【こんな場所に出会いたかった⑥】誰も排除しないから、カオスなほど多様な人があつまる、頼れる居場所~富士市「ゆめ・まち・ねっと」子どもたちの姿編~
■最初に
こんにちは!サイボウズのもっちーです😊
静岡県庁を38歳で退職し、今は子ども若者のためにたくさんの活動をされている、渡部達也さん(以下:たっちゃん)と美樹さん(以下:みっきぃ)のご夫婦がたくさんの活動をされている、NPO法人ゆめ・まち・ねっとさんのシリーズです。
前回は、たっちゃんの相棒、みっきぃや県庁を辞めて変わったことをご紹介しました✨✨
今回は、子どもたちの姿編です!
子どもと接するうえでのヒントもありますよ
以前の記事
⓪「子どもたちへのまなざし」の紹介記事はこちら
① 活動の紹介編はこちら
② 視察・体験編はこちら
③ 発達障碍のお勉強編はこちら
④たっちゃんの軌跡編はこちら
⑤県庁を辞めて相棒との活動編はこちら
■子どもたちの姿から
【最初はたごっこパークから】
初めに遊び場を作りました。今のたごっこパークです。
最初は、東京のプレーパークのように、毎日やれたらいいなと考えていて、常設にしようと考えていました。
ですが、人口の規模だったり、子どもの学校の校則などいろんな面で、東京とは違いがあり、平日は、子どもがプレーパークには来ない、という事を学びました。
子どもに会わないとしょうがないから、公園で待ってても全然来なくて、
そこで、当時の自宅を平日は解放しようと、シフトチェンジをしていきました。
今の自宅はとても開放感があって、オープンな感じですが、
当時の自宅は本当に自宅という感じの場所で、放課後遊びに来るっていっても、週末たごっこパークに来てる子が、平日も我が家に遊びに来るっていう感じでした。
【居場所ができたのは?】
現在は平日におもしろ荘や、むすびめという居場所があります。
2011年におもしろ荘を借りて、居場所をやり始めました。
活動の参加費が無料で親の申し込みを不要としたことで、
本当に困っている子が来やすい場になったといいます。
貧困家庭の子どもとか、不適切な養育家庭の子、反社会的という形で生きづらさを表現する子、障碍のある子なども来ています。
そうした子たちの居場所になると、同じような生きづらさを抱えた子を誘うようになり、子どもから子どもへと広がっていったといいます。
【排除しないから生まれる、居場所での出来事】
特別支援級に通ってる子が来て、他の子が、ドアを閉めて入らせないようにしたというエピソードが、本に書いてありました。
「その後はどうなっていくのですか?」
店主である2人が迎え入れちゃうから、子どもとしては排除したいと思っていても、来るのはしょうがないのか、っていうところから始まるんだと思う。
時々そういうことは、あるけど、学校と違ってその子自身も、うちみたいな活動現場だと持ち味を発揮する。
学校のように、障碍がある子たちも何かにつけて指導されてることもなければ、怒られてることもなければ、極端に支援をされてるわけでもない。
学校に行くと、みんなが体育やってるような時間に、支援級の子たちは花壇作りとかやってる。
子どもたちからみたら、そういうことしかできないんだなというイメージがついてしまう。
そういう支援を受けてるっていう風にしか思えない場面がたくさんある。
おもしろ荘では、障碍のある子たちも、それぞれに持ってる持ち味を発揮するし、
やりたいことしかやらないから、プログラムが無い分、得意なことや、やりたいことをやった時に、当然強みを見せる。
あ、意外と器用なんだなとか、○○の話をスゴイ知っているとか、ガンダムのこと、あいつに聞けば何でも答えてくれるぞとか。
そういう日々を重ねているうちに、介入するタイミングがいい意味でなくなってくる。
あの子達も来ていい場所なんだな。
あいつらもいた方が面白いぞ。ってなっていって、
自然と排除問題はなくなっていくといいます。
お互いがいることで、もっと楽しいことできるって、いいですよね。
子ども時代に、お互いに受け入れ合って、自分の中の普通の定義が変わっていく経験って、大人になっても誰のことも排除をしない関わりが出来る気がします。
【子どもの成長~自然と頑張る~】
子どもたちは頼んでいなくても、大人がやっていることを見て、真似してやってくれることがあります。
例えば、たごっこパークからの帰り道、車が出るために、ゲートを開けてくれていました。
「あれは頼んでるわけでもなく、以前やっていた人が最近途中で帰るようになって、それを見ていた子どもたちが自然とやるようになった」
といいます。
最後になにかやってから帰っているんだな。ってインプットされている。
義務感でもなく、何かやりたくなってやってるっていうのが子どもにはある。
そこに自分の居場所や役割を感じている。
あぁ、子どもって、 頑張る生き物なんだろうな、
それが本来の姿なのかなと思っている。
赤ちゃんも、誰も指導するわけでもないのに、寝返りし始めて、ハイハイし始めて、つかまり立ちし始めて、歩行し始めて、すごい努力だと思う。
たごっこパークにいる子どもって、「ボールありますか?」と聞かれ、「倉庫にあるよ」と答えると、走って取りにいく。
大人で、走って取りに行った人は1度も見たことない。
子どもは逆にみんな走る。そういうの見てると、
子供ってなんか勝手に努力しちゃうんだな、頑張っちゃうんだな
楽しいことや、やりたいことが目の前にあると、走るんだな。って、
それは別に遊び場に限らず、日常でもそういう生き物なんだなと思う。
子どもって好奇心旺盛だから、何に飛びつくかな?興味示すかな?
