水山昭雄

哲学者、作家、自由人。

水山昭雄

哲学者、作家、自由人。

最近の記事

「いま、この瞬間」を生きる

 「悟りの境地」があります。それは「いま、この瞬間に在ること」によって、思考活動がお休み😪していることです。そのとき、人間が求めている【平和と幸福】があります。私たちはその心境を実際に体験することができます。それは「欠けているものが何ひとつなく、全てが満ち足りている」という心境です。私はそれが「安住の地」だと思っています。そのとき、私たちは宇宙の本体と繋がり、真理の直観が降りてくることがあります。  4年前、幼少時代(1950年代) に住んでいた私のふるさとである熊本県球磨郡

    • 信仰者として生きる 

        われわれ人間が本当に求めているのは【平和と幸福】である。私はそれを【光の王国】と呼んでいる。それは自分の中に内在するものである。それが得られるのは、自力ではない他力である【信仰の力】によって【自我と煩悩と思考】の束縛から離れ、【宇宙の無限の力・無条件の愛・生命力の源泉】と直接、繋がることが出来ている時である。  私はそれが【真の信仰】であると思うのである。【真の信仰】とは「自力だけに頼るのではなく、神さまの他力をいただいて、自分のため・世のため・人のために生きること」であ

      • 「悟りの境地」がある(その8) / 老子の「道」

         万物を生み出し、万物を支えている「道のはたらき」がある。「道のはたらき」がそのものの上に十全に現れている場合、それを善という。それが人に現れているなら、彼は善人である。老子のいう善は、世間一般の人がいう悪と相対関係を持つ善ではなく、裏に悪を含んでいない【絶対的な善】である。その善はずっと善であり、悪に転じることのない善である。われわれも善を行うことが出来る。万物を生み出し、万物を生かしている「道のはたらき」に随順することによってそれが出来るのだ。無為自然によってそうなるので

        • 「悟りの境地」がある(その7) / 真我と自我

          【第一の自己】と【第二の自己】   【自我】 と 【真我】  自分の中には、外的世界に向かう【第一の自己】と内在する【第二の自己】の二人がいる。私は外的世界や対人関係の影響を受けて限定される【第一の自己】から離れ、解放された『無限の空間』に意識を転移して、【第二の自己】としての自由自在を確保したいと思う。ただし、それはかなり難しいことである。知らないうちに、他者の想念や自分の【心】に支配されることがある。  【第一の自己】は自己愛に基づいて、自己の生存を優先的に確保し、他者

        「いま、この瞬間」を生きる

          「悟りの境地」がある(その6)

          【宇宙の無限の力がある】  「悟りの境地」は大事であるが、「それを毎日の生活の中で実践すること」も大事である。【性善説】を展開した、古代中国の思想家「孟子」によると【浩然の気】いうものが存在する。それは「宇宙に満ちている大きく強い気であり、われわれの精神力と生命活力の源」である。私は、それは宇宙に充満する【無限の力】のことだと思う。  塩谷信男医学博士は、著書『自在力』の中で【宇宙の無限の力】について、詳しく述べておられる。塩谷博士は「宇宙無限力」を活用する【正心調息法】を

          「悟りの境地」がある(その6)

          「悟りの境地」がある(その5)

          【サンスクリット語で仏道を学ぶ】  梵英和辞典(サンスクリット語の辞書) で、BUDH、BUDDHA、SAMSARA、KLESA、MOKSA、NIRVANA などの意味を調べてみた。 (1 ) BUDH(ブドゥ / 悟る) は動詞であり、「迷いから目覚める。意識を回復する。我(真の自己) に帰る。反省する」などの意味がある。 (2) BUDDHA(ブッダ ) は過去受動分詞であり、「賢明な人。目覚めた人。起きた。知られた。賢者、覚者」などの意味がある。  平易な日本語を用い

          「悟りの境地」がある(その5)

          「悟りの境地」がある(その4)

          【原因と結果の法則】  我々が「悟りの境地」に入るための条件がある。それは「原因と結果の法則(縁起の理法 / 因縁の法則 ) 」の認識と体得である。  世界で起きるすべての現象、人生で経験することは、宇宙法則である【因縁の法則】に忠実に従い、何らかの因縁によって生起している。自力と自己原因によって存在できるものは何ひとつない。すべての物事には100%、必ず【原因と結果の関係】がある。釈尊は【因縁の法則(縁起の理法)】について、次のように述べている。 「熱意を込めて思惟する私

          「悟りの境地」がある(その4)

          「悟りの境地」がある(その3)

          (上の写真は昨年、伊勢神宮で撮  影したものです。あたかも「神   の国」の庭園のような、荘厳な  光景でした)  古代のインド哲学では高次の意識、すなわち「悟りの境地」のことを安らぎ、平安、安楽、不死、彼岸などと呼び、それに到達することを【解脱(ニルヴァーナ)】と称した。  解脱とは、外界に向けていた姿勢を反転して、真我として『道』に戻ることである。「悟り」は『道』への到達を意味している。その境地が【涅槃】である。それは『煩悩と論争と思考』の炎が吹き消された境地である。

          「悟りの境地」がある(その3)

          「悟りの境地」がある(その2)

           数年前のことだが、信州の霧ヶ峰で出会ったカナダ人に、仏教について語るチャンスがあった。彼は真剣な求道者であった。真剣な求道者は日本にはあまりいない。    彼は私に言った。 「私は【(真理に至る) 道】を探すために日本にやって来ました。私は先週、アメリカのニューヨークに滞在していましたが、多くの人々は厳しく険しい表情をして歩いていました。ところが、東京などで日本人の姿を見ていますと、やさしさ・落ち着き・安堵感を持っているように感じるのです。私はそれが何であるのかを知りたいの

          「悟りの境地」がある(その2)

          高天原 中つ国 根の国

           日本の神話によると、①高天原と②中つ国と③根の国の三界があります。それらは天上・地上・地下の三つの世界のことです。私はその三つの世界観を、現実的かつ現代的に解釈し直してみました。 【高天原】は、無限かつ無条件の愛が充満する世界であり、天照大神さまが治めておられます。それは「幸あるところ・広大な美しい世界・善い人だけが住んでいる【理想の世界】」です。 【中つ国】は、そこの住民が高天原の神々の指導を直接、受けているため、性善説が支配的になる【神の国】のことです。そこの国民は、健

          高天原 中つ国 根の国

          「悟りの境地」がある。

          「悟りの境地」がある。

          アガペー 無条件の愛

           古代ギリシャ哲学に基づいて、【愛とは何か】【生命とは何か】【幸福とは何か】について考察しました。これらは我々人間が健全に生きるために、とても重要なテーマです。  日本語の【愛】の意味は「可愛がる。愛しく思う。慈しむ。いたわる。恋する男女が思い合う。親しみを持って寄りかかる」などとされています。  ところが、古代ギリシャ語には、異なる意味を持つ三つの【愛】の単語がありました。それは ①アガペー(agape)、②フィリアー(philia)、③エロース(eros) の三つの愛です

          アガペー 無条件の愛