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第19話 ✴︎ 「 アンガーマネージメント/本当の周年」By"イーディィ/InnocenceDefine”✴︎2022✴︎

わが右腕の栞に教わってLineの中に自分専用の宛先を作ることに成功した。
信じられないほど嬉しい。そのおかげでiPhoneからPCに写真を送る際の手間が完全に省けた。故に写真投稿スムーズ。
Air Dropという武器が無敵だったのは今は昔、現在はなぜか全ての写真が「HEIC」というフォーマットでDropされてしまい、noteなどへの投稿の際、全ての写真をJpegに変換せねばならんという手間があった。これが割と「記事を書こう!」という気分を削ぐんであって。
ともあれ今日は月曜日。
「月モカ」に投稿する記事を「ひとかどアーカイヴ」にしようと決めた。
なにせこの半年1度も更新していない上、先週は我らがりさこの結婚式💍だったんだからね!笑

この”りさこ仕立てのマンスリー”を見よ!

ところでこの「ひとかどアーカイヴ」はどこかに連載されてるものじゃないから、このマガジンを読んでいる人は基本的には「月モカ」の読者であるから説明は不要なのですが、このマガジン的には必要なんで新刊の告知をします!


2019年から2021年秋までのイーディの日々が中島桃果子の十年ぶりの単行本「宵巴里🌙よいぱり」として刊行されました!


朝陽が昇る直前の「宵巴里」はとても美しい。

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(我らがりさこは第3話の語り手です〜)



で、9月。台風のような女りさこの結婚。
信じられないような嵐が吹き荒れ、正直「もうダメだ、キツイ」と思った。
(祝辞でそれらを正直に述べましたので、読者の皆様心配ご無用です)

いやあキツかった。色々キツかった。
けれどなんていうのだろう、

2019年に開業してすぐにりさこが現れて、そのりさこが今「結婚する」とあらば、そこまでがイーディ3周年ということではないか。この店を支え続けてくれた台風女に全力の愛を贈って、我々は四年目に突入するということではないのだろうか。そう考えた。

今よく考えてみると、わたしがイーディを開始したのは六月だが実際オーナーになったのは九月だったわけで、そういう意味では今月が本腰の周年だったと言える。結婚式は9/19で、このアーカイヴも奇しくも19話。
全てククリの九月。そう考えている、今は。

りさこ独身最後のイーディ/2022.9.15

で、店のことである。
学び。そう、学び。3周目を括り4年目を新たに始めるための大きな学びを得たブライダルだった。もう4年目。3年が経過して4年目に入る。
周を重ねるごとに新陳代謝して新しくなってゆきたい。
この3年については10年ぶりの単行本という形で小説家的にも括ったし、
何年経っても目を細めてオープン当時の話ばかり繰り返す女主人になりたくない。

わたしと栞は8月の終わりに一つの目標を定めた。
それは「搾取させないけど、搾取もされない」という目標。
搾取させない、は世界からりさこへ。例えば結婚式場からの無駄な演出による上乗せ、とか。例えば。
しかし「搾取もされない」というのはだからって我々が我々の資源を「誰からも」搾取されてもいけない、ということ。

これは今後のわたしとりさこ、栞とりさこ、店とりさことの健やかな関係に関してとても大事な目標だった。りさこにとっての人生一大事に大きく関わる。その「関わる」ということによって心の距離ができるようなことだけは絶対避けねばならない。

そして「搾取されない」というのはお金だけでなく肉体と魂が持ちうる資源そのもののことである。あるいは善意。あるいは時間。あるいは優しさ。

それを貫くこと。自身の資源を護り抜くということが、対峙する相手全てへの愛そのものである。

「結婚式」ということでそれらをおろそかにして、あとから「めでたい席だったから黙ってたんだけど・・・」みたいな話があちこちで噴出したらそれこそ「愛はどこにあったのか」という話になるから。

「搾取させないけど、搾取もされない」

これは大きな目標だった。きっかけは「赤い蝋燭と人魚」だった。
今は令和で、この結末を書き換えねばならぬ、少なくとも「りさことイーディ」の世界線では。わたしはそう思った。

そして我々はそれを成し遂げた/2022.9.19

二次会はイーディでした/2022.9.19

全てが終わった今、自分が思うこと、この嵐を通じて学んだことは
「アンガーマネージメントこそ全て」ということである。

この言葉はわたしが唯一「同じ環境の人間」ということで全幅の信頼をおいている同世代社長の江古田氏の言葉である。(「宵巴里」に江古田氏として登場するのでエコ氏と書きます)

エコ氏もかなり壮絶な8月、9月をお過ごしの中、彼は全てにおいて自身を俯瞰でみ、他者の課題と自身の課題を選り分け、冷徹ではなく愛を持ち淡々と対応した。どちらかというと彼は自身に起こっていることを話したりはせず、わたしが身の上に起こってる嵐について話すことの方が多かったが、

この九月、いつくか直面した「もう投げ出したい」ような数々の出来事、
それらに対し、エモーショナルに対峙せず、自身をマネージメントできたことこそ自身への最大の祝辞であり讃歌であり、この嵐を駆け抜けて手にした唯一無二の財産である。

”情感” こそが全てを破壊する可能性についてとことん向き合った三年目の九月だった。

友人宅から臨む不忍通りにて祝杯/2022.9.26

エモと愛だけが武器、という感じでお店を始めて、
「宵巴里」の改稿時に旧知の編集の壷井さんからエモを奪われて(笑)、
そこから全ての一瞬一瞬にエモなき日々を送っている。

今となっては店で一瞬見せる感情的な振る舞いですら、もう、本当はその瞬間の感情ではない。(もちろん演技ではない)。

「まあ、まだ3年目で興奮してるから笑」

そう言って笑ったのは10年以上お店をやっている職人さんである。

そうなんでしょうね、と思う。笑。
そして去年のわたしならこの文章の結びに
「けれどもわたしはまだまだ興奮していたい」
とか書いたと思う。

でも今のわたしは。
全然興奮していたくない。笑。

凪。凪こそ全て。
特別なことなど起こらなくていいから、穏やかに日々のルーティーンをこなしていたい。笑。

上手にできた「アーリオオーリオ」的な何か。


自身への祝福。久しぶりに深夜に残ってピアノを弾いて歌いたい歌を歌うということをやった。祝福と解放。大事だよね。
誰も聴いてないとか、頼んでないとか関係なくそれをやる行動。
で、それを放つこと。

(レディオは夏季Q暇を終えてしばらく”準備Q暇”に突入したんです。それについてもまた近々お話ししますね)

(これは9.19に配信した1st anniversary動画です!)

ではまた!


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