259.環境問題と生活

本稿は、2021年8月7日に掲載した記事の再録です。

「暑い、暑い」が毎日の合言葉です。私は東京に住んでいますが、昼間外に出るには帽子や日傘が手放せません。照り返しでサングラスも欲しいくらいです。


猛暑日は半世紀で四倍に

小学生の頃、夏休みの宿題といえば「絵日記」でしたが、朝、居間の柱にかかっていた赤い目盛りの温度計の温度を見て、大抵の場合、27℃台の気温を書き込んでいた記憶があって、時々30℃を超える日があると、わざわざ赤鉛筆で書いたような覚えがありました。

絵日記は朝の涼しい時間にかいたのでしょうけれど、それでも最高気温はせいぜい32、3度で、子どもの頃に気温が35度以上の猛暑日になったことなどほとんどなかったように思います。

地球温暖化とか気候変動などとよく見聞きしますが、本当にどれほど気温が変化したのか、大人の夏休みの自由研究として調べてみようと思いました。

今はインターネットで過去の気温がすぐにわかるので、私が小学生になった1966年から5年間(1966−1970)と、直近5年間(2016−2020)の8月1ヶ月間の東京の最高気温を調べてみることにしました。半世紀、50年の違いを実感してみたいと思いました。

すると、最高気温が32度以上の日数は次の通りでした。
1966-1970年は、8、16、10、9、16日間(合計59日、平均11.8日)
2016-2020年は、15、10、21、19、28日間(合計93日、平均18.6日)

また、最高気温が35度以上の日数は次の通りでした。
1966-1970年は、0、2、0、2、3日間(合計7日、平均1.4日)
2016-2020年は、1、1、7、10、11日間(合計30日、平均6.0日)

なるほど、半世紀で32度以上になった日数は1.6倍に増え、35度以上になった日は4倍以上に増えていました。特にこの3年間はぐんと暑さが増しています。

過去の気温を調べていたら、偶然この142年間の平均気温の変化をビジュアル化したサイトを見つけました。大変興味深い考察で、いつまでも見ていたくなるほどです。明治大正期(〜1926年)の40年と、それ以降100年の気温が明らかに違うのが一目瞭然です。さらに1990年以降は一段と暑さが厳しく夏の期間自体も長くなっているのがわかります。

新・三種の神器

東京の西の郊外にあった私の家に初めて冷房装置が入ったのは、1970年(昭和45年)のことでした。5年生になる春休み、新しい家に引越す時に私の両親はクーラーとカラーテレビを買いました。そしてまもなく車も購入したので新・三種の神器と呼ばれる「3C(カラーテレビ、クーラー、カー)」のすべてが揃いました。

戦後の核家族の走りで、都市部のサラリーマン家庭だった私の両親は、新し物好きの性格もあって、次々に電化製品を揃えていきました。もともとの三種の神器である電気洗濯機・電気掃除機・電気冷蔵庫は新婚まもない1960年代初頭に、新・三種の神器は1970年代初頭に揃える喜びを味わったのだと思います。

とは言え、内閣府の消費動向調査(消費者態度指数)によれば、二人以上の世帯においてルームエアコンの普及率が30%を超えるのは1979年、50%を超えるのは1985年、90%に到達するのは2012年です。

厚生労働省が生活保護を利用する世帯に、条件付きながらエアコン購入費の支給を認める通知を出したのはわすが3年前の2018年のことです。この条件というのも、熱中症予防の必要がある高齢者や障害者、子どもがいるなどの条件を満たす場合に限られています。

もちろん緯度の高い地域や、高原や山間部などで冷房の必要性をあまり感じない地域もあるでしょうけれど、一般家庭に冷房装置が普及したのはそれほど昔のことではなかったことがわかります。

私自身、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、18年間教育機関に通いましたが、教室に冷房装置があったことは一度もありませんでした。暑い時は窓を開けて、下敷きをうちわがわりにしてパタパタとあおいでいました。それを当たり前だと思っていました。

電車の冷房

大学に入学した頃の通学通勤電車にはようやく冷房車両が導入され始めた頃でした。私は小田急線で通学していましたが、学生時代(1978−82)には冷房車両があったのは急行電車の半分くらいでした。冷房車両がくると「ラッキー」だと感じていました。

