還暦子⁺⁴

1959年生。昭和を30年、平成を30年生き還暦を迎えました。令和も30年生きるのかな…

還暦子⁺⁴

1959年生。昭和を30年、平成を30年生き還暦を迎えました。令和も30年生きるのかな? 子どもの頃や若い頃の思い出など、私自身が上の世代に聞きたかった何でもない日常のあれこれを綴っています。100回までは毎週土曜日更新しましたが、101回目からは毎月第一土曜日に新規更新します。

記事一覧

固定された記事

000.目次

これまで毎週土曜日に投稿してきた記事の目次を作りました。タイトルの横に、主なエピソードの年代を入れました。記事の番号は各記事にリンクしています。尚、*印の記事は…

237

260.歯医者さん

昭和40年(1965年)頃、私は乳歯が虫歯になり、母にバス通り向こうにある歯医者さんに連れて行かれました。 その歯医者さんの門を入ると敷地には飛び石があって、それを十…

19

259.環境問題と生活

「暑い、暑い」が毎日の合言葉です。私は東京に住んでいますが、昼間外に出るには帽子や日傘が手放せません。照り返しでサングラスも欲しいくらいです。 猛暑日は半世紀で…

27

258.新紙幣と硬貨

新紙幣の発行が話題になっています。渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎ゆかりの地などが日々マスメディアに取り上げられています。 私の子どもの頃は、一万円札も五千円札も…

還暦子⁺⁴
2週間前
36

257.モロッコ旅行

ノルマンディに向かう列車のコンパートメントは8人掛けで、パリを出た時には満席でしたが、ひとり降り、ふたり降りしていくうちに、遂に窓際の男性と私の二人だけになった…

還暦子⁺⁴
3週間前
28

256.86年W杯

現在カタールのドーハで行われているサッカーのワールドカップで、日本は強豪ドイツに続き、強豪スペインにも逆転勝ちし、決勝トーナメントへの進出が決まりました。日本中…

還暦子⁺⁴
1か月前
27

255.青いエアメール

この曲が入っているユーミンの7枚目のアルバム「OLIVE」が発売された1979年夏、私は大学2年生、十代が終わろうとしていました。 薄紙の便箋と、赤と青の縁取りのついた青…

還暦子⁺⁴
1か月前
40

254.デザイナー

この夏、ファッションデザイナーの三宅一生、森英恵が相次いで亡くなりました。2年前には高田賢三、山本寛斎も亡くなり、私の中では一つの「憧れの舞台の幕」が降りたよう…

還暦子⁺⁴
1か月前
36

253.本を手放す時

初めて私が本を売ったのは20代後半のことでした。 私は、子どもの頃から本を読むのが大好きでした。私の家には実用書以外に本というものはなく、いつも図書館で借りてきて…

還暦子⁺⁴
1か月前
57

252. ノンアル世代登場

お酒を飲まない人が増えてきたというニュースを、最近よく見聞きします。実際に私の周りでも食事の際にノンアルコール・ビールを注文する人が増えてきました。その理由には…

還暦子⁺⁴
1か月前
31

251.妊娠中絶とピル

「それは女性の権利なのです。女性の体のことであり、女性の選択なのです」 このように大統領は信じていますと述べたのは、ひと月前の2021年9月2日、妊娠中絶に関する米国…

還暦子⁺⁴
2か月前
35

250.為替変動の思い出

記録的な円安が進行しています。昨年2021年9月には109円台だったドル円レートが、今週は137円台をつけました。わずか9ヶ月で円の価値が25%以上も下落しました。十年前の201…

還暦子⁺⁴
2か月前
27

249.リリアンやボンナイフ

リリアン 昭和40年代の前半頃(1965年〜69年頃)、私は小学校の低学年でした。あの頃、子どものおこづかいで買えたモノで忘れられないものがいくつかあります。 まず、筆…

還暦子⁺⁴
2か月前
41

248.追悼・立花隆

巨星墜つ。6月23日「『知の巨人』死去」と立花隆氏の訃報が報じられました。2021年4月30日急性冠症候群で死去。80歳でした。 「立花隆」は、私にとっては若き日の憧れの人…

還暦子⁺⁴
2か月前
37

247.80年代の結婚式

6月と聞くと「ジューンブライド」、6月の花嫁を連想する方も多いと思います。ヨーロッパでは春の農作業が一段落し、天候も安定する6月に結婚すると幸せになるという言い伝…

還暦子⁺⁴
3か月前
40

246.消えゆくお葬式

小学生の頃(1966年-1971年)私が初めて人の「死」に接したのは、小学2年生の時のことでした。近所の子どもが水に落ちて亡くなったのでした。 近くにあった用水路は普段水…

還暦子⁺⁴
3か月前
53
固定された記事

000.目次

これまで毎週土曜日に投稿してきた記事の目次を作りました。タイトルの横に、主なエピソードの年代を入れました。記事の番号は各記事にリンクしています。尚、*印の記事は再録したものです。 260. 歯医者さん(’60) 259.* 環境問題と生活(’60-) 258. 新紙幣と硬貨(’80) 257.* モロッコ旅行(’80) 256.* 86年W杯(’80) 255.* 青いエアメール(’70-80) 254.* デザイナー(’70-80) 253. 本を手放す時(全) 252.

