのはきっと、紙と文字のおかげだ。
大学4年生のころ、今の仕事に就くために必須の資格を取るために勉強した時も、数えきれない数のノートを使った。おかげで無事に試験に合格できた。
紙と文字はいつだって、味方だった。

たくさんの手帳やノートを書き始めて気が付いたことがある。
ノートに向かってお気に入りのペンで書くとき、自分の感じていることをそのまま取り出しているかのように、出すことができる。
私はよくしゃべるし、しゃべることが苦手ではない。だけど、自分の口から出ている言葉と実際の心の感覚にずれを感じることがよくある。どうしたらそのずれを修正できるのかずっと分からない。
特にもやもやしたもの、負の感情、相手への要望は自分の中にあるよりも、大きな意味の言葉になって、出てきてしまう。相手にどう解釈されているのか確かめる術もないまま、飛んで行ってしまうのが怖い。
手帳やマイノートに書き記すことで、「ああ、こう思ってたんだな」「こういう表現にすればよかったんだ」と自分の中でストンと落ちて、感覚をつかめる。そのうえで、言葉を選んで、ゆっくり伝えると、ズレが少ない気がした。
誰かに言わないことでも、自分の中で育てているとモンスターになって襲い掛かってくる感情が、手帳に「こういうやつがいる」と書くだけで、実態が分かって対処可能な感情になる。

パッと話すことも、たくさんしゃべることも、できる。
それでも、自分との整理の時間や大切な人との関係の中では、書いて、咀嚼して、ゆっくり選んで、丁寧に伝える、そんな手間と時間を大事にしたい。書くことでそう思えるようになってきた。

いったん書いて、整理して、きちんと選んで、丁寧に渡す。
そういうことのできる人は、きっとわたしのなりたかった大人だ。

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