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私家版 かげろう日記   杉本苑子著蜻蛉日記をご一緒に    田辺聖子著わたしの蜻蛉日記    瀬戸内寂聴著

前から読みたくて、現代語訳のを探しました。気になる本を三冊を見つけました。好みの作家が、書いていました。どれをと迷いました、いっその事、この三冊を読み比べてようと、これはもう本読みの究極の楽しみになりました。   先ずは私家版かげろう日記、杉本苑子著から。
受領の娘である、私は十九の時、身分違いの相手に求婚された。今をときめく権門右大臣家の御曹司、藤原兼家殿。両親は驚き慌てたが、私はいささか得意であった。私は当代三美人の一人と騒がれていたので、求婚を受け入れる。いわゆる玉の輿、この時代の常、男は幾人にも通うところがあり、私がこんなにも貴方を思ってるのに、せっかく訪れたのに、不機嫌な顔をしたり、門前払いをしたりする。つまりは拗ねている、それを夫の方はときたら気が付いているのかいないのか、門の外を牛車の轍の音をさせて通り過ぎ、他の女の所に通ったりして、嫉妬心を煽る、このやり取りが赤裸々に書かれており、一人息子の道綱は溺愛した。また夫兼家から忘れられていた、子を探し出して養女にもした。十九から三十九までの夫との満たされぬ愛の葛藤を書いた、修羅の日記。読みやすい物語になっています。
   蜻蛉日記をご一緒に   田辺聖子著              
この本は著者が主婦の方々に講義した、テープを起こし編集したもので。八回に渡って講義されました。先ずは一回目は、[蜻蛉日記はなぜ書かれたか]日記は妻の手紙。こんなにも一生懸命しているのに、どうして不幸なのかしら、実人生の不平不満が、筆を取った動機、結婚の真実、平安時代は一夫多妻の妻問婚、結婚に至る儀式、恋文、逢瀬後朝の文、三日夜の餅、妻問婚のいい点悪い点、などの説明があり、夫兼家という人の気質、剛毅で、磊落で、一面傲岸な人だという、自我の強い男と、自我の強い女がお互いに突っかかっていっていったのだから,物凄い火花の出るようなドラマが展開せざるを得ない、兼家は野心に満ちた陰謀家でもあるが、蜻蛉日記における限り著者から見ると大層魅力的、蜻蛉はその魅力に気づくのが遅かった。それには蜻蛉が世の中を、知らなかったらこともある、女と男の本質の違いというのを、この蜻蛉日記ぐらいまざまざと知らせられるものはない、といっています。この時代深窓のお姫さんが世の中を知るというのは無理で。受領階級だったら、その娘は上流社会に宮仕えということになる、清少納言、紫式部のように。気骨の折れる人々の間を泳ぎ抜き、様々な物事を理解し、気持も寛大になれる、でも蜻蛉は家の中に引っ込んでいた女、自分の裡の狭い女の発想でしか考えられない。男性的発想というものがどんなものかが、よくわからないから、何でも自分の思うようにしようと、自分が正しいとのみ、主張し勝な女だったのではないか。女の本質を映す、女は男より複雑、まじめ過多にユーモアさえ感じるといってます。蜻蛉日記は、まじめで私のどこが悪いのと言ってるから、私は物を書くようになってから、あんなふうにただ恨みつらみだけで、小説を書いていくんだったら、女の人は千年変化はないわと考えましてね。そのうちまたそう言う不平満々の蜻蛉にある種のユーモアを感じるようになり、女の人はまじめで、律儀で、小心なので深刻癖がある、夫がしばらく来ないと、すぐさま門を閉めて入れないで追い返してしまう、そんなふうにする方が気持ちがいい。これで懲りたかしら、そんなことを繰り返しやっていると、千年の間女の書く物も女も、全然進歩しないような気がして、私は人生でユーモアを見つけようというふうなとこに、曲がって行きました。だが蜻蛉は自分の苦悩から、目をそらさず、のたうち回って苦しんで、ついに深い人生観と不思議な静謐の世界を手に入れる。私は[蜻蛉日記]とは人生の曲がり角で折々に、様々なことを考えさせてくれる、作品みたいな気がするんですと解説していきます。