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大人になってから、生き方を修正しやすくなったらいいな。【成人年齢引き下げ】

4月から、成人年齢が引き下げられました。
子どもから、大人へ。その年齢が変わることで、救われる人も、零れ落ちる人もきっといるのだろうと思います。
子どもから、大人になる年齢が低くなったからこそ、大人とみなされはじめた人たちが、苦しくないように、抜け出していけるように祈るばかりです。

子ども時代の限界

子どもが辛い思いをしているとき、それを軽くする手段はとても少ないと感じています。
だからこそ、社会的に自分で選べる大人という立場になったときにこそ、修正する機会があればいいのにと思います。

子どもは他人への依存度がとても高いです。
衣食住のために、大人になるための教養を得るためには、大人の力が必要だからです。
子どもが家庭で辛くても、衣食住を準備したうえに親権を奪わない限りは根本的に環境は変えにくいです。親子の関係が少しずつ変わることを願いながら、後方支援することしかできないのが現状ではないでしょうか。
親から離れることも、その子にとって最善か分かりません。

その子の気持ちを聞くことはできても、子どもは親に無償の愛を掛けていることが多いです。離れるように言うこともできないし、親よりもあなたの考えを大切にしてねと伝えても、その子はもっと苦しくなるかもしれません。
子ども時代に親を批判的な目で見ることは、とてもつらいことだと思います。自分と血の繋がった人間を否定するよりは、知らない方が幸せなこともあるかもしれません。

子どもが学校で辛くても、義務教育から離れることには、たくさんの不利益があります。
学校に通わずに、義務教育に準ずる教育を家庭で提供するには親の時間とお金が数倍も掛かることが多いです。それを実現できる家庭ばかりではないでしょう。
場合によっては、なぜ学校に行かないのかという周囲からの無理解に苦しむことになります。
そんな子どもたちに、できることがとても少なくて、いつも不甲斐ない気持ちでいっぱいになります。

大人になったら自己責任なのか

そういった“依存しないと不都合がある”状態から、概念上で解放されるのは、社会的に大人とされるときです。
社会的には、お金を稼いでもいいし、家も契約していいし、親と連絡を取らなくてもいい。進路も自分で選んでいい。
そうなったときに、はじめて、その人が選ぶ余地が生まれるのだと思います。

ただ、それまでの10数年、辛い思いをして、自分を無理やり納得させて、生き抜いてきて、自分で選ぶ気力が残っているでしょうか。

そのときに残っている気力に期待するのはとても残酷なことだと考えています。

この四月から、成人年齢が18歳に引き上げられました。
家や携帯の契約など、誰かに依存しなければいけなかったことができるようになるのは、救われる人もいるかもしれません。

でも、世間からのまなざしが厳しくなるのではと心配です。

この頃、Twitterの一部では10代後半の人が性的な行為に同意するにあたって保護される対象に入るのか、議論されているのを見ました。
いまの10代後半からしてみれば、大人と感じる。でも、過ぎ去ってから振り返れば当時の未熟さを痛感して、保護の対象と感じる。
アラサーの私でも、いまは大人になったと感じますし、過去は未熟だったと感じます。
簡単に答えの出せない問題です。
だからこそ目に見える成人年齢という線引きが心無い自己責任論に繋がらないように祈るばかりです。

子どもの定義から抜けるのが、18歳。
そのあとの、若者のなかにはいずれ親になる人たちがいます。
その人たちが未来の子どもたちの辛さを拾える大人になれるように。

子ども時代を終えて、親になるまでの世代に支援があればいいのにと思います。

ここまで読んでくださった方へ

ちなみに、
子ども時代を終えて親になる世代までの大人が
生きづらい毎日をちょっと変えるためのブログを立ち上げます。

生活に取り入れやすいアイデアを所蔵した図書館のようになれたらと思っています。

まだはじめたばかりですが、良かったらのぞいてみてください。

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