260.歯医者さん

昭和40年(1965年)頃、私は乳歯が虫歯になり、母にバス通り向こうにある歯医者さんに連れて行かれました。 その歯医者さんの門を入ると敷地には飛び石があって、それを十個くらい踏んでいくと模様のあるガラスでできた玄関があり、その左手には緑の芝生が敷き詰められた広い庭があって、真ん中に白いブランコが置いてありました。 母によそ見をしないように言われて、歯医者さんの模様ガラスの玄関を開け、そこで靴を脱いでスリッパに履き替えました。子ども用の小さなスリッパもありました。受付で母が

259.環境問題と生活

「暑い、暑い」が毎日の合言葉です。私は東京に住んでいますが、昼間外に出るには帽子や日傘が手放せません。照り返しでサングラスも欲しいくらいです。 猛暑日は半世紀で四倍に小学生の頃、夏休みの宿題といえば「絵日記」でしたが、朝、居間の柱にかかっていた赤い目盛りの温度計の温度を見て、大抵の場合、27℃台の気温を書き込んでいた記憶があって、時々30℃を超える日があると、わざわざ赤鉛筆で書いたような覚えがありました。 絵日記は朝の涼しい時間にかいたのでしょうけれど、それでも最高気温は

258.新紙幣と硬貨

新紙幣の発行が話題になっています。渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎ゆかりの地などが日々マスメディアに取り上げられています。 私の子どもの頃は、一万円札も五千円札もどちらも聖徳太子でした。そして、千円札は伊藤博文、五百円札は岩倉具視、百円札は板垣退助でした。 私にとって新紙幣や新硬貨で忘れられないのは、次の二つの思い出です。 ◇ ◇ ◇ まず一つは、初めて五百円硬貨が発行された時のことです。 財務省の通常貨幣一覧のサイトをみると、岩倉具視が描かれた五百円紙幣に代わって五百

257.モロッコ旅行

ノルマンディに向かう列車のコンパートメントは8人掛けで、パリを出た時には満席でしたが、ひとり降り、ふたり降りしていくうちに、遂に窓際の男性と私の二人だけになったことがありました。1992年の冬のことでした。 なんとなくお互いに視線を交わし目礼をしたところで、その男性にどこから来たのかと尋ねられたので日本からだと答えました。すると彼は自分はモロッコからだ。でももう長いことノルマンディで暮らしていると言いました。 私がモロッコには数年前に旅行で行ったことがあると言うと、身を乗

256.86年W杯

現在カタールのドーハで行われているサッカーのワールドカップで、日本は強豪ドイツに続き、強豪スペインにも逆転勝ちし、決勝トーナメントへの進出が決まりました。日本中が歓喜に沸いています。 今では誰もが知っているワールドカップですが、私が初めてサッカーのワールドカップの熱狂を目にしたのは今から36年前の1986年6月のことでした。私は前年から、子どもの頃から憧れていたフランスに滞在していました。この頃はサッカー好きの一部の愛好家を除いて、日本においてはサッカーはそれほど人気スポー

255.青いエアメール

この曲が入っているユーミンの7枚目のアルバム「OLIVE」が発売された1979年夏、私は大学2年生、十代が終わろうとしていました。 薄紙の便箋と、赤と青の縁取りのついた青い封筒に、私は憧れていました。封筒には「PAR AVION」あるいは「BY AIR MAIL」などと印刷されていました。なぜ便箋や封筒が薄紙かというと、それは印刷の文字通り、航空便だったからなのです。船便ではなく、航空便。だから少しでも重さを減らすために薄紙だという、その理由にすら、私はときめきました。

254.デザイナー

この夏、ファッションデザイナーの三宅一生、森英恵が相次いで亡くなりました。2年前には高田賢三、山本寛斎も亡くなり、私の中では一つの「憧れの舞台の幕」が降りたような気持ちになりました。 ◇ ◇ ◇ 私がファッションについて語るなんて、周りの友人・知人が知ったら笑止千万と呆れることと思います。オートクチュールと呼ばれる一点物の仕立て服に縁がないのはもちろんのこと、プレタポルテと呼ばれる高級既成服でさえ袖を通すこともなく、還暦過ぎの今日まで生きてきました。 私はファッションセ

