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私が自分と向き合って。これまでと、これからと。

「あなたは何の為に生きていますか?」
そう聞かれた時、なんと答えますか?

「幸せに生きる」って何ぞや?

「幸せになるための選択をしてください」
「幸せになるために、我慢や不安からの頑張り、苦しみは手放しましょう」
これは私が自分と向き合い始めた頃、最初に聞いたセリフ。
きっとあなたも聞いたことがあるはず。
だけど私、最初に聞いた時に本当に意味がわからなくて。

「幸せになる為に生きる?私、何の為に生きているかわからない。」
「親はいつも私にイライラしているし、「あんたは学生だからいいね」という。
 「どうせ俺はサラリーマンだしうちはその程度」とかいう。私には貯金しなさいが口癖。それでも幸せのために生きるって言うの?」

そんな親を見て育った私だから、
・「幸せに生きる」だなんて、特別な人だけに与えられた権利
・完璧な、すごい人になれば幸せになれるかもしれないけど、凡人にそれは無理
・人生は修行。頑張り続けないといけない。でも頑張り続けても才能がなければ人生はそこそこ良く感じられるだけ。
・幸せを感じた分、辛いことがある。
そんなふうに考えていたから、「幸せになるために生きる」という概念が全然分かりませんでした。

実は私って、とんでもないメンヘラ?

なんとなく人生が苦しいな、と感じていた私。
友人にも恵まれ、大学院を卒業して就職をし、他人から見ると何の不自由もなかったはずなのですが、
親や付き合った相手など、心理的距離の近い相手に対して、
すごく怒りっぽかったり、かまってちゃんになってしまったりすることに対して、すごく罪悪感を抱いていました。
具体的に言うと、
・恋人を試すような発言をする。
・恋人が自分の納得のいく行動をしなかったらキレるし泣く。
・家族に対する不満が止まらなくなり、キレる。など。
そのくせ、家族や恋人よりも少し心理的距離の遠い友人に対しては気を遣って合わせて・・・といった感じ。
でも言いたいことは言えず、表面上だけで仲良くして。
だからこそ、「このままの自分じゃダメだろうな」と心の底では思っていたのです。
こんな時に「自分と向き合う」ことに出会い、自分を知るための作業を徹底的に行うことになりました。

するとどうやら私は世間で言う「メンヘラ」だと言うことがわかりまして・・・。
いや、薄々気付いていたんだけど、周りに気付かれたくなくて、ずっと見て見ぬふりをして隠して生きてきたのです。

悪いところ直して、完璧でいないとなぁ。

自分がなぜこんな行動をしてしまうのか知りたくて、
過去の自分に対し「何でこうした?」「何て言われたと思うように感じた?」とか、
掘り下げるような質問を何十回、何百回と繰り返していくうちに、
自分の自己肯定感の低さが原因だとわかりました。

「どうせ誰からも愛されない。」
「私はみんなよりも下の立場だから、頑張ってようやく対等な立場になる。」
「どうせ可愛くないからチヤホヤされることなんてないし、私のことを好きな人なんて・・・。」
みたいな感じで、今思うとすごくすごく、自分をいじめてしまうような思い込みをしていたのです。(今思うと自分のことがかわいそうで泣けてくる・・・。)

そしてこんな考え方が生まれた原因として、
「あんたは私たちの子どもなんだから、頭いいわけないんだから」
「○○ちゃんはいい子で言うこと聞くのに、なんであんたはそんな反抗的なん」
喧嘩した時は2・3日無視されるのは当たり前、
みたいな感じで、自分の存在をまるっと認めてくれるわけではない親、
仲良くしてたはずなのにある日突然無視される、
自分の意見を言うと少数派として変わり者、除け者扱いをされてしまうような地元の学校
こんな環境からきていることもわかりました。
そりゃあ自分のこと信じられないし、認められないよなぁって。
そりゃあ他者に認めてもらいたい!って思ってしまうよなぁって。
今なら本当によくわかります。

でも私は、自分が自分で「悪い」と思っていることがあるということまではわかったのですが、
今までの人生では、この「悪い」と思っている根本原因とも向き合わないまま(というか向き合い方を知らなかった)
外面をよくしたり、自分の悪いところを隠したり、見て見ないふりをする方向に努力するといった、「外面からみると完璧に見える状態」を目指してきたから、
自分のメンヘラ的要素に気づいてしまった時も、「そこも完璧になおさなきゃ!」って無意識に思ってしまったんです。