できるだけ条件をつけないようにしているといいます。
【できるだけ条件を付けない】
できるだけ条件をつけないことが大事とたっちゃんはいいます。
例えばバケツある?って聞かれた時に、大人は
「何に使うの?ちゃんと片付ける?ちゃんと片付けるなら使ってもいいけど。 」
などといいがちですよね。(私も何に使うの?って言っちゃうなー)
そうすると片付けられないかもって自覚症状があると、
「バケツいいです…」ってなっちゃう。
その結果、結局頑張らないっていう風になっちゃう。
なので、よっぽどじゃない限りは条件を付けずにっていうことを、いつも意識しています。
【安心できる場って?】
たっちゃんやみっきぃの後継者がいないと、ゆめ・まち・ねっとの活動って終わってしまいますよね。
と批判的に言われることもあるといいます。
でも、それでいいんじゃないかなって、何が悪いんだろうって思っている。
そこで終わったとしても、
それまで出会った子ども・若者が、あの2人に出会えて、あの場所に出会えてよかったなと思ってくれる。
それでいいと思う。
続けることだけがすべてではない。
全然比べ物にならないけど、吉田松陰さんが私塾を開いて、29歳で短い生涯を閉じています。
でも、その間に高杉晋作や伊藤博文を輩出し、彼らが明治維新の中心的な役割を果たしたり、新政府を軌道に乗せたりしている。
短い生涯でも松陰の教えが脈々と受け継がれ、今でも生き続けている。
それこそが持続っていうことなんじゃないかなと思う。
自分たちの持続可能性ってそういうことで、いいと思ってる。
私も、このお話には共感する部分が大きくて、
場所だけあって、この人本気じゃないなみたいな人と接しても多分違うと思っていて、自分の為にこんなにちゃんと動いてくれる人とか、頼りになると思える人だからこそ、救いになる部分が大きいと思っています。
特定の大人に愛された経験って、子どもにとっての、大きな財産になると思ってます。
それが親であれば1番いいですけど、そうじゃなくてもでも誰でもいいわけではないとずっと思っていました。
お2人はまさにそういう存在だなと、本を読んでも、実際にお会いしてお話を聴いても実感します。
■最後に
子どもってとっても可能性に満ちあふれてます。
その時に大人がどうかかわるのが最善なのか、子どもによっても違うので、本当に難しいですよね。
お話に出てきた、なるべく条件をつけないなど、できることからやっていこうと思いました。
サイボウズで私の所属している、「ソーシャルデザインラボ」。
先日、社長室から名称が変更になりました。
ソーシャルデザインラボの上司に、小さく始めることを意識的に言われることがあります。
私はプロジェクト的に大きな構想を描きがちなので、言われると、今できる事を振り返るようにしています。
とはいえ、条件をつけないって簡単なようで、親としては葛藤がありますよね。○○だったらどうしようか、危険はないかな?とか・・・
あ、条件つけちゃったな・・って振り返ること、気づくことがができるだけでも良いのかなと感じました。
次回は「大人との関わり編」です。
ゆめ・まち・ねっとさんには、親も含めてたくさんの大人との関わりもあります!
次回も見てくれると嬉しいです😊