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月曜モカ子の私的モチーフvol.260「神保町のセレンディピティ」

本当ならばシャルルドゴール行きの飛行機に乗るため空港に向かっている時刻だった、それを知ったのは。そしてわたしの中のパリを思い切って引っ張りだした翌日のことだった。それ。神保町のパリ。
神保町のパリとわたし、運命の激突。
”♪セレンディピティ!”と何かが鳴ったがその時まだその言葉すら知らない。まさにインターステラーのマーフの本棚。
運命が時を超えて9歳のわたしの本棚をノックしていた。

この本棚に先日「宵巴里」が飾られていた。けれどもそれは、この物語よりもう少し先のお話。
https://www.instagram.com/passage_bis/

えっと、何から話せばいいんだろうか。
そうだね宵巴里にも登場するマダームNのこと。
イーディのみんなには「フィンランド行き」とまとめて話していた栞との「誰June」聖地巡礼の旅には実は栞が大好きだと言ってくれているエッセイ「Mon viel ami」の聖地巡礼も含まれており、我々は最初にパリに入ってモンサンミッシェルに泊まってからフィンランドへ向かう予定だった。
3度目のパリは「モンパルナス」に泊まりたいな、そこから列車でモンサンミッシェルへゆきたい。そんな旅が1月に降りかかった青天の霹靂で断然せざるを得なくなった話はもうここで何度か書いたから、語るのは野暮だろう。そして2月2日、マダームN夫妻が「一陽来復」のお守りと”神保町のパリ”を持ってきた。「モカコさん、ここに宵巴里置いたらいいんじゃない、なんかパリだっていうから」その時わたしはamazonに書籍の委託を「しなければ」いけなくて、そしてそれにはあまり気乗りがしていなかった。
独立独歩で、それはそれは気高く「宵巴里」を作ったのに、ビッグバジェットに巻き込まれてゆかないと「宵巴里」を他者に届けていくことが困難という現実に、あまり納得していなかった。

わたしには「船パリ」という、昭和三年で止まったまま、長い間頓挫してしまっている長編時代小説がある。もんどり打って戦争へ転がっていく昭和初期の日本、そのすこーし前を切り取ったジャズとレビイウとキャバレーの物語。生半可な気持ちで執筆再開などとてもできぬが『宵巴里』を出したいま、次に向かうのはこれではないかという気もして。しかし今年はイーディの経営も生半可じゃ済まされない。それでもわたしは引き出しの奥にしまっておいた「船パリ」を取り出して火曜日にジャズピアニストの上山くんに渡したのだ。「多分今年書き進めることは難しいけど、かけたとこまで読んでみて。すでに原稿用紙で500枚以上あるの」神保町のパリに遭遇する、それは前々日、2月1日のことだった。

10年前の年賀状。モデル/妹:丘田ミイ子

そしてマダームNが教えてくれた”神保町のパリ”をやっているのが「船パリ」の執筆の傍らにいつもあった本たちを生んだ鹿島茂さんだとわかった時、わたしはもう、この運命に向かって後ろも振り返らず走り出していた。
うん、だからきっと、2日前から走り出してしまっていたのかも、しれない。わたしが栞と目指したシャルルドゴールの扉は”神保町のパリ”へと続いていたのだ。

雑に撮影したわが「船パリ」エリアの一部。

実は”神保町のパリ”というのはわたしが勝手に読んでいる愛称で、
当然”神保町のパリ”にはれっきとした正式名称がある。
『PASSAGE by ALL REVIEWS』というのがその共同書店の名前で、
この会社の代表は鹿島さんの息子さんである由井さんがつとめておられる。

(わたしは鹿島さんの本の中のパリにばかりのめり込んでいて、息子さんがいらっしゃったことなども何も知らなかった)

由井緑郎さんともその日色々話せたよ。
”セレンディピティ♪”

3階のカフェは(その日わたしはそれが情報としてしか入ってなかったのだけど)OPENしたばかりで、冒頭に貼ったリポストの写真のように本棚もまだ”予感”に満ちていて、言われてみれば確かに新しいと思ったのだけど、なんだかとても自分はここによく来ているような気がして、そのことに気がつかなかった。もしかしたらここによく来ている未来のわたしが、その細胞に刻まれた記憶を、あの本棚越しにわたしにエンパスしてきたのかもしれない。

やってくる偶然と迎えにいく偶然ががちょうど真ん中でで会うことを「セレンディピティ」と言うのだと、その日、このカフェで出逢ったフサ子さん(青熊書店)が教えてくれた。

思い返せばこの時、まだ見ず知らずの”神保町のパリ”へ向う夕暮れの不忍通りは橙色にきらきらと発光して、とても美しかった。
信号が変わるのを待っている間わたしはずっとその景色を眺めていられた。
『宵巴里』はいよいよ、この東京の街へ、でてゆく。
自分の家(イーディ)の外へ出てゆき、初めての遠足へ向かうわが『宵巴里』がとても愛おしい。

人は皮肉な生きものだ。蒼の時代のとき、その青さは疎ましい荷物だった。早く脱ぎ捨てて大人になることばかりを夢見ていたのに、大人になったらあの青い春をもう一度手にしたいと思う。デビューしてから何年もの間、わたしの本は数えきれないくらいあちこちの本屋に大量に積まれていて、それをたまに見に行ってみて「あるある」とちょっと喜ぶことはあったけど、不忍通りが橙色の惑星のように煌いて見えることはなかった。あの頃わたしにとって刊行された本というのは「終わった仕事」で、わたしは次の締め切りまでに何か素敵な物語を書かなくてはならず、いつも締め切りに追われていて、終わった仕事のことを愛でる時間がなかった。

そうか。不忍通りが美しいんじゃなくて、今、神保町のパリへ向かう、わたしの瞳に映る不忍通りが美しいんだ。いつか初めて目にした、サンポールの駅前のように。

2005年、初めてのパリ。サンポール駅の近く。

わたしの本棚はシャルル・ボードレール通り。調べてみたら初めてパリに行った時過ごしたサンポールの駅からリヨンの駅の周辺で、わたしはそのことが大変気に入った。本棚は一番地(一番上)で少々不利かもしれないがそんなこと関係ない。あの、ナオミと一緒に過ごしたサンポールの日々に近いことが何よりも大事なのである。

サンポールのホテル。
こちらモンマルトルの階段。

「セレンディピティ」という言葉を調べると実は意味は割と難解で、
偶然の出会いや運命を「発見する目」のようなものをセレンディピティと呼ぶ気もする。だとしたらわたしは『宵巴里』を誇りに思う。
わたし、じゃない。あの場所を見つけたのは。
あの場所を見つけたのは『宵巴里』おまえ。
半年の間、我が店と地元滋賀の書店に感謝をしながらそこに”居て”くれた。そして今年「自分が置かれるべき本棚」を自分で見つけ、マダームNをわたしの元へ寄越してくれた。

Amazonなんかに置いてくれるなと、幸子さんが描いてくれた物語の中の女主人がわたしに言う。わたしはわたしで、自分にふさわしい本棚を探すからと、宵巴里はわたしにそう言ったのだ、聞こえない声で。

わたしには目が横に2つしかない。
けれどあなたは縦に2つの目を持っているから。
わたしに「セレンディピティ」をもたらした。
著者にとって最高の運命を。

ありがとう『宵巴里』これからも我々、気高くいこう。
きっと必要な人の手に、届き、ふさわしい美しい本棚に飾られる。

サンポールのホテルにて(2005)

月モカvol.260「神保町のセレンディピティ」



(↑シャルル・ボードレール通り一番地をお探しください📣🌝✨)
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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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