253.本を手放す時

初めて私が本を売ったのは20代後半のことでした。 私は、子どもの頃から本を読むのが大好きでした。私の家には実用書以外に本というものはなく、いつも図書館で借りてきて読んでいました。小学校の図書館以外にも、家のすぐ近所に篤志家が経営していた子ども向けの図書館がありました(024.うさぎ文庫)。5年生の時に引越しするまで、絵本や童話を借りてきては夢中になって読んでいました。 私の両親は読書とは単に娯楽の一環だと考えているようで、家には「文学」と呼ぶような本は一冊もありませんでし

252. ノンアル世代登場

お酒を飲まない人が増えてきたというニュースを、最近よく見聞きします。実際に私の周りでも食事の際にノンアルコール・ビールを注文する人が増えてきました。その理由には、ノンアルコール・ビールの味がおいしくなったからとか、お酒を飲まないと体が楽だからとか、この味があれば特にアルコールは必要がないのがわかったなどの声が聞こえてきます。 また近頃では「ソーバーキュリアス(sober curious)」という言葉も若者の間で流行っているようです。これはsober 「しらふ」に、curio

251.妊娠中絶とピル

「それは女性の権利なのです。女性の体のことであり、女性の選択なのです」 このように大統領は信じていますと述べたのは、ひと月前の2021年9月2日、妊娠中絶に関する米国テキサス州の州法を巡る報道記者会見でのホワイトハウスのジェン・サキ報道官でした。 「バイデン大統領は、自身のカトリックの信仰で中絶は道徳的に間違っていると教えているのに、なぜ中絶を支持するのか」という質問に対して答えたものでした。 さらに彼女は、質問した男性レポーターに次のように次のように答えました。 「

250.為替変動の思い出

記録的な円安が進行しています。昨年2021年9月には109円台だったドル円レートが、今週は137円台をつけました。わずか9ヶ月で円の価値が25%以上も下落しました。十年前の2012年の今頃には1ドル80円を割り込んでいたことを思うと隔世の感があります。 急激な為替変動が社会に混乱をもたらすのは世の常ですが、私は二十代の中頃、ちょうど今と反対の急激な円高を体験しました。「体験」というのは、私は子どもの頃からフランスに憧れていて、二十歳で初めてフランスへ旅行に行き、二十六歳にな

249.リリアンやボンナイフ

リリアン 昭和40年代の前半頃(1965年〜69年頃)、私は小学校の低学年でした。あの頃、子どものおこづかいで買えたモノで忘れられないものがいくつかあります。 まず、筆頭に挙げられるのは「リリアン」です。編み物の真似事をするおもちゃで、私はリリアンが大好きでした。リリアンとは直径2、3cm、長さ7、8cmくらいの筒状の上部に、5本の先が丸くなった金色の針が刺さっていて、それに一本のリリアン用の糸をかけて、かぎ針で編んでいくのものです。 糸は、なぜか途中から色が変わってい

248.追悼・立花隆

巨星墜つ。6月23日「『知の巨人』死去」と立花隆氏の訃報が報じられました。2021年4月30日急性冠症候群で死去。80歳でした。 「立花隆」は、私にとっては若き日の憧れの人物で、この世を生きていくための水先案内人のような人でした。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます 『宇宙からの帰還』立花隆の著書で、私が初めて読んだのは『宇宙からの帰還』でした。1982年に新卒で就職した会社で、私は社長室秘書課に配属され、日々来客にお茶をお出しするという職務を担っていました。 1983

247.80年代の結婚式

6月と聞くと「ジューンブライド」、6月の花嫁を連想する方も多いと思います。ヨーロッパでは春の農作業が一段落し、天候も安定する6月に結婚すると幸せになるという言い伝えがあるそうです。 けれども私が自分の経験を振り返ってみると6月に結婚式に出席した記憶はなく、日本では梅雨時や暑い夏と寒い冬は避けて、大抵は秋または春に多くの結婚式が執り行われていました。気候条件が人々の儀式の時期に影響するのだと改めて思います。 今世紀に入ってからは、結婚式はしない、または婚姻届を提出してしばら

246.消えゆくお葬式

小学生の頃(1966年-1971年)私が初めて人の「死」に接したのは、小学2年生の時のことでした。近所の子どもが水に落ちて亡くなったのでした。 近くにあった用水路は普段水は通っていませんでしたが、2メートル四方ほどの一箇所だけが深くなっていて、そこにはいつも雨水が溜まっていました。子どもたちはみんなそこをタニシの池と呼んでいました。深さは子どものふくらはぎ程度の浅いものでした。当時はみんな半ズボンやをスカートをはいていたので、時々水の中に入って、タニシを取ったり虫を捕まえた