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洛中洛外画狂伝 狩野永徳 谷津矢車著  

都に来た信長に、[信長公と引見したい]と現れたのは、狩野家若総領、狩野源四郎後の狩野永徳、絵を献上に。献上品と一緒にさる物語も献上するという。[今回献上させていただく絵が、極めて奇妙な成り行きで生まれ、今ここに存在することをご理解いただきたければ、というだけのことにございます。この絵の様は、尾張の田舎領主であったお方が、気が付けばこうして天下に号令している様とも似ていましょうや]不遜、この若い絵師は天下の織田信長に、何かを挑もうとしている、ならば受けて立つ。ここから物語が始まります。狩野家惣領の源四郎は、六才になり狩野家の稼業の扇絵を描くことを、始めていた、祖父元信が完成した、見本帳にある、花鳥風月を扇面に写しかくのが、仕事、源四郎この絵はどう思うか、扇子に描かれた絵を見て、祖父元信に聞かれる、[面白うありません、ただ、きれいな色を並べただけのように、思います][ならば、面白う変えてみよ、わしを超えることぞ楽しみなこと]と言って微笑んだ。父の松栄に、蝶を書けといわれ、源四郎は紋白蝶を、捕まえて三日三晩かけて書いた。父は、粉本を見て書けと言っているのだと𠮟。六才の源四郎はなぜ本物を、見て書いてはならないのか、わからない、源四郎は工房からぬけだし。膠小屋にいると祖父の狩野派総領、狩野越前元信が、やはりここか、[源四郎、今日は暇かね]絵を放り出したので、ばつが悪かった。[絵というものは、気がのらんときに、描いてもうまくいかないものよ.お前の書いておる絵は、誰かに献上するものではないからよい]この狩野工房の惣元締がいうのだ。[ならば、決まりだ街に行くとするか]街に出て元信がいう。応仁の乱、天文法華一揆があり、この二つの大乱が都を焼いてしまった、このようなのような話を、しながら歩いて行くと、辻の隅っこの方で人だかりができている。賭け闘鶏だ源四郎は、鶏を描きたいと、祖父元信に紙の代わりに懐紙をもらい。もっと見たいと元信の肩の上に座り、墨の代わりに鼻に人差し指を突っ込んでは、紙の上に鶏の像に描線を加えていく、人混みが左右に分かれて、武士達が現れた、不似合いな連中で。その侍の一人一人が仕立てのいい素襖をまとっている、そんな者達が十人かそこら現れた。闘鶏を見物したいという、侍の囲いが割れて、中から白い直垂姿の源四郎と、あまり変わらない少年が現れた.侍達の豪壮な作りの太刀が、見劣りしてしまうほどに煌びやかな、金で縁取りされた小太刀が下がっている。この少年の放つ気が周りを圧倒していた。闘鶏の勝負がつき、[おい、そこな]と、貴人の少年が元信達の足元に立った。元信は源四郎を下ろした。[とりあえず、その鼻血をどうにかしたらどうだ]元信は先ほど渡した紙はどうしたと、声を上げた時、源四郎の手にある懐紙に目を落として、声をなくしそた。紙の上には、血で描かれた鶏の姿があった。それを見た町衆は[なんだ、その落書きは]と絵を見て吐き捨てた。鶏の絵としては体をなしていない、鋭い眼光と爪が大きく書かれ、他の部位が小さく描かれている、[いや、見事な絵ぞ]と貴人の少年が述べそして踵をした。が振り返ると、[まだ、お前の名前を聞いておらなんだ。教えてくれろ][源四郎。狩野源四郎][そうか、覚えておこう]爺様あれは一体何者にございましょう。あれは恐らく、まさか頭を振った元信は、源四郎の手にある紙を取り上げた。穴のあくほど紙の上を見据える元信の顔は険しさを増して、やがて憤怒にも似た表情へ移っていた。源四郎は、怒られる覚悟を固めた。紋白蝶を書いた時と、同じことをしただけ、祖父元信には粉本を元に描いたもの以外見せたことがない、でも元信は紙を源四郎に返し、懐から紙を出して、鼻を拭くがよい、源四郎を見ぽつりと言葉をはなった[源四郎は、狩野を創るか、それとも、壊すか]十歳になった源四郎に、やんごとなき人から、指名の依頼がきた、祖父元信と共に御屋敷に参上した。そこに貴人が現れた。[ひさしいのう、源四郎息災にしておったか]誰だ、このお方はまるで覚えがない。[お前と会ったの一度きり、しかも数年前のこと、越前にも会ったことがあるぞ][絵を描け]と白扇を渡される。普通扇に描く絵は、骨を通す前に書くもの、[描いて欲しいものは、日輪、日輪を描いて見せよ]元信は扇面を外すことのお許しを、[ならぬ]貴人はにべもなかった。元信お前に仕事を任せてはおらぬ。