確かに自分の感情のコントロールができなくなる理由はわかるようになったし、だいぶん気づいて直せるようにもなった。
でも結局、自分の今までの人生でダメだと思っていた原因を見つけてしまったからこそ、「メンヘラをやめて完璧にならないと幸せになれない」という自責がどこかにあって。(そもそもそれに気づいてなかった。。)
調子のいい時は良かったのですが、そうじゃない時は「ダメだった過去の自分に戻る(メンヘラな自分に戻ってしまう)」という感覚は消えないままでした。

自分と向き合ってもなお完璧を求めてしまう。

でもやっぱり生きていると、人生は辛いこともあります。
恋人との別れ、今まで接していた周りの人と合わなくなる、仕事でピンチな状況に立たされる、体調不良になる、などなど。
そんなことがあると、完璧ではない自分を認められていないから、「どうせ私は愛されないんだ」などと言った、自分の中のマイナスな設定がガンガンに炙り出されていきます。
「やっぱり私のここが悪かったんだな」と、正解のない正解を求めてしまったり、完璧に不安を消さないといけないと思い、わざわざ不安を見つけては解消していないことに落ち込んだりしていました。
さらに過去の経験から今のこの思い込みを生んでると考えた時に、親や環境のせいにしてしまってもいました。
「なんで私だけ上手くいかないの?」と思ったりもしていました。
そう、自分が何となく辛い原因は過去にあるということは理解したけど、それに対する対処方法については理解していなかったのです。

一般的にはよく、
・過去の傷を癒しましょう
・過去の出来事からできた、自分の思い込み・ルールを知りましょう
と言われます。これはめちゃくちゃ大事だと私も思います。
過去の出来事からきた解釈癖について理解するだけでも、人生は大きく変わっていきます。
だけど、過去の思い込みや傷はもう掘り続けると終わりがない!
もう十分にされて嫌だったこと、自分が嫌なところはもう見てきた!
でも過去は過去。それよりももっと大切なことがあると思いました。

完璧じゃなくていいし、不安なままでいい。

本やインスタなどを見ていると、心理カウンセラーさんは「過去、特に幼少期からの親子関係を見ましょう」と言います。
私に関しても例に漏れず、親との関係性が今の自分を作っているということを痛感しました。
でもね、「いつまでこれやる?」っていう話なんですよね。
私たちは未来に向かって生きていく必要がある。大切なのは今この瞬間からの行動なはず。
なのに、心のことを学んでいるとついつい過去に行ってしまう。そして過去を完璧に理解し、癒そうとする。
それだと苦しくなります。実際それをやり続けて幸せを感じにくかったと言う証拠があるし。
そもそも完璧ってどんな状態のこと、っていうお話なんですよね。

それに気づいた時、私はまた自分の中での殻が1つ剥けた気がしました。
まず、今の自分や未来に対して不安になることがあったとします。
でも、不安になること=幸せになれない、という方程式は成り立つのでしょうか?
不安になることは解消しないと生きていけないのでしょうか?
・・・答えはお分かりですよね、そんなことはありません。
世間よりも年収が低い人でも、毎日笑って穏やかに過ごしている人、
一見ワガママに生きているけど、すごく愛されて幸せそうな人、
ソロ活を楽しんでいる人、
いろーんな人がいますが、この人たちに問題はあるのか?というと別にないんですよね。
みんなそれぞれ楽しそうに生きている、ただそれだけ。
だったら私も、今抱えている問題や不安に思うことはあったとしても、
それ自体を問題とせず、ただそれを事実として受け止めるだけでいい、
そのままの状態でもう幸せに生きることができるってことなんです。
私は「不安な状態なことがあっても、未来はどうせ幸せだから大丈夫」って決めることにしました。

これからは完璧じゃないありのままの私で、私らしく軽やかに過ごしたい。

外面で埋めたり、過去の出来事を掘り掘りしていくことも決して悪いことではありません。
自分に自信をつけることや、今の自分が形成されていった理由を知ることもすごく大事なことです。
だけど私はもうそれはやりきった。
これからは自分のことを、もっともっと大切にしてあげたい。
自分のことを1番大切にしてあげられるのは、他の誰でもない自分だけだ、自分がどうあるかだってことを強く感じています。

これまでたくさんのことを頑張ってくれた過去の自分、
このような自分を形成するまでに至った出来事については感謝しつつ、
これからの人生をもっと良くするために、外面で埋めるのはやめて、

