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敵やラスボスがいるストーリーを盛り上げる方法

ゲームや漫画、小説などで、主人公が最大の敵(以下ラスボスとします)を倒したらエンディングを迎えるというタイプの物語の場合、物語の目標(=ラスボスを倒すこと)がはっきりしていて分かりやすい分、単調でありきたりな印象のストーリーになってしまいがちです。
特に短編~中編など、物語にあまりボリュームを持たせることができない場合、長編と比較するとさまざまな要素や展開をそぎ落とす必要がありますので、どうしてもシンプルでありきたりな印象になってしまう可能性が高くなります。

この記事では、敵やラスボスを倒すことが最大の目的となるストーリーをどうすれば盛り上げることができるか、「ラスボスの設定」に焦点を当ててメジャーな方法を紹介したいと思います。
(ラスボスであることを前提としていますが、中ボスや、そこそこ重要なポジションにいる敵にも応用できるかと思います。)

真ボス・裏ボスを設定する

ゲーム(特に買い切り型のゲーム)ではお約束と言って良いほど使われる手法です。
ただ、ソーシャルゲームのように、ゲームが運営されることが前提となるゲームでは、そもそもエンディングがないこと(明確なラスボス自体が存在しないこと)が多いので、ゲームの販売形態にもよります。

あまりにもよく使われているので、人によっては真ボスを作ることに対して気が引けてしまうこともあります。
しかし、プレイヤーが最初から「真ボスがいること」を想定・期待してプレイしている場合が多いため、注意が必要です。
真ボスを設定しない場合、ラスボス戦で余程しっかりと盛り上げて「これが物語の最高潮!!」という印象を作っておかない限り、ラスボスを倒したあとに「あれ?これでエンディング?真ボスいないの??」と、ユーザーを拍子抜けさせてしまう可能性があります。

ラスボスの悪人度を増やす

大抵主人公が善人サイド、ラスボスが悪人サイドだと思うのですが、ラスボスを悪い奴にすればするほど、ラスボスを倒したときのユーザー(読者)の爽快感がアップします。

ただし、
・勧善懲悪型のストーリーは分かりやすい反面、ひねりのない印象になりがち
・悪い奴にすればよいからといって、あまりに悪逆非道の限りを尽くさせると、ターゲット層を狭めてしまう。また、凄惨で非人道的な表現(スプラッタ、性的な表現など)は、度が過ぎるとプレイ感や読後感、作品全体の印象にマイナスの影響を与えてしまうことがある。
など、留意した方が良い点もあります。

ラスボスに悪の哲学・美学を持たせる

ラスボスに何らかの信念(哲学、美学、こだわり、精神論、持論など)を持たせることにより、悪役キャラとしての魅力を高めさせるパターンです。

ラスボスが持つ信念は、一般的な人にとって、「全く理解できない」と感じるものであるよりも、「半分くらい気持ちが分かるけど、もう半分は承諾しがたい/理解できない/狂ってるとしか思えない」と思えるものの方が、リアリティや気味の悪さを感じてもらいやすくなります。

ラスボスに善心の欠片を持たせる

基本的に悪人だけれども、ある特定の人物や物事に対して善良な心があるという一面を設定することにより、ラスボスに人間味を感じさせて感情移入させるパターンです。
物語の最後でラスボスが倒れる(死ぬ、破れる等)ことに対して、物語の主たる目的(=ラスボスを倒すこと)としてはハッピーエンドだけれども、切なさのある余韻を残すことができるので、単調な印象になりにくくなります。

ただし、ラスボスを倒すこと(殺すこと)が前提となる場合は、ラスボスが働いた悪事よりも、善心から行った行動の方が大きくならないように注意する必要があります。(ユーザーから見て、「良い面もあるけれども、総合的に判断するとやっぱり悪人」という範囲の善心に留めておいた方が無難です。)
なぜならば、働いた悪事よりも善良な行動の方が大きい場合、総合的に判断するとラスボスであるにも関わらず「善人サイド」になってしまうため、「ラスボス(根は善人)を倒す主人公≒悪??」ということになり矛盾が生じ、主人公の魅力や正当性を削いでしまうからです。
ラスボスが最後に仲間になったり、改心するのであれば、善良な行動の比重が大きくてもそれほど不自然には見えませんが、ラスボスとしての悪の風格にはやや欠ける印象になりますので、注意が必要です。

まとめ

・ラスボスをもう1人用意する(真ボス)
・とにかくラスボスを悪い奴にする
・ラスボスにカリスマ性や人間的な魅力を付与する(信念、善心など)

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