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Photo by
keitauehara
メドレーのその先の音
数ヶ月前にYouTubeのプレミアムに入った。
以降、広告がなく途中で遮断されないのをいいことにメドレーを度々聞くようになった。
メドレーをかけている間は、作業をしている時もあるし、ぼーとしている時もある。
ぼーとしているときは、音楽の言葉がほどよくしみたり、噛みしめたり、時にはっとしたり。
くるくると変わる音楽の穏やかさや激しさ。
言葉にできない言葉を歌詞に、言葉にできない感情を曲にしてくれていて、そこに身を委ねていくような。
海のずっと深くまで潜るような感覚の曲もあれば、浅瀬で地平線の反射する光を眺めるような感覚の曲もあって。
何もしなくても、心が揺らされていくのがわかる。
そして、ふいに。
メドレーは終わる。
計算された美しい音の連なりがぴたりと止む。
音楽によって引き出されていた思い出や感情の数々が、例えば、懐かしさや喜びや、あるいは後悔や悲しみで編み直されていた時間。
それがじわじわと今に巻き戻る。
寝返りを打つ、窓の外を見る。月。
音が止むと不思議と、メドレーに隠れていた音が聞こえてくる。
24時間換気扇の遠い音、ときおり通る車の音。
そして、喉の下くらいまでをくる心臓の音、今この瞬間の音。
悲しいことがあったり、なんだかむしゃくしゃしたり、そんな時はまずはまわりの音に、思い出や感情に身を委ねて、そうしてまた今に戻ってきたらいい。
(と思ってみたいですが、どうでしょうか?試行錯誤中です。)
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