・「完璧」は終わりがないから目指さない、強いて言えば「今が完璧な状態」と自分の中で決める。
 (自分が今できるベストを尽くすことは大切だから、今、何もない状態をベースとして、この状態を100点として考える。完璧は100点以外悪であり、減点方式という考えなのでこれはなるべく手放す)
・目指すとしたら、自分がいかに心地よく過ごせるかどうかを1番にする。
・「この世の正解=自分の正解ではない」だからこそ自分で正解だと決めたことを正解にする。そのために行動をする。
・不安な気持ちになった時は、なってしまうこと自体はOKとして認め、その後の行動を「どうなったら最高?」って自分に聞いて変える。

これらを意識して、毎日自分にインストールできるようにしています。

生きてる限り、望みを叶えられる私になる。

まだまだ他人の目が気になったり、世間体を気にしてしまうこともありますが、
それはそれで、今の自分にメリットがあるからやっていることで。
だけど毎日「どうなったら最高?」をひたすら聞き続けて、
自分の今できるベストを尽くして少しでもそれに近づけるようにしていくことで、
日常は大きく変わっていないけど、心の持ちようは本当に変わってきていることを実感しています。
過去は変えられないし、今大きく変われって言われても変われないし、苦しいだけ。
だけど毎日「どうなったら最高?」って自分に聞き続けると、少しずつ自分の中の「当たり前」というか、「枠」を超えるような行動や考え方をインストールすることが自然とできるようになっていきます。
そしたら今の自分はできないけれど、少し先の自分ならできるのかも?って希望が湧いてきたりします。
そして自分の枠をほんの少しだけ超えて行動する、そうすれば自分の中での最高に近づいていくわけです。

さらにこれは過去の自分の思い込み、親や周囲の環境から受けた影響のせいにしない効果もあるんです。
今の自分の無いところや、過去の自分ばかり見ていると、どうしても「この思い込みがあるせいで〜なんだ!」といった枠に囚われてしまって、
せっかく自分が苦しい理由がわかったのに、行動ができなくなってしまいます。
「過去は〜だったんだな。そりゃ辛くても仕方ないし、悩んでも当たり前。でもじゃあ今からはどうしたい?」と未来を望んでいける私でいたいなと思うし、そういう人が増えてほしいなって思います♡
親や環境がどうであったって、これからは全然変えられるし、どうとでもなるよ。
人生の責任を自分以外のせいにしないためにも、「枠超え」の考え方は大切だなって思います。

今、私が望んでいること。

ざっくり、すんごく大きな望みを書いていきますね。

・自分の中の安心感や望みを大切にできるコミュニティが当たり前に身近にある、そんな世界を目指す。
 →子どもたちの学校以外の居場所づくり、子育て中の方や子どもたちを教える立場にある人へマインドについてもアプローチできるようになりたい。
・私が写真を撮るだけで、みんな幸せになる。そんな世界にする。
・とにかく毎日穏やかに安心して暮らす。
・自由にお金を使っても、また巡ってくる世界にいる。
・「仕事=苦しいことをしてお金を稼ぐ手段」じゃなくて「仕事=楽しくて人の役にも立って、かつお金が得られる最高の手段」な世界にいく。
・本や写真集を出版したい。コミュニティをどんどん広げていって、本を書いたりするのも当たり前な自分でいたい。

ですかね。実際に望まないと行動にも移せないと思うし、言うだけタダなので書いておきます^^
でも1番は健康な身体で毎日穏やかに過ごすこと、これが1番大きな望みですね〜。それで毎日好きなことできてたら、あとの願いはそのうち叶うと思うから^^

みんなに伝えたいこと。

多かれ少なかれ、皆さんの中には「思い込み」や「枠」があります。
今、自分にどんな「思い込み」や「枠」があって、それはどうしてあるのかというのを一度ノートに書くなどして可視化してみてください。
そうすると、びっくりするほど自分の中の解釈で判断していることが多いということに気づくと思います。
そこに気づいて、この解釈が「自分で決めているもの」と認識するだけでもかなり大きな発見があるはずです!
そうしたらまず、自分と他人との線が引けるようになって、自分の人生は自分のものだという責任感が増してきます。
そしたら次に「じゃあどうなったら最高か」を考えていくことで、自分主体の人生になって、どんどん願いが叶っていきます!

以上、ザーックリと書いていきましたがいかがでしょうか?
文字数がかなり多くなってしまったのでこれで終わりたいと思いますが、
本当に1つ1つの内容はもっとたくさん語れるので、
「ここ知りたい!」ってところがある人はぜひ教えてください。
いっぱい語らせていただきますw

ではでは、またねー!

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