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努力しかできない自分に、嫌気が差しつつある。

「いつも頑張っててすごいね」

なんの嫌味もない、素直な誉め言葉が、最近苦しく感じるときがあります。

自分でいうのもなんですが、私は世間一般的にいう「努力家」に属する人間です。

学ぶことは好きだし、コツコツ継続することも苦手じゃない。
学生時代はテスト前じゃなくてもそれなりに勉強していたし、音大生時代は楽器の練習時間も長い方でした。

社会人になった今も、本を買ったり色々試したり、勉強・研究することはすごく好きです。

でも、その努力や継続がきちんと実を結んできたかと聞かれると、正直あまり答えたくありません。

なにをやっても、いわるゆ「天才型」みたいなものに当てはまったことはなく、手先も不器用。
人並みにできるようになるまでに、かなり時間がかかるタイプです。

人よりも量をこなすことで、なんとかなった部分もありますが、なんともならないままのことの方がうんと多いです。


頑張ることはできる。でも、頑張っても結果を出すことができない。

それが私です。自分で言ってて悲しくなってきた。

「努力の仕方が間違っているのでは?」という的確なツッコミはさておき、そろそろ頑張ることしかできない自分に嫌気がさしています。

子どもの頃は、努力という過程を評価してもらえて、頑張ってさえいれば結果が出なくても先生も親も誉めてくれました。
それが私の自己肯定感に繋がっていた気がします。

でも、大人になるとそうはいかない。

頑張っているかどうかはぶっちゃけどうでもよくて、結果がないと評価されないことがほとんどです。
(もちろん、そうじゃないケースも0ではないですが。)


社会に出て今年で6年目。
大人の世界の評価基準を知れば知るほど、「頑張ってて偉いね」の誉め言葉を、素直に受け取れなくなってしまいました。
だって私、頑張ってる「だけ」だし。

同じくらいの歳の人はきっと、結果や成果を評価されているのに、私はいつまでも過程ばかり。
私ってもしかして(もしかしなくても)、すごく子どもっぽいのでは?

だからと言って「もう頑張るのやめーよ!」と思えるかというとそうではなく、むしろやめたら自分の唯一の長所がなくなるようで恐怖すら感じます。

とりあえずなにか頑張っていないと、動いていないと死にそう。
止まったら死ぬマグロ、もしくは努力が趣味の某熱血キャラ、ロッ●・リーか???

「努力ができるんだから、正しいやり方が分かれば絶対なんでもできるよ!」とよく言われますが、嬉しい反面、不器用選手権日本代表の私は「それが分かれば今頃こんな風になってないんだよな〜」とまた悶々としてしまいます。


「頑張りビンボー」


最近、私が自分自身に付けたあだ名です。

自分で自分にこんなあだ名付けちゃうなんて、ネガティブもいいところだし、不名誉極まりないですが、今の私はまさにこんな感じです。

がむしゃらなのも、必死なのも悪くないけど、「正しい頑張り方」をそろそろ見付けないといけませんね。

もうすぐ誕生日を迎えてまたひとつ歳をとる……というタイミングのせいなのか、そんなことばかり考えてしまう、最近の私の悩みごとです。

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