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「奥の細道」?「おくのほそ道」?

私の現代語訳「おくのほそ道」では、「奥の細道」ではなく、「おくのほそ道」という表記を使っています。

ところが先日、「おくのほそ道」という書き方はおかしい!「奥の細道」が正解だ!というようなネット上のコメント(私にあてたものではありません)を偶然見ました。

もう少し他のコメントを見てみると、今の教科書は「おくのほそ道」を採用しているので、「奥の細道」の方が正解だと思うのは昔の教科書で学んだ人だ、と考えているらしい人も少なからずいます。

そこで、現在の教科書を(全てではないのですが)各社のサイトで調べてみました。まず中学校の国語教科書では、調べた4社(教育出版・三省堂・東京書籍・光村図書出版)全てが「おくのほそ道」を採用していました。

ところが高等学校の国語教科書を調べると、「奥の細道」が6社(桐原書店・三省堂・第一学習社・筑摩書房・東京書籍・文英堂)、「おくのほそ道」が3社(数研出版・大修館書店・明治書院)と、表記が割れていたのです。

このことから、表記の差は世代によるもの、ということではなさそうです。

私が「おくのほそ道」の方を選んだ理由を述べます。まず、大雑把に言うと、芭蕉の「おくのほそ道」には重要な3種類の本があります。

自筆本・・・芭蕉が題も本文も自筆で書いたもの。
曾良本・・・自筆本を弟子が清書したものに、さらに芭蕉が加筆訂正を加えたもの。
西村本・・・曾良本を、素龍(そりょう)という文字を書くのが上手い人に清書させて、題だけ芭蕉が書いたもの。

つまり、「おくのほそ道」には自筆本→曾良本→西村本という流れがあると考えられていて、芭蕉は人生最後の旅に西村本を持ち歩いていたと言われています。なお、芭蕉は生前、この作品を出版しませんでした。

さて、「おくのほそ道」というタイトルは、作品の中に出てくる、芭蕉も歩いた宮城野近くの名所「おくの細道」からヒントを得たものでしょう。自筆本、曾良本、西村本ともに、本文に出てくる名所の名は「おくの細道」という表記で一致しています。

最初の自筆本の題名が「おくの細道」だったのも、名所の表記とあわせたものかもしれません。「おく」がひらがなで、「細」は漢字でした。

ところが芭蕉が最後の清書本・西村本の表紙にみずから記したタイトルの表記は、「おくのほそ道」でした。芭蕉は俳句でも文章でも、何度も推敲を重ねて改良していく人だったので、タイトルの表記も検討し、「細」をひらがなにして「おくのほそ道」とした、ということは十分に考えられます。

「奥の細道」という表記は、江戸時代からこの作品のタイトルとして使われていて、現代でもこの表記を採用している本は見られます。自筆本は今、岩波文庫で実物のコピーを読むことができますが、実物には「おくの細道」と書かれてあるのに、文庫のタイトルは「芭蕉自筆 奥の細道」という表記になっています。

ただ、私が「おくのほそ道」という表記を使っているのは、芭蕉の最後の判断、芭蕉最後の自筆タイトルの表記を重視したからです。本屋さんで現在売られている、この作品の本文が載っている本も、ほとんどがそのタイトルに「おくのほそ道」の方を採用していますが、同じ理由なのでは?と想像しています。

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