[蜻蛉日記の王朝] 夫兼家は藤原家の本流の家柄で、師輔の息子の一人、妹の安子は、村上帝の中宮、二人の帝を産んでいる。兼家のもう一人の妻時姫は、三男二女が生まれている。兼家は大変な策謀家で、政敵を完膚なきまでやっつける、花山帝をだまして退位させたり。太政大臣にもなる、娘は後の一条帝を、産んでいます、道綱の腹違いの弟が、あの道長です。蜻蛉日記を書いてから、三十年余りして清少納言の[枕草子] ができた。一条帝の定子中宮が道長の兄の道隆の娘、彰子が道長の娘、生まれた皇子が帝位についています。つまりは帝は孫、又は甥なのです、ですから道長のあの歌がある。[結婚といさかい]蜻蛉と結婚はしたが、兼家は浮気をしてます、当時の男は当たり前ですが、我慢ができない。[兼家、病む] この時代和歌を読むことが常識。夫婦喧嘩も歌の応酬、兼家が蜻蛉のところに、来ている時、病になります。当時病になると、僧侶に祈禱をしてもらいます。兼家が病気をして、それが機縁で蜻蛉と、また大変仲が良くなる。[初瀬詣] 加茂祭は葵祭といいます、祭りに出かけ行列の来るのに、時がかかります、向かいの場所に時姫とおぼしき一行が、いるというので、蜻蛉は歌を送ります。それでもって相手の反応を、試すというか人間程度、教養やセンスの有無を、見るというふうな時に、歌のやりとりをします[西山ごもり] 蜻蛉の三十四歳から五歳の、女ざかりの頃、日記で面白いのは、女性の生理の事まできちんと、書いてある、不浄のことあるという文字があり、ほかに、王朝文学にも書いてあるが、自分の私的日記にこんなにはっきり書くのは珍しい、蜻蛉がたいそう自分の日記に期待し、また自負もして、すべて赤裸々に書こうと意思したと思います。冷泉帝の安和二年(九六九)推定兼家は四十二、道綱は十五、六になっています。[三十日三十夜わがもとにと言いたいわ]と言います、これは蜻蛉の本音、蜻蛉は兼家の叔父右大臣師尹の五十の賀に、屛風歌を作ることを、頼まれ女流歌人として、社交界、文学界に認められ、大変な名誉素直に喜ぶべきなのに、気が乗らないのに、無理にたくさん詠まされた。文句を言う、しかも二首しかとられなかったのは、気に食わない。などという。それから蜻蛉は西山のお寺に籠ることを思いつく。これは現代の我々から見ると、明らかに夫の注意を惹きたいと、そうゆうことがあるんじゃないでしょうか。[心の鬼]蜻蛉の人生の中で三十五歳位の時が一番疾風怒濤の時代だった。憑かれたみたいに寺社にお参りして、自分と兼家の仲のことを頼んだり、それから兼家の心が離れるのを、寂しがったり。物狂おしいところが高まって、自分で自分がコントロールできない。それが西山ごもりになる。周りを悩ませて、心配させて、京では兼家夫人は尼になったと噂が流れ、兼家は困ってしまいには、腕ずくで彼女を、取り戻してきたが。最もその後はまた、来たり来なかったり、気ままな所業は変わらない、著者から見ると兼家という男は、兼家なりのやり方で、大変蜻蛉を愛していたように思います。[愛をもとめつづけた女]この日記を読んだ後、一番胸に大きく残るのは、蜻蛉の愛の渇き、蜻蛉の見た夢は、性的欲求不満を、示しているというが、今までに私もそう説明したけれども、もっと大きい、女の全人生というか、女の幸福というのは、子供を産んで育てて、その子供が出世したりすることではなく、女はもちろん子供を、愛すけれど、子供は本当は女の人生から派生したものであって、女が全的に人生の大もとで求めるのは、男の愛ではないかしらんと思ったりします。蜻蛉は平安時代に生きた女性、女が全的に男を、所有することができないと知っていた。一対一という関係はあり得ないと、そういう大前提を、わきまえててなおかつこんなに、満たされないというのは、これは男の愛情の不備、つまりは兼家の責任、心づかいがあらあらしい、来て泊まってくれるだけではなく、心のやさしさ、情の深さ、蜻蛉はそれがちっとも満たされなくて、寂しいのですね。