253.本を手放す時

初めて私が本を売ったのは20代後半のことでした。

私は、子どもの頃から本を読むのが大好きでした。私の家には実用書以外に本というものはなく、いつも図書館で借りてきて読んでいました。小学校の図書館以外にも、家のすぐ近所に篤志家が経営していた子ども向けの図書館がありました(024.うさぎ文庫)。5年生の時に引越しするまで、絵本や童話を借りてきては夢中になって読んでいました。

私の両親は読書とは単に娯楽の一環だと考えているようで、家には「文学」と呼ぶような本は一冊もありませんでした。中学生の時も、高校生の時も、私が図書館で借りてきた本を読んでいると、そんなものを読んでいないで早くお風呂に入りなさいとか、早く寝なさいと言われたものでした。

ですから、私の所有物になった最初の本は、小学校の5年生の時に大阪の祖父母の家に遊びに行った時に買ってもらった、『ああ、無情』と『嵐が丘』でした。この2冊は今も私の宝物で、部屋のいつでも手の届くところに置いてあります。

大学生になって、私は学校に通っている時間とアルバイトをしている時間のどちらが長いかわからないほどせっせと働いていましたが、そのアルバイト代で、少しずつ本を買い集めていきました。単行本は当時の私にとっては高価だったので、文庫本をせっせと買いました。

一番よく買ったのはもちろん新潮文庫でしたが、角川文庫、講談社文庫、文春文庫、中公文庫、岩波文庫、ちくま文庫、河出文庫などなど、背表紙の色を見ただけで作家の名前がわかるほどたくさんの本を買いました。

大学を卒業して就職すると、お金もある程度自由になったので単行本も買えるようになりました。通勤電車の行き帰りで読書時間も確保され、読書量も格段に増え、本はますます増えていきました。

そのうちに本棚に入りきらなくなった本が机の上に、その内に床にどんどん積み上がっていき、ある時、粗大ゴミに出ていた大きな本箱を拾ってきて、それに積み上がっていた本を並べるようにしましたが、本はさらにどんどん増え続け、再び溢れた本が床に積み上がるようになってしまいました。

本に囲まれて暮らすというのは私の憧れの生活でしたが、さすがにこれは困ったことになったと思いました。どの本も私にとっては大切な本ばかりで、手放すなんてできないのですが、日々床面積が減っていくという事態の中、背に腹はかえられぬという状態になり、熟慮の結果、古本屋さんに本を売ることにしました。

その時の本を手放す基準は、基本的に「今後とも、いつでも手に入る本」でした。まず考えられるのは「文庫本」。それも「有名作家」の本でした。

そこで、例えば井上靖のような毎年ノーベル賞候補に上がる有名作家の文庫本を売ろうと考えました。当時井上靖の著作は、様々な出版社から出版されており、数十冊は軽くありました。どうしても手放せない『天平の甍』『しろばんば』など数冊を残して、全部売ることにしました。

それから絶対になくならないと固く信じられる作家、例えば、夏目漱石や森鴎外、坪内逍遥や二葉亭四迷、高橋和巳や福永武彦、石坂洋次郎や石川達三。彼らの名が日本文学から消えることはないと確信できる作家を選びました。

続いて、私はフランスかぶれだったので、フランスに関係する本で、今後も手軽に文庫本でいつでも手に入りそうなポール・ボネという在日フランス人の買いた「不思議の国ニッポン」シリーズなども売ることにしました。もうひとつフランス関係のことばかりを軽い読み物にして出版してい小さな会社の文庫本のシリーズもまとめて売ることにしました。

フランス関係の文庫本は赤い背表紙で、「ある時、恩師と共にパリに行ったら、その恩師がパリの街路樹が大きくなったと言っていたことが印象に残っている」などという忘れられない文章が散りばめられていましたが、いつでも手に入るからと自分に言い聞かせて手放すことにしました。

古本屋さんに家に来てもらって、父親くらいの年齢の古本屋さんと一緒に一冊、一冊、確認しながらダンボールに箱詰めした日のことは、まるでスローモーションのように記憶に刻まれています。あの日私が手にした本の代金はちょうど3万円でした。

◇ ◇ ◇

まさか、あの時手放した多くの本が、十年後、二十年後には次々に絶版となり、手に入れることが難しくなるとは想像だにしていませんでした。それでも、Amazonがあるから、あるいは図書館があるからと自分を納得させようとしてきましたが、時が経つうちに、一旦、本を手放したら最後、同年代の本にめぐりあうことは難しいということを身に染みて知るようになりました。

図書館ですら数十年経つと、書庫に保管されてきた古い文庫本は処分されてしまうようです。あれほどベストセラーだったのに、輝かしい賞を受賞した作品なのにと思っても、探すのは難しくなります。

時々、BOOKOFF の書棚を眺めながら、どうしてこれほど本が溢れているのに、私の探している本は見つからないのだろうかと思わずにはいられません。これが時の流れ、時代の移り変わりというものなのかと思います。

しかし、私のような一般人は、本を買い続けるには本を手放す必要があります。前後に本を並べることのできる天井まである書棚を部屋中に並べても、気がつくと本が溢れ床に積み上がってしまうのです。

できるだけ図書館を利用して、おもしろかった本だけ作家に敬意を払うためにあとから購入するとか、あれこれ工夫もしましたが、本は増え続ける一方でした。

私は20代に本を手放してから、本を手放すことのつらさや悲しさをよく知っているつもりでしたが、それでも、その後の人生で、何度も何度も本を売ってきました。生活する場所の確保するためには、本を売らざるを得なかったからです。

◇ ◇ ◇

50代半ばになったある時、私は一大決心をしました。それは、これまで積読になっていた本や、これからもう読み返すことはないだろうと思う本を思い切って処分することにしたのです。

一旦手放した本にはもう出逢えないことは重々承知の上でした。

いつの頃からか、読書する力が落ちてきていることに薄々気づいていました。以前なら根気よくメモを取ったり、年表や家系図、あるいは地図を書きながら読むというような読書ができなくなっていました。年をとると体力の衰えを感じますが、私は知力の衰えも感じるようになっていました。

今度読もうと思って買った本がどんどん積み上がっているのに、別の本を買ってきて、さらにまた積読になるということが増えてきました。知識欲はあっても、気力、知力が伴わないのです。そしてこれまでになく積読本が積み上がっていました。

それでも半年以上、本の処分についてあれこれ迷いがありましたが、ついに決心して、大きな段ボールに7箱、本を詰めました。運送会社の人はこの段ボールを持てるのかしらと思うほど、ぎっちり本を詰めました。そして、当日、2台の台車を持って玄関に現れた運送会社の人に段ボール7箱を持って行ってもらいました。

玄関の扉が閉まり、台車を押すガラガラという音が遠かっていくと、突然、堰を切ったように涙が吹き出しました。なぜなら、それが、自分の「志」が失なわれていく音のように感じたからでした。これまで知らないことを知りたいと、爪先だって知識を得ようとしてきたのは、言葉ではうまく表現できませんが、その先に、ある種の「志」があったからだったとその時感じました。

本を運ぶその台車の音と共に、私は今「志」を失ったのか、という思いが心の底から突き上げてきて、号泣してしまいました。

本を手放したあの日、私の青春が終わったような気がします。


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