249.リリアンやボンナイフ

リリアン

昭和40年代の前半頃(1965年〜69年頃)、私は小学校の低学年でした。あの頃、子どものおこづかいで買えたモノで忘れられないものがいくつかあります。

まず、筆頭に挙げられるのは「リリアン」です。編み物の真似事をするおもちゃで、私はリリアンが大好きでした。リリアンとは直径2、3cm、長さ7、8cmくらいの筒状の上部に、5本の先が丸くなった金色の針が刺さっていて、それに一本のリリアン用の糸をかけて、かぎ針で編んでいくのものです。

糸は、なぜか途中から色が変わっていました。白から赤、また白に戻って今度は紫、それから緑…と言うように不規則に色が変わっていきました。子ども心に一色の方がきれいに出来上がるように感じていましたが、そもそもリリアンとは、編んでいってもただ紐状のものがどんどん長くなるだけで、完成品という概念がないのでした。

いえ。もしかしたらあったのかもしれませんが、私たち、少なくとも私にはリリアンの終わらせ方がわかりませんでした。ただひたすら途中で色の変わる長い紐が、編めば編むほどどんどん伸びて、時には1mを越えるような長い紐になるのですが、でもどこまで編んだら終わりが来るのかよくわからない遊びでした。

リリアンは、近くの駄菓子屋さんで売っていました。確か当時は10円か30円くらいで買えたと思います。小学校2年か3年生の頃にはみんなでよく輪になって編んでいましたが、少なくとも私の周りでリリアンで編んだ紐を使って何かを作ったという子はいなくて、みんなひたすら長々とリリアンを編んでいくのでした。

大人になって世界中の女性たちが手仕事、とりわけ手芸品をその地方の特産物としているのを知りましたが、刺繍や編み物や機織りや絨毯織などの手仕事とは、我々のDNAに組み込まれた本能のようなものかも知れないと感じています。

蝋粘土

小学校の正門の前に、文房具屋さんがありました。文房具屋さんには学校で使うものは大抵何でも売っていて、鉛筆や消しゴムやノートはもちろんのこと、分度器やコンパス、お習字の時に使う墨や硯や筆なども売っていました。運動会の時に使う赤白帽や鉢巻きも売っていました。

それに授業では使わないけれど、みんながおこづかいを少し貯めて欲しいと心密かに憧れていたものもいくつか置いてありました。私にとってその代表的なもののひとつが、「蝋粘土」でした。蜜蝋粘土とも呼ぶかもしれません。

私の通っていた小学校で流行っていたのは、直径が7、8mmで、5cmほど長さの7色ほどがセットになって売っていた蝋粘土でした。

蝋粘土は常温では硬いのですが、1本取り出して手のひらで温めていると、少しずつ体温で温められてきて、くにゃりとしてきて、自由な形にすることができます。学校で使う粘土は、ねずみ色で独特のにおいがしましたが、蝋粘土は、色がきれいで、においもしませんでした。その上、黄色と青を混ぜると緑になるというように、まるで絵の具のように自分で好きな色を作ることもできました。

いろいろな形を作ってしばらく置いておくとまた硬くなりますが、それでも、また手のひらで温めているうちに、再び柔らかくすることができ何度でも繰り返し遊ぶことができました。学校の授業で使ったことのある紙粘土の場合は、一度固まってしまうと、もう二度と柔らかくすることができませんでしたが、蝋粘土はその点便利でした。

よく新色を作ってはおともだちと交換していましたが、それでも、新しい色を作ろうと何色か混ぜ合わせているうちに、どんどん黒っぽく暗い色になってしまって、もう何色を足してもきれいな色には戻らなくてがっかりしたことが何度もありました。

大人になるとほとんどの人は粘土遊びをしなくなりますが、子どもは粘土を捏ねたり、砂遊びをするのが大好きです。私自身も何十年も粘土遊びをしていませんが、どうしてやめてしまうのでしょうね。

紙石鹸

紙石鹸」も私たちの学校では流行りました。ビニールでできた可愛らしい入れ物の中に、薄い紙石鹸が10枚だったか20枚だったか入っていました。紙石鹸1枚では到底手がきれいに洗えるとは思えませんでしたが、紙石鹸を持っているということ自体が、ちょっと女の子らしくて気持ちがウキウキしました。

紙石鹸には薄いピンクや薄い緑の色がついているものもあって、こちらもおともだちとよく交換しました。交換する時に、指先が少しでもぬれていると、紙石鹸同士がくっついてしまいました。紙石鹸はいい匂いがして、ちょっと匂袋代りにもなりました。

ボンナイフ

紙石鹸というと、どういうわけか私はボンナイフを連想してしまいます。きっとおともだちと交換する時に、ボンナイフで半分に切って交換していたからだと思います。

ボンナイフとは二つ折りにすると4、5cmくらい、拡げると8cmくらいのナイフでした。二つ折りにするサヤの部分には、キラキラ光る金色や緑色や色紙が入っていました。カッターナイフが登場するまでは、学校でえんぴつを削ったりするのに使いました。

もちろん、えんぴつなど家でえんぴつ削りで削ってくればいいことだし、学校にだってえんぴつ削りくらいありましたから、要するにナイフを持ちたいから持っていたのだと思います。手芸も粘土遊びもそうですが、刃物を扱いたいというのも一種の本能のようなものではないでしょうか。

ボンナイフも、学校の正門前の文房具屋さんで売っていました。一個20円くらいだったと思います。

今回調べてみたら、ボンナイフは東京の墨田区の会社がかつて生産していた商品で、大阪にもミッキーナイフという名称の類似の商品があったそうですが、2023年3月に廃業したとありました。


子どもの頃に遊んだものは、いくつになってもその形状、色、肌触りなど細かいところまで不思議と記憶しています。いつまでも当たり前にあると思っていたモノたちが、いつのまにか姿を消してしまって寂しく感じてしまいます。


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