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主が来られる時に誠実に備えている人
主は花婿を迎える十人の乙女と言う話をされました。
花婿はキリストです。乙女はキリストの花嫁として招かれた人たちです。婚宴は主の携挙とそれに続く天国の大婚宴です。愚かな乙女たちが婚宴会場に入れなかったことは天国には行けても、キリスト信者でも、キリストの婚宴に出れない人がいることを教えています。招かれるものは多いが選ばれるものはすくないのです。
油は主を待ち望む姿勢・態度を現します。主から託さ
パキスタンに行きませんか
今年の冬、パキスタン宣教に共に行く人を募集します。
パキスタンは人口が二億二千万人で五パーセントの千百万人がキリスト信者です。
亜熱帯気候で、夏は5十度くらいになります。ベストシーズンは12月から2月です。期間は10日間になると思いますが、部分参加、一週間参加でも歓迎します。日程の確定はそのうち決まります。
波はかつてはインド領でしたが独立して今は印度と対立しています。インドはヒンデユーきよ
聖書の疑問に答えます
あどない・いるえ伝道協会では、信仰生活の質問、聖書に関する質問、キリスト教会に関する質問にお答えしています。
些細なこと、深刻なこと、個人情報は秘密厳守しますのでお気軽に質問をお寄せください。
有名な聖書教師が預言の賜物は新約聖書の完結とともに廃れたと言っていますが果たしてそうでしょうか
?
その聖書教師は聖書が完成してからは、預言の賜物を行使する必要がなくなったと言います。彼は預言だけでなく聖霊の賜物全てについて不要になったと言っているのです。新約聖書の中でパウロは明確に聖霊の賜物が教会に分け与えられていて、その賜物を通して聖徒たちが強められるためだと語っています。(ローマ1:11)また、預言は人を育てる言葉や勧めや慰めを話すものと教えています(第一コリント14:3)。
今
あどない・いるえ伝道協会の巡回奉仕を是非ご活用ください
あどない・いるえ伝道協会の巡回奉仕は、ソプラノサックス、デナーサックス、オカリナ、クラリネツト、ハープ、歌(ソプラノ)、での賛美などの演奏、聖書のメッセージ、問題や癒やしのための祈り、をさせていただいています。他にトラクト作り、説教訓練、教会会計、証の本作り(コーディネート)もいたします。今まで海外も含めて1400回の奉仕をさせて頂きました。謝礼は教会などの予算の範囲内で結構です。
7月、8月に
ご支援金・献金が簡単にできるようになりました
いつもあどない・いるえ伝道協会、あどない・いるえ神学校、なつめつ子後援会のためにお祈りとご支援金、献金を賜りありがとうございます。
あどない・いるえ伝道協会、あどない・いるえ神学校、なつめつ子後援会は、ホームページの「献金のご案内」から、クレジットカードで献金、ご支援金をしていただけるようになりました。
クレジットカードから、一回のワンタイムサポート、毎月定期のマンスリーサポートを、金額も選ん
信仰の幼子を躓かせる者
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである」と弟子たちに主は言われました。
今日自分たちの教えが正しいと、セカンドチャンスを吹聴し、聖霊の働きを否定し、聖霊の賜物の活用を否定し、軌跡や癒やしや悪霊追い出しや死者の甦りを否定している教会や教会指導者が多くいます。
私が昔から集会に参加し教えていた超教派の集まりのリ
神の業を信じない偽教師達 主、イエスさまは、二度
も一万人以上の人々に僅かなパンと魚で満腹にされました。水をぶどう酒に変え、悪歴を追い出し、酷い皮膚病を清め、歩けない人を歩かせ、あらゆる病人を癒し、耳の聞こえない者の耳を開き、目の見えないものの目を開き、死者を甦らせておられました。
しかしサドカイ人、パリサイ人、律法学者達は、見ても見ず、聞いても信ぜず、その心が閉ざされていたので、悪霊の力で悪霊を追い出しているとか、さらなる天からの奇跡を求め
キリストの弟子になる覚悟
ある律法学者が主が行かれるところにはどこでも従って行きますと告白すると主はわたしには枕する所もないと言われました。
別の人が先ず家に帰って父を葬らせてくださいと主に申し上げると、死人に死人を葬らせなさい。あなたはわたしに従って来なさいと言われました。
だれでもわたしに従って来たいと思うなら自分を捨て、日々自分の十字架をを負つて、わたしに従って来なさい、と主は私たちに語っておられます。本当
神の業が起きると受け入れず反対する人も出てくる
主・イエスが弟子たちとガリラヤ湖を渡りガダラ人の地にゆかれた時、悪霊に憑かれた二人がいて主は悪霊を追い出されました。
悪霊を共が豚の群に追いやってくれと主に願ったので主が許されると悪霊達は豚の群に入り崖から海になだれ落ちてしまいました。すると、豚飼い達が皆に知らせ街中の人が主にその地方から出ていって欲しいと願ったのです。
主は失われた人を探して救うために、病んでる者を癒やすために、罪のた
神の前に最高に幸いな人とは
主イエスが山上で弟子たちに幸いな人について教えられました。
心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇く者、憐れみ深い者、心の清い人、平和をもたらす者、そして義のために迫害される人についてです。
義のために迫害される人とは、主のために罵られ、苦しめられ、虐げられ、見に覚えのないことで悪口を浴びせられることです。自分の犯した過ちの故なら当然ですが、主・イエスを信じ仕えていることの故にそのように