見出し画像

「悟りの境地」がある(その8) / 老子の「道」

 万物を生み出し、万物を支えている「道のはたらき」がある。「道のはたらき」がそのものの上に十全に現れている場合、それを善という。それが人に現れているなら、彼は善人である。老子のいう善は、世間一般の人がいう悪と相対関係を持つ善ではなく、裏に悪を含んでいない【絶対的な善】である。その善はずっと善であり、悪に転じることのない善である。われわれも善を行うことが出来る。万物を生み出し、万物を生かしている「道のはたらき」に随順することによってそれが出来るのだ。無為自然によってそうなるのである。自ずから然りである。

(哲学者 水山昭雄)

(参考文献:『無の処世術』小野田大蔵著、白揚社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?