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「悟りの境地」がある(その3)

(上の写真は昨年、伊勢神宮で撮
 影したものです。あたかも「神 
 の国」の庭園のような、荘厳な
 光景でした)

 古代のインド哲学では高次の意識、すなわち「悟りの境地」のことを安らぎ、平安、安楽、不死、彼岸などと呼び、それに到達することを【解脱(ニルヴァーナ)】と称した。
 解脱とは、外界に向けていた姿勢を反転して、真我として『道』に戻ることである。「悟り」は『道』への到達を意味している。その境地が【涅槃】である。それは『煩悩と論争と思考』の炎が吹き消された境地である。
 原始仏典『スッタニパータ』によると、釈尊は「私は【ブラフマン】になった者である(サンスクリット語 / Brarhmabhuto ti settha-bhuto)。私は性悪説(煩悩と論争とマイナス思考) の軍勢を撃破し、あらゆる敵を降伏させて、何ものも恐れるものなしに喜んでいる」と語った(第561項/岩波文庫)。『仏弟子の告白』には「悟った人であるブッダは自らを制し、心を統一し、【ブラフマンの道】においてふるまい、心の安らぎを楽しんでおられる」と書かれている(岩波文庫)。 
 我々は【人生という物語の真相】を理解したとき、一切の束縛から解放され、本当のわが家である『道』に帰ることができる。解脱が達成されると、人はあらゆる束縛や障害から解放され、心の願望をすべて達成できるようになる。
 我々が「悟りの境地」に入るためには、どうすればよいのだろうか。此処に答えがある。聖徳太子が発令した『17条憲法の第2条』に従って三宝に帰依して悟りを求める心、すなわち【菩提心】を発して、下記に述べる【仏道1号線】を歩めばよいのである。
 我々が認識すべきことは、誰しもが自分の無意識の中に、①仏の道と②菩薩の道に至る「悟りの境地」を持っていることである。それを表に引き出せばよいのだ。『涅槃教』という仏典には「一切衆生悉く仏法有り」と書かれている。そして、禅宗には「即心是仏。己れの心に仏を悟れ。仏さまを外に求めてはならない」という教えがある。【仏道1号線】を歩むことによって、それが可能となる。作為をしてはならない。無為自然でよい。

    【仏道1号線】

①【仏の道】:真理の探求を達成し、「悟りの境地」を開いており、他の人を悟りへと導いている。輪廻からの解脱が成立している境地。気高く、尊く、偉大な人格である。
②【菩薩の道】:菩薩として、ブッダになるための仏道修行をしている。同時に、他の人を助けて、衆生済度の使命を果たしている境地。それは無償の愛である(忘己利他)。気品があって、貴く、素晴らしい人格である。
③【縁覚の道】:宇宙法則である因縁の法則が働いて、現象世界の事物や生物が生と滅を繰り返していることを理解し、空性を体得して、悩みと苦しみの根源である煩悩を消し去り、「悟り」を開く境地。道理に明るく、物事の判断が適切である賢い人物であり、よき指導者となる。
④【声聞の道】:菩提心を発して三宝に帰依し、仏の道(学問)を学び実践することによって「悟りの境地」へと向かう境地。知能が高く実務能力があり、事の処理にあたっての仕方がてきぱきとしている有能な人物である。
⑤【善知識の道】:性善説と性善説・表と裏の二元性を伴うが、日常的な人間世界の境地。穏やかで善良な市民としての人間の境地。
⑥【煩悩と論争と思考の道】:貪欲・瞋恚(しんい/怒り)・愚痴を持っている境地。怒ったリ、争ったりすることを好む。我の強い自己中心的な性格である。他者の発言を否定して、自説を優位に置こうとする。自分を善の立場に置いて、この世で起きる物事や他者の言葉を【性悪説】に基づいて批判する。世の中では、そういう人物が役に立つこともある。

【日本仏教の根本思想】
「この世に存在するものはすべて仏性を具えており、それを自覚し、つねに心身の修行に励み、仏性の開発に努め、そうして現世をそのまま仏国土として、理想的な社会を建設していく(浄仏国土成就衆生)」。

(哲学者 水山昭雄)



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