貴人は源四郎に目を向けていた。無理難題受けるしかない.熟考の末、触を待ち全てが欠ける日触を描く。赤い日輪を描かなかった理由を、聞いた貴人は見事であると褒める。[予のことをすっかり忘れていると見える、数年前、闘鶏の際に出会ったであろう、あの時お前は越前に背負われて闘鶏を、見ておった、で、鼻血で鶏の絵を描いたであろうが]思い出した七年前に、素襖の侍たちに囲まれて闘鶏を、見ていた貴人の少年が、前に座る青年貴人、室町幕府の十三代将軍の足利義藤、後の義輝である。年が明けて天文二十二年足利義藤は臣下の裏切りに遭い、京から、脱出した.数年後、公方様が都に戻る、ずっと、将軍を楯にして三好長慶を相手に、闘っていた細川晴元がついに折れた。本人の隠棲と将軍義輝公の京洛復帰を条件にした和議、細川側の敗北。これ以後の細川は衰退の道を辿る。三好で固まっている京に、公方様が戻ってくる。伏魔殿がさらに、奇奇怪怪なる場になる、六年振りに二条御所の公方様からのお召しがあり、参上すると[お前に、絵の制作を命ず。何を描いてもよい、ただ予の心胆を寒からしむものをつくってこい][もし、お前が愚にもつかぬものを、作ってきたのなら切り捨てる]六年の間公方さまは変わっていない白刃のように、恐るべき煌めきを身中に宿し、世の中の全てを切り裂かんとする気迫。あのお方に食らいつく力があるか.源四郎は、東山で紅葉した葉たちを、風が舞い上げていたのを見。それを源四郎が自分にしか見えぬ光景にして、紙の上に落とした。絵を見た義輝は、[見事ぞ、予のもとに侍り、予の為に絵を描くがよい、そして予の創る天下に力を添えい]義輝の言うことは半分も判らないが、認めてはもらえたらしい。義輝は御台所を迎えた、相手は近衛家の娘、弟は近衛前嗣、後の近衛前久関白左大臣、以後多くの絵を描く。ある日源四郎が、亡くなった祖父元信の供養ため、妙覚寺に納めた、京洛を描いた屛風を、義輝が目にした、[あれは、お前の筆であろう、あの京の町が描かれている屛風よ]興奮気味に言葉を投げてきた。[あれを越える京洛の絵を描いて欲しい、いくら時をかけてもよい。天下の主たる、予が持つに値すると思う逸品を作ってこい]あれは亡き元信のことを思って描き上げたもの、誰かの何かのために、源四郎の中でも納得のいった作。それを越えたモノを作ってこいとは。描けた下絵を義輝公に見せる、京においては、内裏と公方御所は第一に重いもの、京の絵を描くのならばこの二つが主題、配置などを話あう、[描いて欲しいものがある、元よりおった細川や、高畠の屋敷を描くのは当然としても、松永弾正邸と三好筑前邸は必ず描け]三好筑前の屋敷を描けとは、面妖な命令、[三好さえも予の作る秩序の中に収めなければならぬ]この公方様は、今世に溢れている全ての勢力を認めた上で、共存を目指していたお人だった.[どこかに、上杉を描いて欲しい]上京し義輝に拝謁した、上杉謙信を頼むに足りる者、右腕に是非迎えたい男と言う、上杉は律儀者と聞く上杉の武力と己の権威を用いて、天下に均衡をもたらそうとしている。義輝のまなざしの向こうには、太平の世が見えているようだ。源四郎は義輝公の世に賭けてみたい。しかし世は下剋上である、義輝公の築いた権威を恐れた。松永弾正は将軍を弑逆してしまった。義輝のいない京、源四郎は何も出来ずせずに、家の中にこもっていた。その様な時ふらふらとある部屋に入ると、そこに弟の元秀がいて、源四郎がずっと描いていた、義輝公依頼の屛風の下絵を並べて見ていた。兄上この絵を完成しないのですか、させぬ、出来ぬ、この絵に描かれている天下はもうどこにもない、義輝公が夢見、わしが憧れた王道楽土は世から消えた。弟に奮起させられ再び絵筆をとり完成させた、数年後義輝公の弟である足利義昭を伴い、織田信長が上京してきた。長い話を聞き終えた、信長は屛風を受け取った。如何にして洛中洛外図屛風が描かれ伝のか、若き日の源四郎と義輝公の物語、永徳の天才を見抜き育てた祖父元信、用いて心の糧にした将軍義輝。源四郎と義輝公の遣り取りが心に残る。永徳が二十三の時描いた。
後記、洛中洛外図屛風の行方、天正二年当時同盟を求めた、信長から上杉謙信へ贈られた。信長は意味深い贈り物したと思う。後に永徳は安土城の襖絵など描いた。最近の研究では、信長は屛風の所在を知っていた可能性がある、屛風の住所、米沢市上杉博物館。


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