やさしい言葉をかけてくれ、やさしい心遣いを、示してくれる男だったらこんなにも苦しんだというのは、やっぱり男の愛情というものにいつまでも幻想を、抱いていたからでしょう。道綱だけでもし満たされるものなら、中年以後こんなに苦しまなかった、道綱一人守って安んじていられれば、[蜻蛉日記]はもう少し底の浅いものになったと思うんです。けれどやっぱり女の愛情というのは、子供だけでは満たされないものがある。と解説しています、本書は当時の政の事などと、また紫式部が源氏物語を、書くにあたり参考にして取り入れているところなど、合わせて話されていいます。この講義の最中に(笑)が数多あります。全編田辺ワールド満載です。聖子先生のこの講義、生で聞いたら、どんなにか面白かったかと思います。昭和五十二年にした講義です。                       
   わたしの蜻蛉日記   瀬戸内寂聴著
 蜻蛉日記は今でいう純文学の、私小説の元祖と思っている。それに対して源氏物語は、本格小説に当たるでしょう、と寂聴先生は書いています。この 日記の作者は、本朝三美人の一人と噂される程の美貌の上、和歌の名手だと文才でも世間に、通っていたので、プライドも高く、気も強かったよう。自分はもっと愛されてもいいのにという不平不満で、夫を恨み苦しんでいます。この日記のはじめに、序文のように書かれている文章がある。世間に流布している古い物語は、ありきたりのいい加減な作り話ばかりで、つまらない。実際に生きてきた、高い身分の男と結婚した女の生活の実態がどんなものだったかと、正直に書いたら、きっと珍しく思われることだろうと、執筆の動機を書いています。彼女の苦悩のすべては、夫への欲求不満と、嫉妬によるもので、普通なら恥ずかしくて書けない、夫の女への呪いまで、あからさまに書きつけます。嫉妬は愛情の裏返し、彼女の苦悩は夫への愛の所産。日記に書かれた夫の兼家は実に魅力的な男性、颯爽として頼もしく、姿も美しく凛々しく、性的魅力にあふれている。ただ、多情で色好みだということを除いては夫として、申し分がないのです。夫の唯一の欠点が致命的、不幸の種。彼女はあきらめを知らず、もっと愛される価値がある女という自覚があるから苦しむ、つまり彼女は自我がある。千年前の女達は恋愛も結婚も親の言いなりで。親の身分が高いほど娘は政略結婚させられました。そんな時代に、しっかりと自我をもって、自分を客観視でき、自分の結婚生活は不満だと書き残せるのはすばらしいこと、千年後の今、読んでも蜻蛉日記は面白い、ましてや千年前にこの物語を読んだ女達が、刺激を受けないわけはない。紫式部もこの日記を愛読したと思う、源氏物語には、蜻蛉日記のあきらかな影響を至る所に見出せる、この様に寂聴先生も書いています。先生はこの原稿を自分のために書きつづったと。もっと蜻蛉日記を理解し、続いて源氏物語を読み解こうと考えたからとも言っています。だから、わたしの蜻蛉日記。目次は四章にしてあります。第一章、誇り高い美女の結婚、第二章、愛の悩みの淵より、第三章、満たされぬ愛の渇き、第四章、この救われざるもの、順に日記を分けて解説してます。源氏物語を完訳した著者、ならではの解釈も。三冊を読んで。私家版かげろう日記は、日記をそのままに現代語訳しています、蜻蛉日記をご一緒に、わたしの蜻蛉日記、この二冊は各々目次に、書いているように、蜻蛉の心情を覗いています。当時の貴族たちの来し方、男たちの権力闘争のことなども、解説してあります。千年前の結婚生活の不満たらたらの、うらみ日記、面白いですよ。蜻蛉日記をご一緒にと、わたしの蜻蛉日記が、特に読み応えがありました。どれか一冊お読みになりませんかお勧めします。また右大将道綱母、として百人一首に歌が取られています。嘆きつつ独りぬる夜の明くるまは、いかに久しきものとかは知る。               





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