なぜ書くのか


なぜ書くのか
何度でも新しく 幾重にも懐かしく
あなたを識るためである
大切なものを大切にするためである
大切なものを大切にするのは自由である
大切なものを大切にするのは愛である
誰もが 一人ひとり 大切なものをもっている
一人の大切なものは その一人にしか書けない
だから書く
書かねばならない
手紙か 手記か あるいは詩か
手ずから書いていくよりない
あなたを大切におもうのは わたしだから
どこまでも深く おもいたいから

【手紙】 なぜ書くのか

 こうして、あなたに、何通も手紙を書きながら、届く実感は薄く、「なぜ書くのか」を見失いそうにもなります。けれども、あなたとの縁、書くこととの縁を深めるために、わたしは書いているのだと思います。縁を深めて何になるのかは、わかりません。しかし、こうして書くこと自体が、わたしにとっては何事か――こころのひとかけ、おもいのひとひら、生きたことの小さなあかし――です。生きるために書いているような気さえします。

 わたしは、あなたへの長い挽歌か、遺言かを、書き続けているような気もします。
 ですから、この手紙は、「やぎさんゆうびん」のように、読まずに食べられて――届くというより、むしろ食べられて――あなたへ消えてゆけば良いと、半ば願うように、思います。
 ですから、これは、もはや、宛先のない手紙ですし、それで良いし、それが良いとも思います。

 先日、『アンメット ある脳外科医の日記』というテレビドラマを観ました。主人公の脳外科医の女性は、交通事故により記憶障害を負い、過去二年間の記憶がなく、今日の記憶も明日には忘れてしまいます。そのため、彼女は、毎日ノートに、その日あった出来事や自分の思いを、詳細に日記に書き記します。そして、翌朝は、その日記を読むことから一日を始めます。記憶が消えてしまうため、日記に一つずつ書き残し、それを読み直し、日々を丁寧に積み上げていくのです。彼女にとって、日記は、今日の彼女から明日の彼女へ託す手紙、昨日の彼女から今日の彼女へ託された手紙のようにも思いました。

 記憶障害の有無に関わらず、人は、忘れたくない人や事物、自分の思いさえ、忘れてしまうものです。それでも、忘れたくない、忘れまいとするのは、大切だからです。忘れてはいけない大切な事実もあります。ですから、何度忘れても、何度でも新しく思い起こさなければなりません。

 わたしが忘れたくないのは、誰より、あなたです。

 忘れてはならないことは、何より、あなたが教えてくれたことです。

 いのちの尊さ、万物の聖性。一人ひとりのかけがえのなさ、自他の霊性。

 それらを忘れることは、罪であると同時に、罰であるとも思っています。
 それを忘れることによる、自傷、他害、孤立、傲慢の恐怖もあります。

 ドラマでは、主人公が、同僚から、「記憶がなくても心が覚えている」と声をかけられます。確かに、心にも、また、掌(たなごころ)にも、頭とは別の知性があり、記憶があると思います。
 心を貫くまで、わたしも、掌で書き続けます。

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