1982年(昭和57年)に就職してからも冷房車両は増えてはきたものの、各駅停車にはまったく冷房はなく、頼みの綱の急行電車でも時々冷房のついていない天井で扇風機が暑い空気をかき混ぜているだけの古いタイプの車両がやってきては、「なんだ、暖房車か」とがっかりしたものでした。小田急線のサイトによれば、車両の冷房化率が100%となったのは、1989年(平成元年)になってからのことでした。

地下鉄の車両冷房が始まったのはもっとずっと遅く、1988年(昭和63年)になってからのことです。私は小田急線から千代田線に乗り換えて通勤していましたが、地下鉄は「地下だから冷房はできないそうだ」と言われると、「なるほど地下だから仕方ないのね」と素直に納得していました。

東京メトロの冷房化の歴史のついて書かれたサイトをみると、1988年に車両の11%に冷房が備えられたのを皮切りに、毎年十数%ずつ冷房車率をアップさせて、約8年後の1996年(平成8年)に全車両に冷房が完備されたそうです。関係者の知恵と努力の賜物でした。

三種の神器や新・三種の神器を頑張って揃えた現在80代、90代の我々の一世代前の方々は、戦争を生き抜き、冷房などまったくない満員電車に乗って高度成長期をがむしゃらに働いてきたのかと思うと頭が下がります。

1980年代、1990年代の電車の冷房は、真夏でもネクタイに上着を着込むという外回りのサラリーマンに照準を合わせていたためか、冷蔵庫の中かと思うほど強烈な冷気でした。

私の実感としては小田急線の冷房でキンキンに冷えていたので、地下鉄の「暖房車」はある意味ホッとさせられました。それでも外の暑さ、小田急線の寒さ、地下鉄の汗だく通勤、そしてまたオフィスの強烈冷房と、急激な室温の変化は体にこたえました。

小田急線では1994年に弱冷房車が設置されるようになりましたが、2011年の東日本大震災前までは、2005年にいくら環境省がクールビズを唱えても、なかなかノーネクタイ・ノージャケットにはなりませんでした。

それにしてもオフィス内にエアコンが完備され、冷房車両が導入される1980年代までは、真夏に上着を着るなどという習慣はありませんでしたから、私は謎の「常識」が突然登場する不思議な現象だと感じていました。

環境問題と生活

私が生まれた62年前の一般家庭には、掃除機も洗濯機も冷蔵庫も、冷房もカラーテレビも車もありませんでした。もちろん学校にも電車にも冷房はありませんでした。私が幼い頃の祖父母の家には、家電など何にもありませんでしたが、特に不便もなく普通に暮らしが営まれていました。

ところが総務省統計局の2004年のデータ(2004年で調査終了)によれば、三種の神器の普及率はほぼ100%です。電気掃除機は99.3%、洗濯機は99.2%、冷蔵庫は99.0%です。

また新・三種の神器もルームエアコンの普及率は87.1%で(2021年は92.2%)、カラーテレビは液晶・プラズマテレビは含まずに97.3%、また車の普及率も86.2%となっています。

もはや「物質的な豊かさ」という言葉すら誰も口にしなくなった今日この頃です。誰もが当たり前と感じています。それどころか総務省のデータによれば、2018年のモバイル端末の普及率も95.7%にも及んでいます。

今では世界中の小さな町や村でも携帯電話は普及し、一説には2014年時点の携帯電話契約者数は69億5,411万人であり、世界の総人口72億4400万に対する保有率が96.0%と言われています。もちろん家電も世界中の国々で愛用されています。

私が生きてきたこの時代に生活が激変し、それとともに環境問題は地球の未来を脅かすほどの大問題となってしまいました。私たちの世代は家電による便利さを散々享受してきましたが、このままでは次世代に環境問題を先送りしてこの世を去ることになりかねません。

微力ではありますが、今現在「常識」だと思い込んでいることをもう一度見直して生活を少し変えてみようと、この暑い夏に息苦しいマスクをつけながら、思いを新たにしました。


<再録にあたって>
数十年に一度と呼ばれる災害が毎年起きています。世界規模でです。待ったなしの環境問題ですが、充分な対策が取られているとは思えません。思い返せば、過剰包装や分解されないプラスチックは、私がまだ子どもの頃から問題視されていました。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というように、何度も後回しにされてきた議論です。今こそ、身近なところで日々意識していこうと思います。


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