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私のメディアの得方、見方、考え方。〈1〉

情報発信を行う中で「どうやってニュースを見れば?」「何をどう見れば?」といった質問を度々もらうようになりました。そこで今回はタイトルにもあるようメディアと私がどう向き合い、何を考えるかについて書いてきます。

いわゆる「How to」的な内容にはなりますが、大学で3年間社会学を専攻し、国際交流事業でメディアについて韓国の青年とディスカッションなどを行ってきた中で自分なりに「こうすればいいのでは?」という方法がいくつかあるのでそれをシェアします。

※ここでの「メディア」とはマスメディアやインターネットサイト、SNS
(特にTwitterで流れる情報)など情報発信を行う広義でのメディアを指します

💭 💭 💭 💭 💭

Q.どのメディアを信用すればいいの?

「どのメディアも安易に信用してはならない」が私の考えです。私的な情報発信サイトTwitterでは毎日のようにデマ、フェイクニュース流れ、それが拡散されています。最近では「安倍首相が毎日のように肉料理を食べていた」というフェイクニュースが拡散されていましたが、のちにフェイクニュースだったことが明らかになりました。

また、マスメディアにおいても、テレビ朝日の報道番組「スーパーJチャンネル」で取材先のスーパーの客らとして登場したエピソードの中核をなす人物5人全員が、特集を制作した外部ディレクターの知人だったということがリークされ謝罪に追い込まれたり、一連のコロナ報道での若者に対する偏向報道などを見ているともはや「マスメディア=正確,信頼を置いていいもの」という構図は成り立たなくなっていることは容易に判断できると思います。

ではどうすればいいか?

①自分で該当する問題や事件などを調べる
②できるだけ多くのメディアの意見を見た上で総合的な判断を下す

の2つ。例としてモーリシャスでおきた商船三井のチャーターする船の座礁と一連の事故について考えてみます。

方法について述べるため詳細は割愛しますが、まず①。
今回でいうと次のようなものを私は調べました。

・モーリシャスとはどういう国なのか?
・商船三井とその傘下の長鋪汽船株式会社について
・重油などがもたらす海洋への影響
・他に商船三井が起こした事故はなかったか?その時の対応は?


そして②。私は「メディアに中立はない」と考えています。その上でできるだけ保守・リベラル両方のスタンスをみるようにしてますし、かつ日本だけの視点だと欠けるところもあるということで海外のメディアも見ています。

〈日本〉
・保守…読売、産経
・リベラル…朝日、毎日
〈海外〉
・BBC、CNN
・他...Brut Japan(映像メディア)

海外メディアは上に挙げた他、環境問題であればThe Guardian紙、日韓問題であれば韓国の中央日報やハンギョレなど内容によってどれをみるかというのを分けています。ただメディアとしての大きさや網羅している範囲が大きいBBC,CNNは基本的にどの内容のものであってもまず取り扱いがないかチェックし参考にしています。

気をつけなくてはならないのは海外のメディアにも保守・リベラルがあるということ、そして国営メディアの存在です。「国営は国にとって利益ある情報を強調し、マイナスになるものは目立たせない情報発信をする事がある」という認識は持っておいた方がいいと思います。

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Q発信で気をつけるべきことは?

・「偏るのは仕方ない」という認識と受容
情報を吟味したり、SNSの社会問題に関する交流ができるメディア(No Youth No Japanなど)やZOOMイベントで話し合ったりした上で意見が偏ってしまうことは私は正しいことだと思います。

「意見がない日本人」という記事や文言がありふれていますが、実際中立をアピールすることで意見をいうことから避けているのでは?と見ることもできます。意見をいうというのは「その問題についてその人はどう考えるか」、ですから良悪しをいうこともあるし、結果的に偏ることもあります。

かつ、問題というのは様々な要素が絡み合ってできているものであり、それは到底AorBの意見に分断はできないと思います。そこについてはそれぞれ絡み合った糸を一本一本ほぐしていくような建設的な議論や思考をなしていくことが大切だと私は思います。

重要なのは、結果的に偏る(違い)が生じることもあると認識し、それを受け止めることです。意見が違うから相手とは会話をしない、話し合わないというのは楽かもしれませんが解決には繋がりません。

「自分はこういう意見をもつけど、この人はそういう意見を持つのか」
という認識が1つ。

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・対話の姿勢と差別・偏見を許さない
同時に気をつけるべきは対話の姿勢と「差別・偏見」は多様性、許容されるべき違う意見ではないということです。いわゆる倫理観とも言い換えることができ、細かい部分はまた人によって範囲が違うのでそこは個別に話し合いが必要だと思いますが、あからさまなものは判断することができます。

例えば、ある1テーマについて。
「AはX国に非がある」「Y国のAへの反論は少し事実と異なるのでは?」
こうした意見は対立していますが、建設的な議論になりうる物です。一方、

「なんでX国が悪い、Y国の責任だ」「Y国が全て悪い」こうした極端で対話の姿勢が見られないものを私は意見だと見做していません。

「Yes,and...」という議論の手法がありますが私はこの考えがまだまだ日本には根付いていないと考えます。相手の意見を一回受け止め吟味した上で、それでも相手とは違う意見があれば発言すれば良い。

あくまでも対話ですし、目的は論破でも勝負でもなく、議論による問題解決の緒を探すこと。どんな正論も対話の姿勢が見られないと解決には至りません。

かつ、差別・偏見というのは、「Z国の人間はA国の人間が嫌いだ」とか、「〇〇の犯人は△△人」などという大体主語が大きすぎて例外を見ていない浅薄な都市伝説的かつ前時代的言い伝えでありフェイクニュースです。

そうしたものが多様性として許容されてはならないし、差別・偏見は真っ当な問題解決のための議論や決定を阻害する要因でしかありません。可能であればそれを指摘し、それが適わない場合はそれらを大きなコミュニティ規模で批判、改善促成などのアクションが最適だと思われます。
(Change.orgなどのオンライン署名を通じた問題提起、該当する団体組織や国連などへの呼びかけなど)

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さいごに

現代人にとって欠かせない「メディア」。それにもかかわらずメディア・リテラシーが学校教育に取り入れられていないことに危機感を覚えていたということもあり、微力でも誰かのメディアの見方の一助になればと思いメディアに関する記事を不定期で書いていこうと思います。

それぞれ2000字前後、5分程度で読めるメディアの見方に関するnoteを書いていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

具体的に今考えているのは、
・北欧の学校教育から学ぶ社会問題との向き合い方
・他者共感の足りない日本社会
・マスコミの弱体化と解決への私見
・コロナ時代のニューメディアとこれからの遅いメディア
などです。それではごきげんよう。

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