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サンフランシスコ遠征日記①乗り換えで死にかけ編

どもmoaiです。
今日からはサンフランシスコ遠征日記です。
昨年末の話ですが、ご理解ください。

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昨年の12月のクリスマス、逃げるように国外逃亡した。

場所はアメリカ・サンフランシスコ。

選んだ理由は場所がコンパクトで、一箇所の宿で行動範囲が収まるところ。四大プロスポーツが見られる場所で調べると、サンフランシスコが候補に上がった。

アメリカ自体は大学4年の03年、親に借金して行ったニューヨーク以来、15年ぶり。当時、ワールドトレードセンタービルが崩壊した翌年で、たまたま日本人宿に泊まった際に読んだ雑記帳が今でも心に残っている。そこには切実な思いが、書き殴られていた。

「今まで普通にあったワールドトレードセンタービルが崩れていく、あぁぁぁ。日本に帰られるの?」

「え、ホントに?昨日行ったばかり。1日ずれていたら私死んでた絶対」

その後、アメリカに渡航する際は事前にESTA(電子渡航認識システム)を申請しなければ行けなくなった。今回の旅まで知らなかった。

18年12月23日の夕方羽田出発。前日は横浜でHi-STANDARDのライブを見て熱狂していた。JALのマイルを突っ込んで、飛行機代はほぼ無料だった。サンフランシスコとは時差がマイナス17時間。到着すると、現地時間の23日13時過ぎ。ほぼ、飛行機乗っている分がそのまま時差となる。機内では「寺門ジモンの取材拒否のお店」や「成層圏麻雀」で時間を潰した。2度の機内食はこんな感じ。

気持ちよくサンフランシスコに到着!

街に足を踏み出した瞬間、やっぱりアメリカと感じる。街のいたる所に国旗が張り出されている。
普段日本にいると感じられない「アイデンティティ=自己存在証明」を街並みから感じることができる。

到着初日のミッションはアイスホッケー観戦!サンノゼ・シャークスの応援!

サンフランシスコにはアイスホッケーのフランチャイズがなく、近隣のサンノゼまで遠征しなければならない。距離感はこんな感じ。久しぶりのアメリカにしては、なかなかの遠征だ。ざっと2時間以上はかかりそうだ。

まずサンフランシスコ空港からシビィックセンター付近の宿屋へ地下鉄で直行し、チェックイン。そこから、シャークスのホーム「SAPセンター」に移動しなければならない。

地下鉄とバスを乗り継ぎ、何とか現地に到着。途中、乗り継ぎの駅から見えた風景は、アメリカと言えども、田舎ではあった。チケットは日本で購入済だった。

アイスホッケー観戦は前回のニューヨーク遠征以来。

はっきり言って興奮した。

欧米人のスポーツ観戦を見習うべきだと、常々思っていた。ホーム&アウェーの対立構造に、自チームへの賞賛と、相手チームへのブーイング。ショー化された演出。すべてがスポーツ観戦の醍醐味。どうも日本人は外向的ではないのか、気恥ずかしさが前面に来てなかなか弾けることができない。一方、欧米人の自己表現の豊かさ。スポーツ観戦は、こうじゃないと。

応援の醍醐味の1つに、未来のスタープレーヤーの発掘にある。入団から1人の選手に注目し、コツコツと応援。その後、選手は大きく羽ばたき、「フランチャイズプレーヤー」としてチームを牽引する存在となっていく。

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Wikipediaによると
フランチャイズ・プレイヤーとは、スポーツ用語で長期にわたって同一のチームの第一線で活動し続ける選手を指す。狭義では入団から引退まで同一のチームに、最狭義ではプロデビューから引退まで出身地・出身校の地元チーム一つだけに在籍し続けた選手を指す
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アメリカのフランチャイズプレーヤーという言葉、概念は上記に加え「地元の英雄、おらが町のヒーロー」というニュアンスが含まれているのに対し、日本の「生え抜き」という言葉には、入団からずっと移籍せずに所属している、という限定的なニュアンスしか感じ取れない。そこが日米の応援に対する温度差を如実に表していると思う。

試合は応援したシャークスが負け、ブーイングの中、会場を後にする。外はとっぷりと暗くなっていた。

帰りが大変だった。行きは湾岸東ルートで来たが、帰りは湾岸西ルートの「カルトレイン」で帰らなければならない。SAPセンターのそばに駅がある。 電車の時間はギリギリのようだった。 午後8時台の電車を逃すと、どエライことになっていた。

1時間半、電車に揺られていればサンフランシスコに着くと早合点し、乗って早々に爆睡。

それが悲劇の始まりだった。

ろくすっぽ、乗り継ぎを調べずに乗ったのが間違いだった。

まどろむ中で、何となく「サウスサンフランシスコ」と聞こえたので、降りる準備をした。携帯に保存した地下鉄乗り換えマップに出てくる駅だもんな、と寝ぼけながらも自信満々の選択だった。

それが、とんでもない間違いだと気付くのに、たいした時間は必要じゃなかった。

サウスサンフランシスコ駅で降りた瞬間、暗がりでよく分からなかったが、目が慣れてくると、

材木置き場じゃないですか。と気付いた瞬間にプシューと、扉は閉まってしまった。

ない!ない!何もない!周りを見渡す限り何もない!街の光すらない!

背中に嫌な汗がタラリと流れて行くのが分かる。完全にサウスサンフランシスコの漆黒の闇に取り残されてしまった。

周りを歩いてみるが、生活感ゼロの材木場で、目の前のバイパスでは車が爆走している。

「いやこれ、詰んだわ」

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本来ならこのタイミングで、証拠写真を挿入するのだが、気が動転していて1枚も撮影していない。

残念!

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途方に暮れるしかない。当然、Wi-Fiも飛んでおらず、位置関係が分からなくて右往左往するのみ。数10分うなだれていた中で、ふと一筋の光が差した。

「会社の携帯を使うしかない」

プライベート携帯と社用携帯二個持ちで、プライベート携帯は海外電波非対応だったので、没。

会社携帯は月額5万円だけ、海外でも通話できる設定になっているというのを思い出した。これで会社から請求されても、気持ちよく払ったるわいと、機内モードを解除する。

すると電波が入ったのを確認。ここで救ってくれるのは、Google先生なのだ。
Googleマップで自分の位置を確認、周辺をスクロールすると、小さなホテルを発見した。そこまで歩いて、サンフランシスコまでタクるしか、命綱はない。

そこから暗闇の中からバイパスに抜け、車がビュンビュン飛ばす脇を歩くこと、約30分。

小さいホテルにたどり着くやいなや、フロントの女性に拙い英語でまくしたてた。

「エクスキューズミー、〜★■□★★?」

何とかタクシー呼んでくれとボディーランゲージ9割の英語で話し、何とか呼んでもらった。

そこからサンフランシスコのど真ん中まで50ドル。約5000円だとさ。

今この投稿を書くにおいて調べ直すと、乗り換え駅はサウスサンフランシスコではなく、1駅手前のサン・ブルーノようだった。

久しぶりの海外旅行で死にかけるとは思いもよらかなかった。
これが翌日以降も続くとは、夢にも思わなかった。【続く】

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ちなみに会社から海外での通信費は請求されませんでした。

チャンチャン♡

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