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#02 逃げた私、今の私

2020年12月の誕生日に初noteを書きました。
ちょっと勇気が必要な内容でしたが、今の私を語るには必要な内容だったので公開をすることにしました。

「誰かのため」と言いながら、一番は自分のために書いたnote。
次に進むためのnote。
カッコつけずにありのままの言葉で書いたら、未だに自分で読むたびに泣けてしまうのですが・・・もう少ししっかりと、その時の「私」をまとめておこうと思います。

この内容は、かなりプライベートなことも書こうと思っています。
忘れちゃいけないと思っているし、忘れたくない。


私の右の胸にはしこりがあった。
一番最初にソレに気が付いたのは、もう随分と前のこと。当たり前にあり過ぎて、これが普通なのではないかと思うほど。

ある日、ソレに彼氏が気付いた。
「病院に行った方がいいんじゃないか」
自分ではない他人が触ってもわかるくらい。急に怖くなった。
丁度、タレントの北斗晶さんが乳がんになったとのニュースが走り、乳がん検診を受ける人が急増したタイミング。乳腺専門外科、しかも女医さんがいる病院の予約は1カ月以上先になるという時。

いつもどこかツイテいる私には、少し前に仕事で名刺交換をした人で思い当たる人がいた。乳腺専門クリニックの先生と共に乳がん検診の重要性を広めている方だった。

「先日はありがとうございました」

そんなメールと共に今の自分の状況を書いて送った。

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幸いに返事はすぐにやってきて、検査の予約を取ることができた。

検査当日。病院にはたくさんの診察や検査を待つ女性が溢れていた。いつも風邪を引いた時に行く病院とは何だか様子が違う。女性しかいない緊張感を私は感じてしまった。

女医先生の診察(触診)を受けて、当然ソレは簡単に見つかりマンモ、エコー検査を受けることに。

改めて入る診察室。
女医先生のハキハキした口調が、その時の私にはとてもとても怖かった。

「ん・・・もっと調べないとわからないわね」
「細胞診をしましょう」

どんどん進む状況が怖くて、診察室で泣いてしまった。

「まだ何も決まっていないんだから泣かないの!」

ただただ、怖かった。
細胞診って、直接ソレに針を刺して細胞を採って調べるのです。胸に大きな針を刺されることよりも、ソレの正体がわかることが怖かったのだと思います。

検査をしてくれる看護師さんは優しくて、不安で泣く私にお水といちごみるくの飴ちゃんを2粒くれました。
たくさんいる待合室の女性たちも基本は検査に来ている人たちで、その多くが何事もない人達。そんな中でひとり腫れた目をした私は、他の人にはどんな風に映っていたのだろうか。

検査後、天神の街を歩いている自分が、別の人間になってしまったような、不思議な感覚。「わからない」って、こんなにも怖いのだ。


検査結果が出るのは1週間後。
まず、病院へ電話をかけ検査結果が出ているかどうかを確認する。
そして、電話口で検査結果を知らされる場合と、病院へ行く場合があるという。

なんだ・・この罰ゲーム。


仕事人間だった私。
約20人のスタッフをまとめるお父さんみたいな役割で、きっと強気で負けず嫌いな性格は約100人いた全社員が知っていただろう。

手がけるブランドも成長をしていた。
仕事が私の生きがいだった。

結果が出るまでの1週間、この状況を共有することができたのは、少し前にこぶし大の肉腫が見つかった抜群のお母さん役をしてくれるスタッフと、3回は辞表を出されそのたびにサシ飲みをしては泣いたり笑ったり苦楽を共にしてくれたスタッフ。

検査結果が出るその日、会社から電話をする自信もなく、そのまま病院へ行かなければならないかもしれない状況に、ふたりはそっと私を家に帰してくれた。

ドキドキしながら病院へ電話。
かなり待たされた。
ホントに待たされた。

長い待ち時間の後に電話口に現れたのはあの女医さんだった。

あぁ、私に悪い結果が出されるんだ・・・

そう思った私に、あの女医さんはあのハキハキとした口調で
「良性です」と言った。

意味がわからない。

「・・・先生、どういうことでしょうか?」

また既に泣いている私。
そんな私にあの先生は続けて言った。

「グッドグッド!!大丈夫だったよ!!」

お願い先生、最初からそう言ってください。
もう・・・ひとり大号泣。

人生でこんなにも怖い経験をしたことがなかった。
自分の生死について考えたことなんてなかった。
病院が怖い場所だって、感じたことなんてなかった。

幸いにして、その時のソレは悪いものではありませんでした。
でも安心をした反面、私の中に残った恐怖。
私はそれ以来、病院へ行くことが怖くなってしまいました。検査の必要性や今後のことよりも、この味わった恐怖をもう二度と味わいたくない、検査結果が良性だったからこれから先も大丈夫だと勝手に決めつけて、病院へ行くことから逃げてしまいました。

それから約5年後、
私のソレは乳がんと診断をされることになります。

その時のことは、また改めて書かせていただきますが、
もしも病院へ行くことを怖いと感じて躊躇をしている方。何等かご事情がある方、私と同じようにこ怖い経験をされた方。
私で良ければ話しを聞かせてください。隣にいます。
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この病気になって私ができることがあるとするなら、病気になる前にやっておいたら良かった、気が付いていたら良かったということをお伝えして誰かのお役に立ちたい、そう思っています。病気の方のサポートをしてくださるプロフェッショナルはたくさんいらっしゃいます。病気の方のサポートをしたいというよりは、あの時の私のようにただ毎日を必死に生きている人のサポートがしたい。


他人の人生ではなく、自分が主人公の人生を生きること。どんな自分も愛して、自分を大切にすることができたのなら、他の人のことも大切にできます。自分を認めることをできたのなら、もっと楽に生きることができるはずです。

でも、自分の人生はひとりでは輝かないのだと思うのです。
人に傷つけられることもあるけど、人と関わることによって自分の魅力に気が付いて、毎日に色や音や匂いがついて動き出すと思うのです。

今年は、そんな人と関わることを楽しんで自分をもっと楽しみたい!
1年前、希望がなかなか持てなかった私をこんな風に思わせてくれたのも、私に関わってくれた人達だから。一緒に、自分が主人公の毎日を選びましょう。



サポートいただき、本当にありがとうございます。これから、食事と考え方(心)の大切さを知っていただける活動に役立てさせていただきます。