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「悟りの境地」がある(その5)

【サンスクリット語で仏道を学ぶ】

 梵英和辞典(サンスクリット語の辞書) で、BUDH、BUDDHA、SAMSARA、KLESA、MOKSA、NIRVANA などの意味を調べてみた。
(1 ) BUDH(ブドゥ / 悟る) は動詞であり、「迷いから目覚める。意識を回復する。我(真の自己) に帰る。反省する」などの意味がある。
(2) BUDDHA(ブッダ ) は過去受動分詞であり、「賢明な人。目覚めた人。起きた。知られた。賢者、覚者」などの意味がある。
 平易な日本語を用いて「悟りを開いた人」を定義すると、次のようになる。
「真理に目覚めて、我(真の自己) に帰り、(因果の法則を) 理解し、賢明であり道理を悟った人物」
 私は「新たなる時代の潮流」と共にわが国において、こういう人物が大量に出現することを願っている。

【涅槃の定義は自由、落ち着き、安らぎ】

 SAMSARA、KLESA、MOKSA、NIRVANAの意味は、以下の通りである。
(1) SAMSARA(サムサーラ / 輪廻 ) には 、「日常生活、世俗生活、無信仰の生活、輪廻」などの意味がある。
(2) KLESA(クレーシャ / 煩悩 )  には、「悩み、苦しみ、嘆き、苦難、難儀、苦悶」などの意味がある。
(3) MOKSA(モークシャ / 解脱 )  には、「自由、解放、救済、ほどく、輪廻からの解放」などの意味がある。
(4) NIRVANA(ニルヴァーナ / 涅槃 ) には、「消火、自由、解放、静寂、落ち着き、平安、安らぎ」などの意味がある。
 漢語を主体とする「涅槃とは輪廻と煩悩からの解脱である」という言葉を、原語のサンスクリット語から日本語に訳すと次のようになる。
「涅槃とは、日常生活における困難、悩み、苦しみなどから解放された境地であり、それは自由、落ち着き、安らぎである」
 この平易な日本語が涅槃の定義である。従って、「涅槃を実現することは、日常的なものである」ということが判明する。難しく考える必要はない。サンスクリット語を使うと、仏道の本質を理解することができる。釈迦存命の頃は、誰にも分かる平明な現地の言語で仏道が説かれれていたのだ。
 われわれ人類の究極の目的は【完成した人格】あるいは【善良な市民】として、己れの天命を知り、人々に奉仕することであり( 忘己利他 ) 、個人としての人生を楽しむことは、それに付随することでしかない。
 ここで述べている知識情報に基づいて、われわれは「悟り」を身近なものとすることができるだろう。悩みと苦しみの根源である【煩悩と論争と思考の道】をコントロールすれば、誰でも悟りを開くことができるのだ。それが「一切衆生悉く仏性を有す」の正しい意味である。仏性はもともとわれわれの中に具わっているのである。PLEASE  WAKE UP !

【日本仏教の根本原理】
「この世に存在する者はすべて仏性を具えており、それを自覚し、つねに心身の修行に励み、仏性の開発に努め、そうして現世を仏国土として、理想的な社会を建設していく(浄仏国土成就衆生)」

(哲学者 水山昭雄)

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